そのトリ夢を見る
日勤との引き継ぎを行った後、デスクに置いてあるボートにカラフルなメモ紙を貼り付け、これからの時間のスケジュールをまとめ、整理する望海は、本日夜勤である。望海の務める病院には、多くはないが病床があり、日勤と夜勤がシフトで組まれている。昼間までゆっくり眠っていたので、今夜のコンディションは悪くなさそうだ。可愛いピーちゃんに見送られながら出勤したので、今のところ機嫌も良い。これが朝になって、日勤と引き継ぎするころにはどん底に落ちていることも毎回だ。担当している病棟の患者は、年配が多い。この前は、トイレで隠れて煙草を吸った80歳前後の爺さんのおかげで、スプリンクラーが発動して、散々だったなと、思い出してため息をついてしまった。
「羽島さん、今のため息だと福が逃げますよー。」
「ノッキー!なにー?自慢でもしにきたのー?」
望海の顔を覗き込んできたのは、ショート髪でウエーブがかかった茶髪の女性で、ナース服の上に紺色のカーディガンを羽織っていた。望海と目が合うと、にかっと笑う。
「いやいや、ノゾちゃんみたいに、インコ自慢するほどのものないから。結婚イコール幸せじゃないよ。私は、両親に反対されたから、親友たちしか結婚式呼ばないし。」
「ありゃ、どうしたの。新婚さんになるのに喧嘩でもしてきたの。」
望海は、目をぱちくりさせる。惚気でも話してくれるかと思っていた望海からしたら、想定外の返答だった。もう散々ピーちゃんに愚痴を聞いてもらった為、心の整理はついていたので、軽く祝福の言葉を贈るつもりだった。
「まあね。同性だから色んな目で見られるんだけど、何度も相談して結婚式作り上げていたのに昨日行ったら、ここでは式は挙げられないって言われたの。今までいた上の人間が別の人に変わったらしくてさ。悔しくて、あの子は今日も朝から泣きじゃくってて。」
「おお…。ノッキー大変だったね。またここから金銭含め問題出てくるじゃん。今日は、まだ元気な羽島先輩がバリバリ仕事するから、少し甘いものでも食べて休みなよ。院長も許してくれるよ。」
こういう時に返す言葉を瞬時に判断することは得意ではない。いつも激情に任せて愚痴を言っている自分をこの時ばかりは恥じる望海だ。落ち込んでいる彼女は、愛想笑いを浮かべた。
「ありがと。仕事はしっかりするよ。下手にもの考えない方が気も楽になるし。」
むむむと、悩む。望海にとって、ノッキーが落ち込んでいる姿は、喜ばしくはない。ハッと、思い浮かんだことが良い発想だと確信し、にんまりする。
「ノッキー、結婚式は海辺でやろうよ、羽島先輩が独断と偏見で決めちゃう!」
「いつも思うけど、その突発的な発想はどこから出てくるの。」
あははと笑うノッキー。どちらかと言うとあきれているようだ。
「え、かわいいピーちゃん見てると出てくる。ウエディングドレス着て、蝶ネクタイつけたピーちゃんと浜辺を歩く夢見たんだー!」
「へ、へぇ?まあでも、手作りの結婚式もいいね、大変そうだけど。帰ったら相談してみるね。ありがとう、ノゾちゃん。」
「いーえ!ノッキーは、笑顔が一番!あと、患者さんに唯一怒るあの気迫さも一番。」
「一言余計だよ!」
互いに変顔してにらめ合って、同時に笑う。ノッキーこと、軒は看護学校からの望海の友人だ。望海のアパートにも何度も遊びに行っていて、ピーちゃん自慢もよく聞かされている。ナースステーションでも、シフトが同じならよく隣に座って仕事している。今夜も見回り以外の時間はそうなるだろう。
今夜は集会もなく、望海もいないから、夜は静かに鳥かごの中で遊んでいるピーちゃんだ。部屋の電気もつけられていなく、おまけにかごは布で覆われている。月明りすら入り込まないため、真っ暗そのものだ。その暗闇の中で、チリンチリンと鈴の音が響き、ピィピィとか細い鳴き声だけが聞こえてくる。泥棒でも入ったら、心霊現象とでも勘違いするのではないだろうか。もちろん、そのような現象ではなく、鳥かごの中の住民の仕業である。かごの中にぶら下げてあるお気に入りの鈴に顔を突っ込み、飽きることなく、鳴き続けているのだ。
「鈴に、プロポーズ練習するのもこれで何回目かなー!マイハニー早く帰ってきて!愛をささやかせて!」
ピーちゃんは、今夜も通常運行だ。独りだからといって、感傷に浸る性格ではないようで、ピーピー!と気が済むまで、プロポーズの練習をし、勢いよくご飯を食い散らかし、止まり木に戻り、片足上げて眠るまでの動作に無駄を感じない。寝息をたてれば、鼻提灯を作って気持ちよさそうに眠りについた。
ざざぁと、波の引く音が耳に届く。閉じていた目を開くと、目の前には壮大な海があるのだろう。ほとんど見えるものは、砂である。砂浜を歩いているようだ。ああ、これは夢だ。ピーちゃんはそう確信する。海なんて、望海が真剣に見ていたドラマに数回出てきたシーンを見たくらいだ。髪を乱しながら走るヒロインが定番だったような。瞬きしても、風景は変わらない。透き通るくらいコバルトブルーな海、雲一つないターコイズブルーな空。同じ青なのに、見え方が違って面白いかもしれない。
「マイハニー!!世界で一番愛しているぞー!」
寝る前までやっていたプロポーズの練習の続きをしてみる。ピィピー!と叫ぶと、なかなかに爽快だ。
「私もだよ、ピーちゃん!これから結婚式なんて、ドキドキしちゃうね!」
さっきまでいなかったはずの望海が、後ろからピーちゃんを両手ですくい上げる。目線が上がるにつれて、海の青と、空の青の視界に入る比率が変わり、遠くに見えても交じり合わないようだ。
「オレもうれしいよ!マイハニーと、けっこ…結婚!?」
ぐるっと首を望海にむけて、口をパカパカさせる。望海は、頭にカラフルな花冠を乗せ、レースをふんだんに使用したパールホワイトなドレスを身にまとっている。耳や首の周りは、ピーちゃんの頭部くらい黄色いシトリンが飾られている。
「うん!あともう少しで準備できるって!」
もう視界には、海だろうが空だろうが映らない。映るのは、望海の太陽のような笑顔だけだ。
「マイハニーにオレの声が届いているってだけで幸せなのに!こんな素敵なマイハニーと結婚までできたら、空の上の神様だってヤキモチ焼いてしまうんだろうな!」
くるくると手のひらの上を回り、愛する彼女に一番かわいく見える角度で、見上げてみる。喘げた先には、頬を赤らめた望海。
「またまたそういうこと言ってー!」
「だって、絶対こんなかわいいお嫁さん貰えたら思うって!」
パタパタと軽く羽根を動かし、かわいい自分を望海に見せながら、彼女への愛を伝える。望海もまんざらでもないようで、目じりに少ししわを寄せる笑顔で、顔の近くまでピーちゃんを持ち上げる。どんどん近くなる望海の唇は、ふっくらしていて、紅を乗せているようだ。艶もある。望海の温かい息がかかる距離まで来た。
「ピーちゃん、出会ってくれてありがとう!これからもずっと一緒だよ!」
「もちろんだよ!マイハニー!90歳になってもオレがそばにいるから!」
愛らしい望海と、見つめ合う。視界いっぱいに彼女を映して、ピーちゃんは小指の爪くらいしかない嘴で、赤く染まった唇に口付けをした。
「ピーちゃああああああん!!」
望海の絶叫が頭に直接響く。ばっと上を見上げ、
「どうした!ハニー!」
こちらの声が届くように大きな声で答えたら、目の前の望海は、いつもの出勤用にしている普段着だった。薄明るくなった白い壁が目に映る。
「ノッキーが大変なのおおおお!」
勢いよく鳥かごシェイクされ、ああ…現実に戻ってきた!この思いに応えなくては!と止まり木で踏ん張って、耐え続けたのであった。