魔道皇子、真実を話す
・このお話はフィクションでファンタジーです。
大海に悠然と浮かぶ黒い巨体。海の守護者のように泰然としたまなざし。アラステアはごまかせないなと観念して目を伏せた。
先ほどレスタが話した内容を聞き流してはくれないらしい。こちらを警戒する理由も判るし、エセルはレスタを知っているから、彼がおかしな嘘を吐く精霊ではないと確信していたのだろう。
チラリとレスタを見ると、いつもは凛々しい金獅子がしょんぼりした顔でこちらを見ていた。自分の失言に気が付いて反省している姿に、なにかが胸にこみ上げてきて強く抱きしめる。
「すまぬ」
「大丈夫。私こそ気を使わせてごめん」
なにやら悲壮な面持ちで抱き合う二人を見たクジラの精霊と皇帝は、顔を見合わせると困ったように苦笑した。
《いや、そこまでいやならば無理に答える必要はないが……》
優しい精霊たちにこれ以上気を使わせたくなくて両手で頬を強く叩いたアラステアは、立ち上がって父を見つめる。これを言えば、もしかしたらこの世界の家族を失ってしまうかもしれないという想像が頭を駆け巡るが、世界の根幹を変える判断をするなら情報は少しでも多いほうがいい。
「荒唐無稽と感じるかもしれません」
信じる信じないは彼らに任せるとして、アラステアは自分が皆川千早の記憶を持っていること、彼女はこことは違う世界からエーレクロン王国に落ちてきたこと、そこでレスタと出会って契約したこと、魔女と知り合って勇者春樹を見て、彼が自分と同じ場所から来たと知ったこと、魔女と契約して来世でもレスタを思い出せるようにしたこと、そして十歳の誕生日に記憶を思い出したことを話した。
「レスタとジーク、ロイは千早の友人だったし、エーレクロンのサラディウス国王の王太子時代を知っています。憑依したとか体を乗っ取ったとかではなく、魂に刻まれた記憶を思い出させただけだと魔女は言っていました」
長い話が終わると、皇帝は静かにたたずむ息子へと歩み寄った。伸びた身長、しなやかな体つきと短くなってしまった黒髪に溢れんばかりの不安を宿した目。自分によく似た末の息子が体を固くして手を握りしめ、瞳は今にも泣きそうなのに大切なものは絶対離さないと決意している。
ロードリックは十五歳の誕生日に、精霊を迎えに行きたいと自分相手に交渉してきた姿を思い出した。あの頃からなにか大事なものを抱きしめて歩んでいる子供だと思っていたが、それは気のせいではなかったらしい。
「女性だった記憶があるのだな……」
「そこは私も失敗したと思いましたよ!」
やけくそ気味に叫ぶアラステアの頭を撫でながらロードリックは残念そうにつぶやく。
「一人くらい娘も欲しかった……」
「それは母上と頑張ってください! まだまだイケますから」
「そうだろうか。最近忙しくてなかなか一緒に眠れないんだが」
「それは母上が好きな国立劇団の国外公演を父上が許可したから怒っているんですよ」
「……それにサディアスも謁見時の対応がそっけないし」
「一週間前、サディ兄上は自分に似て腹黒だと話していたそうですね。兄上のこめかみの血管が切れそうでしたよ」
「…………エグバートなんて帰ってきてから口もきいてくれない……」
「婚約者の誕生日直前に遠征を押し付けられれば誰だってキレますよ。討伐申請は許可する一週間前から出ていたと聞いたら私だって当分口をききません。どうして申請直後に許可しなかったんですか」
「なぁ、エセル」
それまでの軽い様子から一変、帝国の皇帝らしい声でクジラの精霊の名を呼んだロードリックは、驚いて目を見開いたアラステアを見ながら言った。
「私の息子は家族思いだろう。帰国して数日なのに、家族の内情を私よりもよく知っている。家族に信用されている証拠だ」
《ふふっ、そなたはいつも家族の自慢をしているな》
「当たり前だ。家族は私の宝だぞ。末の息子など精霊と契約を結んだうえに前世の記憶を持っているのだから、異世界の記憶で使えそうな政策をどんどん進言してくれるはずだ」
使えるものはどんどん使えが家訓の発言に、精霊たちが笑い出す。逆にうぐっと喉を鳴らして嗚咽を飲み込んだアラステアは、にやつきそうになる唇を無理やり引き結んで言った。
「ではこれからどうするか、話をしましょうか」
◇◇◇
アラステアが父親に連れられた部屋は、皇帝が精霊と人目を気にせず会うためのものだった。海に面した高台に建てられた皇城なので、かなりの距離を降りたことになる。もちろん帰りは息を切らせながら階段を上ってきた。
「転移門が欲しい……」
「万が一にも誰かに知られるわけにもいかなかったし、私を含めて歴代皇帝に転移門の設置や定期点検が可能な者がいなかったのだから仕方がない」
自分のペースで休みをはさみながら皇城への扉を開けると、別れた時と同じ姿勢で待機していた護衛騎士が敬礼をする。
「では最速で精霊についての家族会議を開くことにしよう」
言葉少なく告げる父親は、アラステアが精霊を迎えに行くといった時点からさまざまな対策を考えてきたらしい。精霊が実在しているのは知っていたが、息子が連れて帰れるかどうか判らなかったので対策を保留にしていたようだ。
そう言って次の予定があるからと去っていく父親の背中を見送り、アラステアはふぅと肩の力を抜いた。
「疲れたか」
「……事態が思った以上に自分の手におえなくて落ち込んでる」
隠し扉から城の内部に戻るための順路があるらしく、相変わらず無表情の魔導騎士が先行していた。その後ろをうなだれた青年と彼を心配そうに見上げる黄金の獅子が続き、人目にさらされることなく王族のプライベートエリアに到着する。
「ここまででいいよ。ありがとう」
いつまでも自分のために国の最高戦力である彼をつき合わせることはないと感謝を伝えると、ジークよりも少し年下の男性はここでようやく口を開いた。
「かしこまりました。それとお帰りなさいませ、アラステア殿下。魔導騎士一同、ご帰還を心よりお待ちしておりました」
幼少期より顔なじみの彼が膝をついて首を垂れると、相変わらずまじめだなぁと笑いながら男のあいさつを受ける。
「うん、ただいま。みんなに変わりはない?」
魔導騎士は個々で大きな戦力を持つがゆえに、皇帝一家と近い位置にいることが多い。日常の業務は主に国外に出る皇族や皇帝夫妻の護衛であったり、年に数度は災害級とまではいかなくとも危険級の討伐であるのでアラステアとはよく関わりあった。
今は目元まで覆われた兜をかぶっているので口元しか見えないが、声と気配だけで誰なのかわかるし、彼の性格が本来は底抜けに明るいことを知っているくらいには親しいのだ。
「はい、変わりはありません。殿下がお帰りになられたと聞いたナスカが、新しい構築式を試したいと突撃しそうになって止めようと騒ぎになったくらいですね」
「ははっ、長く城を空けてごめん。ナスカには非番の日にでも遊びに来てと言っておいてくれるかな。外出するとしたら別宅に行くくらいだし、そのうち魔道塔と騎士塔には顔を出しに行く予定だからその時でもいいし」
ゴリマッチョ体系の多い魔導騎士の中で唯一細身の隠密行動に長けている男の名前が出て、アラステアは長らくの不在を詫びた。それから大人しく待っていたレスタと彼を引き合わせる。
「紹介するよ。彼は私の大好きな精霊レスタ。今回は彼を迎えに行ってたんだ」
豊かなたてがみを撫でながら、自分の大事な存在を紹介することができる幸せにへらっと笑ってしまう。いちおう家族にも紹介したが、その時は完全プライベートではなかったのでずいぶん控えめだったから、心のままに大好きで大切だと言えたことが嬉しかったのだ。
「おーおー。今まで見たことないようないい笑顔を浮かべて……レスタ殿、初めまして。皇帝騎士を任命されております魔導騎士コンラッドと申します。アラステア殿下とは幼少期より護衛をさせていただきました」
「こちらこそよろしく頼む。アラステアと仲の良い友人に会えるのは嬉しいよ」
思わずといったようすで砕けた口調も一瞬だけ。レスタに対して貴人のごとく礼儀正しくあいさつした魔導騎士はライオンの精霊と目を合わせて笑いあった。そして黒い手袋をつけた大きな手でアラステアの頭を撫でると、口元をほころばせて告げる。
「殿下は私たち魔導騎士にとって弟みたいなものです。なにか手助けできることがあれば、いつでもご相談ください」
「うん。その時はよろしく」
皇帝と別れた直後の疲れた姿を心配したのだろう。兄であるエグバートが魔導騎士であることもあって家族のように心配してくれた彼に、アラステアは少し照れたようにはにかんで礼を言って別れた。
「彼がアラステアをして天才だと言わしめた魔導騎士か……」
たくましい背中を見送っていたレスタがポツリとつぶやき、先に進みかけていたアラステアは不思議そうに首を傾げる。
「あ、ジークと話してたのを聞いてたんだ?」
吸血の森近くにあるニフィルティの町での鍛錬中にジークと話をしていたのを思い出した。レスタは完全に見送ってから視線を戻して己の契約者を見上げる。
「さわやかな風が吹き抜ける朝日の中、そなたとジークがまるで踊るように楽しそうに剣を交えていたのが印象的だった。こめかみから頬を伝う汗も、躍動する身体も、お互いだけを見つめる真剣な目も、すべてが美しいとさえ思えたよ。私がいらぬ嫉妬をしてしまうくらいに」
嫉妬したといいながらも、その目に浮かぶのは契約者のそばにいることのできる喜びだ。再会してからずっと機嫌がいいのは判っていたが、それだけ千早の死はレスタにとって耐えがたいものだったのだろう。そんなレスタの姿を見ていると、置いていく者より置いていかれる者のほうが悲しみが深いという言葉を実感してしまうのだ。
ふっと不安になったアラステアは、廊下から出てゆっくりと庭園に向かいながらレスタに問いかける。
「レスタ。エーレクロン王国を出て後悔してない?」
この国の精霊の秘密はアラステアの予想の範疇を超えていた。本当は数十年の長さでレスタを連れて依頼をこなして少しずつ人々に認知してもらいながら、社交もして貴族にも受け入れさせる予定だったのだが。
「そなたは後悔しているのか?」
ふふっと声に出さずに笑いながら黄金の獅子の美しい青い目が楽しそうに見上げてくる。いつもは穏やかで優しい光が宿っているが、今はそれに足して挑発するように目を細めてきた。庭園に設置されている石造りのベンチに座りながらアラステアも同じように笑った。
「私は腹をくくってるよ。ただレスタが後悔しているなら軌道修正を図ろうかと思ってるけど」
父親とエセルと相談してシャムロック魔道帝国を中心に精霊の存在を公にすることになったが、表に立つのはレスタだから本人が嫌なら大事にしまって隠しておくくらい造作もない。
膝の上で握ったこぶしに頭を擦り付けていたレスタが頭を上げ、青年の唇の端をぺろりと舐めると低くいい声で本心を語った。
「私はそなたを初めて見て、契約したときからそなたを慈しんで愛していこうと決めている。それはそなたのそばにいることと同じ意味で、そなたが幸せならそれ以上に私の幸せはないのだよ」
自分の興味がある相手だけを見つめるのは精霊の特性なのだろう。興味のない人間にはなにを思われようとも本当にどうでもいいと思っている姿に、ふつふつと笑いがこみ上げてきた。
そうだった。精霊とはこういう存在だったと改めて思い知る。
風が吹けば物が揺れるように、火が燃えれば周囲を照らすように、水が高いところから低いところに流れるように、土が植物を育むように、人がどれだけ変えようと思っても変えられないものがある。その中に精霊が含まれていることを、いつの間にか忘れていたようだ。
「それにそなたの父の危惧も理解できる。エーレクロン王国とシャムロック魔道帝国間の移動時間が昔よりも短縮されて、交流が盛んになれば精霊を隠しておくことはできないだろう。精霊に目立つな、大陸の東側に来るななどと言えないのはそなたも判っているのではないか?」
「あはは、うん。そうだよな。人間側の方針に精霊を従わせるなんて絶対無理だよ」
「エーレクロン王国の周辺国が精霊に当たりがきついのも、誰かがそのように印象付けたからなのだろう? それなら精霊をよく理解しているそなたが先頭に立って、まだ何も知らないこの国の精霊の印象を自由に操作するといい。今ならそなたのしたい放題だ」
まるでいたずらを勧める悪友のようなセリフにアラステアは腹を抱えて笑いながら、自分が目指す目標が見えてきた。わしゃわしゃとたてがみをかき回しながらレスタの口の端にキスをして立ち上がる。
「よし、目指すはエーレクロン王国と精霊の関係! そしてこれを機会に精霊の悪い噂を払しょくする!」
こぶしを握って突き上げると、レスタも片手を上げて「おー!」と乗ってくれたのだった。
【世界の裏話・後編】
作者「今日はあとがきコーナー初の後編です。引き続きコメンテイターは千早さんです」
千早「今回はそういうコンセプトなの?」
作者「そして前回に引き続き、話題は転移門のお話」
千早「前回でも十分だと思ったけど、まだあるの?」
作者「せっかく作った設定なんですが、生かせないと悲しいじゃないですか」
千早「まぁ、その気持ちは判るわ」
作者「というわけで、価格の話から始めます。転移門は基本的に設置した国が管理し、入る国と出る国の両方に料金の支払いがあります」
千早「魔力を使った送る側だけに支払うんじゃないんだ」
作者「はい。受け取る側も少しですが魔力を使うので、料金の八割が送る側に、一割が受け取る側、残りがシャムロック魔道帝国に入ります」
千早「一割はアラステアの国に入るのね」
作者「そうですね。ただこの世界はメンテナンス費用とか、修理の受付などの詳しい取り決めがないので、それらに技術者や魔道士を派遣すると、かろうじて赤字にならない程度にしかなりません。かといって不具合をそのままにしておくと重大事故になるので、帝国の持ち出しも多いですね」
千早「シャムロック帝国はなんでそこまでして転移門を維持しようとするの?」
作者「一番は技術革新のためみたいですよ。実験回数は多いほうがいいでしょう?……という冗談はさておき、大陸の東端にあるシャムロック帝国にとって、時間のかからない移動方法は自国の利益にもなるんですよ」
千早「(半分以上は冗談じゃないよね)そうなるんでしょうね」
作者「メンテナンスはシャムロック魔道帝国で行いますが、設置費用、維持費、輸送魔力の確保など年間莫大な費用がかかるので、今のところ経済に余裕のある国にしか門がないのが残念です」
千早「日本みたいに自由に使える鉄道網ってわけにはいかないのね」
作者「そのようにするためにはあと百年はかかると言われています。魔物の発生が自然現象である以上、馬車や鉄道など地面を走る大規模な交通手段の発展は難しいと判断したようです」
千早「なるほどね~。でも魔法のない世界の住人にしてみれば、一瞬で目的地に到着できるって理想だわ」
作者「転移酔いをする人はいますけどね」
千早「酔うのかよ!」




