魔道王子、ネズミの真名を知る
・このお話はフィクションでファンタジーです。
方向が決まればあとは進むだけだ。
自分を単純な人間だと考えているアラステアは、最初の方向さえ間違わなければ突き進むだけの実力を身につけたと自負している。もちろん途中で間違いに気がつけば方向を転換する余裕もあるし、前世日本人は周囲に配慮する癖も抜けていないので、帝国の皇子の中では穏健派と言われていたくらいだ。
いや、あれは比べる相手が酷すぎるのだが。
秘匿性の高い伝言を送るためにバッグから魔道用紙とインクを取りだしたアラステアが、ペンも使わずに精密な魔方陣を描いていく。壺から細く伸びたインクが色を変えながら飾り文字として用紙に定着していく様子に、精霊たちはもとより同室していた男たちも黙って魅入っていた。
一枚は父である皇帝に、もう一枚はレストラーダ聖王国の大聖女レアリア宛だ。それから地図を取りだすと今いる国から魔道帝国のあいだにある国と主要転移魔方陣の場所を確認して、今度はペンを手にすると予約を取るための依頼書を整った字で書きあげた。
「おい、予約の日時がないぞ」
前から覗いていたヴァージルが長い指で机をたたきながら指摘すると、アラステアは用紙に視線を向けたまま答える。
「いいんだ。予約はアラステア・シャムロック魔道帝国第三皇子の名でとる。皇族や王族が転移門を使うときは多少日付が前後しても利用できるようになっているし、日付のない予約は到着してから最短の空き時間に入ることができるんだ」
「うわ、ずりぃ」
露骨に顔をしかめた男が腰に手を当てて肩をすくめると、三枚の依頼書を確認していた青年が書類を渡しながら笑った。
「ヴァージル君もいい加減慣れたまえ。君はそのズルが可能な人間の直属の部下なのだよ」
「……それは皇太子殿下のまねか? むかつくからやめろ」
鳥肌まで立てながら依頼書を届けに部屋を出ていく痩せた男に手を振ると、背後から地図をのぞき込んでいたジークが肩越しに腕を伸ばす。覆いかぶさるような男の気配に固まったアラステアに、レスタとは異なる低くて落ち着いた声がかけられた。
「主要街道を行くと大回りになるこことここは、うちの馬たちならこう抜けられる」
かたい指が街道と街道を短縮するように動き、途中に小さな町を経由した行程を示すと指を戻しがてら優しく頬に触れていく。
「……無許可のおさわりは禁止です」
「では次からは声をかけよう」
低く喉を鳴らして笑う気配にむくれるとレスタの喉が不愉快そうに鳴った。
「私のものなんだが」
「友人としての触れ合いの範ちゅうだ」
レスタとジークが見つめあい、横から地図を見ていたロイがあきれたように首を振って立ち上がる。
「久しぶりに会えたからアラステアに構いたいのはわかるけど大人げないよ、二人とも。それに触りたいなら堂々と触ればいいじゃなか」
言いながら腕を駆け上がりロイはアラステアの頬に口づけて二人を挑発するように見た。部屋の中の空気が固まるが、小さなネズミは気にせずにすりすりとアラステアの首筋に頭を擦りつける。
「ああ、私もそうしよう」
硬直から回復したレスタが笑いながらアラステアの腕の下に頭をくぐらせて楽しそうに見上げてくると、耐えきれなくなったアラステアが笑いだした。
「俺だけ許可制か?」
自由な精霊の行動にあきれたジークが、腰に手を当てながら憮然とした顔で確認してくるのがさらに笑いを誘う。
「ジークは人間なんだから、人間の礼儀に則って行動しなよ」
小さな体で自分の契約者をからかうロイが、笑いを収めてテーブルに戻ると恭しく頭を下げた。
「アラステアが本気で僕たちのことを考えてくれているから、僕も君に名を預けるよ。ジーク。僕の真名を彼に教えてあげて」
あらかじめ決めてあったのか、ジークも机の向こうに立つと厳かに告げる。
「メルディロイス。彼の真名だ」
「では私も二人に。私の秘密名はフォルスネルト。魔道士の根源の名だから内緒だよ」
そういって笑った青年はわきの下から頭を出すレスタを撫でながら、小さな友人と指一本で握手をしたのだった。
ギルドが予約した食事処は半個室で、持ち直った気分のままアラステアは舌鼓をうった。先にギルドから連絡があったのかレスタの入店も問題なく通され、これからの旅程や途中であいさつに行かなければならない場所の確認をするとギルド直営宿屋へと戻った。
ギルド直営の宿には十人ほどが一度に入れるシャワーブースがある。シャワーといっても頭上から温水が流れ出てくるだけだが、汚れることの多い冒険者にとってはありがたい施設でもあった。仕切りがない上に男女兼用なので女性は滅多に使用することはなく、早朝に女性専用時間が設けられていた。
ちなみに、その女性専用時間にわざと間違えて入った男は、利用していた女性冒険者にボコボコにされて全裸で浴室に吊るされた。首にはご丁寧に『ご自由にお使いください』と書かれたカードが下げられ、男性冒険者にも笑われたらしい。
そんな事情であるため、アラステアの入浴は人の少ない夕食時や深夜に行われることになった。
「偉い人って面倒なんだね」
実情を知ったロイがしみじみとつぶやくと、上着を脱いでいたアラステアはおかしそうに笑う。
「いちおう皇族だからね。国の代表がみだりに素肌をみせてはいけないとか、面子とかがあるんだよ」
「……アラステアって前は女性だったじゃん。男の体は驚かないの?」
「もう二十六年も付き合ってきた体だ。さすがに見るのも見られるのも慣れたよ」
今浴室にはアラステアとロイとヴァージルがいた。ロイは付き合いで、服を着たままのヴァージルは見張り、扉の外にはジークが立っているので守りは万全だ。ヴァージルは侍従兼任なので裸を見られることに恥じらいはないし、ロイは友人だから問題ない。ジークは一緒に入ろうとしたがヴァージルに止められて残念がっていた。
アラステアとしては依頼の最中に水浴びをすることもあるだろうから気にする必要はないと思っていたが、目つきの悪い男があまりにも真剣に「けじめは必要だ」と言ってくるのでこの形となった。
さっさと全裸になりお湯を浴びる。一時期はシャワーを開発すれば前世チートできるかと思ったが、この大陸は水資源が豊富で、節水せずとも清潔な水が手に入るのだ。そのためわざわざ少ない水量で体を流すシャワーなど必要がなかった。
「わ~、アラステアの裸を見たってジークに自慢してこよう~」
うきうきと楽しそうに隙間から外に出て行ったロイを見送り、さっさと石鹸で髪と体を洗っていく。手足はかさついて外で働く人間特有の硬さがあり、体の数か所に魔道を使っても消しきれない傷跡が見える。筋肉質で引き締まっているが、ジークのように体に厚みはなく、もしかすると皇太子の長兄よりも細いかもしれない。
ちらりと後ろにいるヴァージルを見る。身長は頭一つ以上高く、耳や襟足にかかる長さの金髪は無造作に流されていた。体の厚みは同じくらいに見え、今は浴室の壁に背をつけてアラステアを直接見ないように視線は伏せつつ警戒している。それでも彼の基礎体力は自分を凌駕しているのは理解していて、レスタと同じく甘やかしてくる家族や配下たちには感謝しかない。
「おまたせ。交代しよう」
寝間着を着てタオルで髪を拭きながら声をかければ、ヴァージルとジークが備え付けられた棚に服を脱いでいく。腕を動かすたびに背中の筋肉が盛り上がり、上半身に比べると相対的に細く見える腰から引き締まった臀部があらわになっていく。
「ジークの裸を見て楽しいの?」
ジークと一緒に戻ってきたロイが肩に上ってくると、小さな体で髪を拭く手伝いをしながら聞かれた。
「楽しいというか、男として羨ましいかな。戦う男の身体って感じで」
正直に答えると、納得したネズミの精霊がしばらくお湯を浴びる二人を見てから青い目を向けてくる。
「そっか。ジークはたくましいけど、アラステアは綺麗な身体付きだったもんね。それでレスタだけを部屋に返した理由は?」
話は大切な精霊の不在に及んで、誤魔化すように視線を迷わせるもその程度で諦めない彼に小声で理由を話した。
「千早とレスタにはお風呂での記憶があるんだよね。それを思い出すとちょっと問題で……」
「ああ。人型で千早を丸洗いしたって楽しそうに言ってたね」
やっぱり知っていたか、と顔を赤くした黒髪の青年にロイはにやりと笑って体を洗っている男たちを見る。
「人型であるという最大の利点を生かしても、レスタと千早の絆にはまだまだかなわないんだろうなぁ」
やはり自分の契約者の肩を持ちたくなるのか、そんなことを言ったロイはやれやれと人間臭く頭を振ったのだった。
申し訳ありません。
十話、『魔道王子、怒る』に守備兵とのいざこざを追加しました。
長くなった分の十話の残りは次話に回しております。
まぁ、街の警備兵いざこざがあったよ~くらいに思っていただけると、読み返す必要はありません。




