魔道皇子、全力で封印する
・このお話はフィクションでファンタジーです。
美しいステンドグラスから見える大聖堂内部は混乱に満ちていた。
司祭服も神殿騎士も、誰もが苦しそうに這いずりまわっている。いや、一人だけ玉座に座って叫び声をあげている者がいた。その男は豪華な衣装を身に着けて、眼窩を赤く光らせながら黒い靄を漂わせる。
「あれ、かなりまずい?」
自分では判断がつかないとレラリアに聞けば、彼女は冷めた目で見降ろしてから鼻で笑った。
「あの程度の器なら逆に入り込むのに時間がかかるわ。それにもし入れたとしても、すぐに溶け始めるから完全復活は無理ね」
かわいい顔でえげつない現実を語った彼女は、アラステアとレスタを見て一つうなずく。
「あいつらが封印を解こうとちょっかいを出していたとはいえ、私の力では今の魔導士に簡単に解かれてしまうようだから三人で一緒に封印しましょう。聖道力、魔道力、精霊力の三重に封印すれば、めったなことでは解かれないと思うし」
さらりと対処法を挙げてくるあたり、まさか三重での封印も目的の一つだったのでは? と勘繰りたくなる。
「ふむ。強固な封印が欲しいのなら、アラステアの力とレラリアの力を私の力で合わせてやろう。結界を三重にかけるのではなく、三つの力を合わせた一つの結界としたほうが解けにくいぞ」
「それは助かるわ。お願いしてもいいかしら」
アラステアの疑念など少しも考え付かないレスタが親切に提案して、レラリアが嬉しそうにほほ笑みあった。ちょっとイラっとしながら、周囲を警戒しつつ手順を確認する。
「封印の場所は玉座だよね。アレはどうしたらいい? あと手順は?」
すでに男の周囲は真っ黒で、正直に言えばそばには行きたくないのだが。
「封印は地下だから、アレはそのままでいいわ」
「陣は封印でも結界でもいいが、三つを重ねてかけてくれ」
雑だなぁと思いながらも、この中では一番ひよっこなのはアラステアだ。だから先人の知恵を信じて、言われたことを全力でやろうと立ち上がった。悠長に入口に回っている時間はなさそうなので、ステンドグラスを剣の鞘で割ると、ケガをしないようにふちのガラスも念入りに砕く。
「ありがとう」
礼をいうレラリアが軽い調子で大聖堂へと飛び降りた。
「うわ!」
着地するための魔方陣も用意していない行動に驚いたが、次の瞬間、アラステアは見えた光景に目を奪われる。
割れたステンドグラスの破片がきらめく中、白い髪をなびかせながら美しい少女がゆっくりと降りていく。頭上から降り注ぐ日の光に照らされて彼女は光り輝き、まさしく眼下の地獄のような光景に舞い降りる聖女に見えた。玉座の前にふわりと降り立ったレラリアのとなりに、金色に輝くレスタが音もなく着地すると、神々しい聖女と精霊王の姿に、もだえ苦しんでいた人々すら魅入る光景に胸が痛くなった。
惚けていたのは一瞬。ドンと建物が揺れてジークたちのいる方向から騒ぐ気配が大きくなる。
「ぐっ……今は嫉妬してる場合じゃない」
アラステアは軽く頭を振って下に飛び降りた。あらかじめ用意していた魔道で着地直前に体を浮かせ、衝撃を減らして合流する。床に溜まっていた黒い靄はレラリアが降り立った時に一部が霧散していたので、恐れることはなかった。
「さっさと封じてしまいましょう。こいつらを殺さずに排除する面倒がなくなって幸運だったわ」
慈悲深く見える聖女が苦しんでいる者たちを前に辛辣な言葉を吐いた。心配とか同情とかが全く感じられない視線が少し怖くて、自分の解呪が原因ということもあり、彼女を排除しようとしていた連中が少しだけ気の毒になっていたのだが。
「アラステア。レラリアが威力を合わるから、そなたは全力を出せるか? 後のことは私にまかせてかまわないから」
いつもより厳しい視線を地下に向けるレスタが、魔力を限界まで使い切れと酷なことを言ってきた。
「……そんなに面倒なのか」
「アラステア君、ごめん。予想以上に下から吹き上げる圧が強いわ。私もフォローするから、レスタの言うとおりにしてくれない?」
この場にいる三者で力が一番弱いのはアラステアで、あとの二人は自分に合わせて力を抑制してくれるのだろう。自分の実力不足に歯噛みしながら、腕輪の収納から今度は赤いインクのペンを取り出した。
頭の中で魔方陣を構築することが可能だが、確実に、強固にするなら描くのが一番だ。赤い魔石を砕いて作られたインクはアラステアの魔力を補佐して、威力を高めることもできる。
「集中します」
いくつかの円と線、そして魔道文字がためらうことなく空中に描かれていく。円も線も歪むことがなく、美しい文字はインクの補助で優美な飾り文字になっていった。とにかく複雑に、簡単に開けられないように違う形の鍵穴を三つ追加すると、最後に自分の秘密名を織り込む。
この時点で魔力の残りは六割。
吹き上げてきた正体不明の力に侵され、苦しんでいた人々は一部がひどい状態になっていた。腕が背中から生えていたり、両足がなくなっていたり、口の中に巨大な目玉があったりと、玉座に近い人間から人の形状を保てていなかった。
こんなもの、永遠に解けないように全力で封じてやる。
小さな嫉妬など完全に吹き飛ぶほどの怒りと嫌悪に、ちらりとレスタを見た。見つめあった青い目が自分に全幅の信頼を置いているのを知れば、迷うことなく命を削る寸前まで魔力を注いで魔道言語を紡ぐ。
玉座を囲むように正面にレスタ。左右をレラリアとアラステアが立ち、それぞれが同時に術を発動させると黄金の獅子が力強く吠えた。振るわれた力は金色で、力強い光が地獄絵図の大聖堂の内部を包むとアラステアの意識は闇に落ちていった。
◇◇◇
アラステアが大きな魔道を発動させる。レスタはいつも穏やかに笑う契約者の金色の目が、真剣な光を浮かべているのに見惚れていた。
彼の魔力は瞳と同じ金色で優しい気配がして、紡がれる言葉と形は繊細であり、それでいて美しい鉱石のように強固に組みあがった。芸術のようなそれを崩すのはもったいなく思いながら、同時に描かれた大聖女の陣と一緒にいくつかに分けてレスタの力で一つにまとめる。
レスタの要請に応えて全力を出したアラステアが膝から崩れ落ちるが、瞬時に現れたヴァージルがアラステアを抱え上げたので、己は封印に集中した。とはいえ、どちらの術式も素直で美しいので、それらは反発しあうことなく自然な形で収まっていく。
術式が放つ光が消えれば、あとに残るのはうめき声をあげる人らしきものやびくびくとうごめく肉塊のみ。それらの中央に立つ大聖女レラリアは清らかな面持ちであたりを見回した。
「わたくしが眠っている間になにやら面白ことになっていましたね。たった二百年でわたくしの代弁者たる教皇ですら、選定方法が変わっているとは思いませんでした」
いつの間にか大聖堂に入ってきていた無事だった人々が、ひざまずいて首を垂れると、聖女は強いまなざしで辺りを見回しながら続けた。
「ここにいる者たちは瘴気の影響を受けてこうなりました。彼らはわたくしの命を狙い、魔王をこの世に解き放とうとした罰を受けているのです。彼らの魂が神の御許に無事たどり着けるように、わたくしたちで見送りましょう」
彼女の高度な治癒能力があれば、玉座近辺以外の異形者は生きながらえることができるだろうに、それをすることなく自然に任せようと宣言したのだ。
人の生死観はあまり詳しくないが、精霊のレスタでもこれは判る。レラリアは怒っているのだろう。多くの犠牲者と自分たちが命を賭してもたらした平和を、我欲のために壊そうとした者たちを。
黒い服を着た数人の男たちがひざまずいて大聖女に礼拝した。つられるように部屋に入ってきた者たちも恭順の意を示すと、粛々と反逆者たちを運び出していく。
「大聖女レラリアさま。教皇及び枢機卿らの凶行を止めることができず、申し訳ありませんでした」
「我らの請願にこたえてくださってありがとうございます」
白と黒の服を着た顔がそっくりな男二人が聖女の前でひざまずくと、レラリアは慈愛の笑みを浮かべて二人をねぎらった。
「アベルもカインもご苦労様でした。このまま手はず通りに進めてください。それと彼は一級冒険者のアラステア殿と彼の仲間たちです。今回の最大の功労者なので丁重にもてなしてください」
横たえたアラステアに少しずつ魔力を送り込んでいたヴァージルが、これからどうなるのかと警戒しながら周囲をうかがっていた。レスタは二人を守るように近くにいたが、アベルと呼ばれていた白服の男にレラリアのそばにいるように指示される。
「精霊さま。この度は大聖女さまにお力をお貸しくださりありがとうございました。どうぞ、こちらへ」
あらかた片付いた大聖堂に入ってきた人々が祈りを捧げる大聖女のとなりを勧めてきた男に、レスタは首を傾げながら断った。
「私の契約者はアラステアだ。彼がレラリアを助けると決めたから助力したのだよ。それに倒れた契約者から離れる精霊はおらぬ。詳しいことはレラリアに聞くといい」
少し様子のおかしかったアラステアが心配していたのはこのことか、とレスタは気が付いたが、契約者の可愛らしい憂いに愛おしさが募る。誰に何を言われようともレスタがアラステアを慈しみ、守り愛することは変わらないというのに。今すぐにアラステアが自分を見るときのとろりと溶けるような甘い金色の目が見たいと思いながら、ヴァージルが抱き上げる契約者に寄り添った。
神々しい黄金の獅子へも礼拝する人々がいる中、鼻歌すら歌いだしそうにご機嫌なレスタはヴァージルが抱き上げるアラステアとともに、黒服に導かれて大神殿を後にする。入り口には大きなけがはなさそうなジークとロイの姿があり、ようやく全員が合流すると客室にて落ち着いたのだった。
◇◇◇
暖かいのは左頬と右手。時折頭をなでるかたい手も少しずつ少しずつ、アラステアに魔力を分けてくれる。
そして静かに寄り添う大好きな気配も。
最悪は免れたのかと深く息を吐き、そっと目を開ける。見上げた先にはほほ笑んでいるレスタの顔があった。
「おはよう。気分はどうだ?」
低くて渋い声に顔がにやけながら、自分を守るように抱き込んでいた獅子が鼻先を頬に擦り付けてくる。
「体がだるい……生命維持の医療魔道が使われているな……何日眠ってた?」
「二日だ」
同じ部屋にいたジークがグラスに水を注いで運びながら答えてくれた。
「ジーク、けがはない?」
「ああ、かすり傷だ。それも聖女が治癒してくれた」
水を飲んでからぐるりと部屋を見回して、ここにいない一人と一匹の安否を視線で問うと、レスタが低く笑ってアラステアが眠っていた二日間の出来事を話しだす。
「再封印は成功した。今まで以上に強固になったから安心するといい。今はレラリアが教団の再建にあたっていて忙しそうだが、日に一度はそなたを見舞っていたぞ。それとレストラーダ聖王国が我々を祭る? らしい」
「国を救った英雄だと発表されているぞ」
独特の言い回しに戸惑うレスタが可愛すぎだが、ジークの補足にレラリアの意図をようやく悟る。
「もしかして精霊レスタと契約している冒険者アラステア・シャムロックだと?」
「ああ。最初は私が大聖女を慕って力を貸したと誤解する者も多かったが、精霊は契約者を最優先にするということと、精霊が契約者を選ぶのに人は口を出してはならないとレラリアが教えたら理解してくれたようだ」
一体どんな教えを説いたのやら、知りたいような知りたくないような微妙な気分になりながら、ジークに続きを促した。
「それに伴ってシャムロック魔道帝国の皇子をレストラーダ聖王国の英雄にする調整のために、ヴァージルが駆り出されている。ここ数日、顔色が悪いから話を聞いたほうがいいかもしれない」
話の途中でアラステアの顔が苦悶に歪んだ。この時期なら本国で対応しているのは長兄である皇太子サディアスだろう。彼が苦手なヴァージルがストレスをため込んでいるのは、顔を見なくてもわかった。
「あー、うん。そっちは特別手当だして対応する」
「それと一週間後に英雄の称号の授与式をするらしいが……ついてきているか?」
次から次へと出てくる事態にふたたび目をつぶりたくなるが、現実逃避もできないほど今は時間がないのだ。
「私は結界を張っただけだよな。それで英雄ってなんだろう」
「よく頑張りました、ってことじゃないのか?」
レスタがピュアすぎて、ニヤニヤ笑いを彼の腹に顔をうずめて隠しながら震えていると、ゴロゴロとのどを鳴らしながら抱き込まれる。暖かさと柔らかさと草原のような匂いに、二度寝をしようと目をつぶるとジークが待ったをかけた。
「体がつらいか?」
「え? 現実逃避ぎみなだけだけど」
「それならもう少し起きていたほうがいい。ヴァージルとロイがそろそろ情報を持ってくる」
アラステアが意識不明だったからこそ引きこもっていられたらしく、目覚めた救国の英雄を放っておいてくれるわけではないようだ。このまま何も知らずに外に出て、大聖女を含めた彼らの言いなりになどなったら、絶対長兄から文句を言われるだろう。
この世で一番愛しているのはレスタだが、それとは別の意味で大好きな家族なのだ。彼らに迷惑をかけるようなまねはしたくなった。
「だが、精霊の認知を一気に上げるにはいい方法だったのではないか?」
アラステアの精神的疲労を労わったレスタに足を絡めて抱き着きながら、その通りではあると納得する。
「でもさ、ちょっといきなりすぎるんだよ。もう少し根回しとか外堀を埋めるとか、したかったなぁと」
せめて家族に精霊を会わせて、正しい知識を持った状態で知名度を上げたかったのだが、今更文句を言っても仕方がない。最初にレラリアを手助けすると決めたのはアラステアなのだから。
「とりあえず魔王が復活しなくて良かった、良かった。一件落着と思うことにする」
レストラーダ聖王国の大聖女レラリアを助け、魔王を封じていた結界を再度張り直した功労者という評価は、冒険者が人々を助ける以上の好印象を与えるだろう。
しかも、精霊が再封印の一助を担ったと大々的に公表されるのだ。最悪自分ごと隠ぺいされる可能性を予想していたアラステアは、レスタの腹を枕代わりにしながら働かない頭を無理やり稼働させる。
「あー、本国との折衝はヴァージルに丸投げするとして、あとは衣装……と、褒美の確認……いらないものは拒否しないと……受け取ってから、めんどぅ……」
考えなければならないことを言葉に出していれば、聞いていた彼らが情報を共有してくれるだろうと甘えたことを期待しながらまぶたを閉じる。
「わかった。そなたの代わりに情報を確認しておくよ」
ゆっくりと呼吸する毛皮の下から低くて穏やか声が響き、そういえば再封印の時、レスタが吼えたのを初めて聞いたなぁとアラステアは小さく笑ったのだった。




