そのネコ夢を見る
今夜は満天の星空。キラキラと光る星以上に存在感を醸し出しているものがあった。それは、赤、橙、黄色、緑、青、藍色、紫と並ぶ。星達で織りなすサテンレースの空へとつながる七色の輝く光の橋に向かって、住み慣れた家の窓から飛び出し、四本足で思いっきり駆け上がる。アケミは、長らくお気に入りの場所を巡って昼寝にかまけていたため、走る振動でお腹の肉がたぽたぽ揺れている。そんな姿も含めて愛らしいフォルムの持ち主だ。シャンシャンと赤いギンガムチェックの首輪の鈴を鳴らし続け、一直線に上り続ける。必死に走るアケミの瞳は、今夜の一等星よりも輝いていた。
「早く行かなきゃ!今夜はいっぱいいっぱい話したいんだから!」
気持ちが急く。考えれば考えるほど期待に胸が膨らみ、今にもドキドキと心音が天国にでも聞こえてしまいそうだ。アケミの口が閉まらないくらいの口呼吸になったころには、サテンレースの流星群が近づいてくる。下を見る余裕はないが、地上の星も負けじと輝いていることだろう。アケミの周りにカラフルで千々の星が踊っている。くるくるとアケミも合わせるように橋の上で回る。星を一つ一つ覗きながら、くるくる、くるくる、何度も回る。目をきょろきょろと動かしながら、目的なものを探している。
「こんなに会いに来てくれてありがとうね!皆大好きだよ!でもね、今夜はアキ子母ちゃんに会いたいの!母ちゃんどこなの!」
「アケミちゃん、ここですよー。」
同じ方向に回り続けて、ふらふらになったアケミの頭上から、他の星より遥かに小さい星が1つだけ落ちてきた。触れた瞬間、全身を眩しい光が覆い、瞼を強くつむる。
眩しさの中、ゆっくり瞼をあげると、真っ白い人の形が見えた気がした。まばたきして、しっかり見ようと強いし意思で凝視すると、次第に視界が開けてくる。一日の流れを伝える赤い夕陽、その夕陽で色づく橙白の空、視点を近場に戻せば、黄色く塗装された木製のベンチが1つ、その下に生い茂る緑、お気に入りの青いギンガムチェックの割烹着を上から被り、藍色のデニムパンツで老いた女性が一人でベンチに腰かけている。その左には紫色の座布団が敷かれている。目頭に皴をたくさん集めて微笑んでいた。アケミは、たまらず助走をつけてその胸に飛び込む。女性は、今にも折れそうな頼りない両腕で、アケミの愛情を受け止めた。顔をずりずりと押し付けて、青い割烹着は、三毛色に変わっていきそうだ。
「アケミちゃん、よく来たねー。母ちゃん会いたかったよー。」
「母ちゃん!私も会いたかった!今日は会えるんじゃないかって思って、ずっと空見て待ってた。ずっとずっと…」
アケミは、毛まみれにした割烹着からがばっと顔を上げ、母ちゃんの顔を確認する。しわしわな顔は、別れる前のままだ。それだけでも鼻の奥がツーンとする。
「ありがとう、嬉しいよ。ここから皆を見ていたよ。父ちゃん、最近また散歩するようになったのね。」
「う、うん。あの頃に比べたら、いっぱいお外出るようになったよ!」
あそことね、こことね、最近は新しくできたお店に散歩に行っているんだとか、父ちゃんの報告を思いつく限り、マシンガントークで進めていく。
「それはよかったよ。あのまま後追われたら、帰りなさい!って追い返そうと思っていたからね。アケミちゃん残して勝手に死なれちゃたまんないわ!ふふふ。」
「母ちゃん…。母ちゃんも、勝手に置いていかないでよ。さみしかったんだよ…。」
いっぱい言葉にしたいという衝動よりも、感情が勝ってしまう。大きな瞳から、同じ大きさの涙の粒が溢れ出す。あらあらと、右腕の袖で優しく拭ってくれる。
「ごめんね、アケミちゃん。母ちゃんが悪かったよ。父ちゃんにも、光彦にもあんなに長期間もわたって看病させて大変な思いさせたね。2人には、来た時にでもありがとうって伝えなきゃね。アケミちゃん、いつも頼りない2人の面倒を見てくれてありがとうね。」
「…!そ、そうよ!本当、私が起こしてあげなきゃ、起きないんだから!光彦はこの前、深酒して、雑魚寝したのに、目覚まし時計鳴っても起きなかったのよ!私が可愛く鳴いても起きないから、ガブっと鼻の頭嚙んじゃった!」
えっへんと胸を張るアケミの姿に、母ちゃんの顔がほころぶ。
「アケミちゃん、頼もしいわ。そういえば最近、ゴンちゃんがまた追いかけられていたのよ。あの時、一緒に家族に迎えてあげられれば良かったのだけど、逃げちゃったから。父ちゃんと心配していたの。」
「え、ゴン追いかけられていたの!っていうことは、町の雄猫の勢力図が変わってきたんだね。ゴンももう6歳だから、野良猫世界では若い猫達に負けることが増えるかも。私のたった一人の兄弟だもの、私も心配だよ。母ちゃんの気持ちはうれしいけど、ゴンは家に上がりたがらないと思う。一人で生きて独りでひっそり死ぬんだと思う。」
先ほどまで鼻が高くなっていたアケミは、ゴンの話題に変わった途端、この前のゴンとの会話を思い出し、顔を大きく横へ振った。
「そんな悲しいこと言わないで。この前も、若い白猫が追いかけまわして怪我していたわ。ここからだと何もしてあげられないの。アケミちゃんのお兄ちゃんだもの、いつでも家に上がっていいよって伝えてあげて。父ちゃんもアケミちゃんを迎えた時から、ゴンちゃんを家族に迎えたがっていたわ。寒い寒いってお庭で縮こまって眠っているのよ。」
「気がつかなかったよ!あのおばかさんは全く!レオンが老いすぎる前はよく守ってもらっていたのに覚えてないみたいだし。現金な猫なのよねー、家に呼びたくないなー。」
アケミはいつもリビングの座布団で眠っているから、お風呂側で寝ているゴンちゃんに気がつかないと思うわっと、母ちゃんがくすっと笑う。
「レオン君って、ハチワレのわんこちゃんかしら。アケミちゃんを保護したときに、2匹のご飯分け与えてくれたあのお利口さんよね?」
「わあ、6年前なのに覚えていてくれたんだね!そうよ!あの子がレオン。今や私の大事な友達よ!」
ぱああと、アケミの顔に向日葵が咲いた。
「もちろんよ、だってアケミちゃんとの思い出よ。本当にレオン君は素敵なお友達ね。」
「そうやって母ちゃんは憶えていてくれるのに、ゴンは保護される前に、生まれ変わる前の雀のピーちゃんが果物も木から落としてくれたことも、レオンがご飯分けてくれたことも覚えていないんだよ。こっちが悲しくなっちゃう。」
また表情がかげるアケミ。母ちゃんが、アケミの感情を察するように優しく抱きしめる。
「アケミちゃん、ゴンくんは忘れていないと思うよ。ただ毎日が忙しくて、ゆっくり幸せに浸かれないんだ思う。心の余裕が出来たら、分かってくれるだろうから、今は我慢してあげて。」
「大好きな母ちゃんがそういうなら我慢する!」
たくさんのことを一気に話したら、唐突にふわぁと欠伸が漏れるアケミ。猫のおでこよりより大きい手が優しく撫でてくれる。久々の感覚で、うとうとと目を閉じてしまう。
ドタドタと降りてくる音とともに、家がきしむ。背広を羽織り、前をしめていない中年が髪型も直さず、リビングのテーブルに置かれている吉郎特製のかつおだし香るごま油おにぎりを大口に頬張り、玄関へ急ぐ。
「アケミ!起こしてくれよ!父ちゃん、行ってきます!」
「おお。光彦いってらっしゃい。車の鍵は、玄関にかけてあるぞ。」
「ありがとう!」
光彦は、扉の鍵をしっかりしめて、仕事に向かっていった。一連の騒動が落ち着いたころに、リビングのお気に入りの紫色の座布団で、日が昇るまで眠っていたアケミは、涙を一粒落とし、大あくびをしたのであった。