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夢喰いアニマル’ず  作者: 琴之葉 矢乃
7/17

そのイヌ留守電を任される

 「行ってきまーす。」

平日の早朝。残っていた最後の家族が家を出ていく声をペットサークルの中で浅い眠りに誘われながら、聞いていた。うつらうつらとしながら、聡太の声だったな、今日は鍵閉めたかなと再認するレオンは、家族が誰か帰ってくるまで、この狭い壁に囲まれて過ごす生活をもう17年くらい続けていた。若い頃は、サークルの中におやつ入りのボールが入っていて、よくおやつの匂いに誘われて、ボールの中から出そうと努力したものだ。今は、もうやらない。やる気もあまり起きない。この狭い空間には、ペットシーツが敷き詰められていて、端の方には、溢れだしそうなパウチのご飯皿と水飲みが常設されている。老いたレオンの尻には、犬用のオムツがつけられている。両親が帰宅するとまず替えのオムツと取り換えてくれる。裕太は、帰宅するとずっとスマートフォンをいじっていて、まれにオムツを外し、散歩に連れて行くこともある。聡太は、レオンに顔を出して、すぐに友人たちの遊びに行ってしまう。あまり関心を持たれていなくてもレオンにとって、裕太と聡太は息子みたいな存在だ。2人よりも早く成熟する存在だからこそ、ぽてぽてと両足が開いて小さい歩幅で歩いていた子ども達を愛おしいと感じたし、守らなきゃと思って、散歩中も息子より前を歩き、よく振り返って確かめていた。この足が自由に動いたころは、鯉が泳いでいる小さな池を敷地内にもつ公園でボール遊びしたなと、船をこぎながら懐古する。

「また、遊んでやりたいな…」

脳裏に浮かび上がるのは、テレビに映った犬に真剣なまなざしを向けて呟いた裕太だ。ここ最近、何度も思い出すことでもあり、それはレオンの心を締め付ける鎖のようだ。右前足を軽く動かしてみると、古い爪が外れず太くなった爪が、空を切るだけだ。欲しいものはここにない。そんな感覚に襲われながら、ひとときの眠りについた。

 空腹をおぼえて目を覚ますと、西日が眩しい。立ち上がろうと後ろ足に力を入れる。両足は自重を支えようと踏ん張るが、しっかり自立したころには体の幅以上に開いてしまった。その力で排泄も促されたことも匂いで分かった。お尻に冷たさを感じないから、オムツはすごいものだなとボーっと思いながら、冷え切ったご飯を食べに行く。口に運ぶだけで、こんなに疲れるなんて、若い頃は考えもしなかった。そろそろ息子たちは帰宅するのだろうな。子供の頃みたいに、学校であった出来事を報告してくれたら嬉しいのに、いつからだろう、してくれなくなったなと思ってみたり、あの頃みたいに、ぎゅって息が苦しくなるくらいがむしゃらに抱きしめてほしいと思ったり、独りの時間は止めどなく叶わぬ希望を抱いては、空虚感に苛まれる。食事をすることも終わりにして、何もやることがなくなったレオンは仕方なく、もう一度横たわる。もうひと眠りと、瞼をゆっくり閉じた。その瞬間、玄関の扉が勢いよく開き、その冷風がレオンの体温を一気に下げた。目を見開いて、きょろきょろすると、玄関から跳ねるように靴を脱ぎ捨てる祐太が視界に入る。ダダダとすごい形相で近づいてきて、

「散歩いくぞ!」

乱暴にオムツを外され、大判のウエットティッシュでお尻をふかれ、羽交い締め状態でハーネスを装着され、祐太の大きな両腕に抱えられながら、外に拉致された。ひと眠りどころじゃない。レオンは、何が起きているのか一生懸命状況把握に努め、どうも強制的に寒空の下に連れていかれているということは理解したが、なぜどうして、頭の上にはクエッションマークが浮かぶ。そんなことは気にしていない祐太は、手を使わず、脱ぎ散らかした運動靴をもう一度履きなおし、トントンとつま先をタイルで調整すると、玄関に入ってきたときと同じ勢いで、飛び出した。

「待たせた!」

語尾が躍った声をかけた先には、祐太と同じ学校の制服の女の子。黒い髪を桃色のゴムで結い上げている。その子の小さな腕には、更に小さな茶色の毛玉。トイプードルだ。レオンの目から見ても、相当な年齢かもしれない。自分のように覇気のない瞳をしている。女の子によりかかる形で、態勢を保っているようにも見える。

「細野君、早かったね。驚いちゃった。こんにちは、レオン君。」

「じゃあ、川谷、い、行こうか!ほれ、レオン歩けー!」

同じ目線にあったはずの天使の微笑みから遠ざけるように、否応なしに地に足をつかされた。

「祐太が楽しそうなんだ!頑張らないと!」

レオンは、ワンとひと鳴きして、鉛のような足でこの老いた体を支えた。上を見上げれば、耳を赤くしている祐太がいる。川谷という少女も、ハルカを優しく抱えながら、歩き始める。祐太のハーネスに引っ張ってもらいながら体を支え、歩き出す。

「本当にレオン君はお利口さんだね。細野君の邪魔にならないように歩いているね。」

川谷と祐太が他愛のない会話で盛り上がっていたのに、突然レオンを褒めてきたのは、いつもの遊歩道に到着したころだった。褒められたレオンは、2人を見上げる。祐太の目が驚きでいつもより開いている。間抜けな声が聞こえた気がする。

「細野君みたいに歩けたことないよー。ハルカはよくリードを足に絡めてきたから!あっちこっち気になって寄り道するから、何度も転んだよ!ふふ、懐かしいな。」

こちらに笑いかけていた川谷のまなざしは、腕の中で小さくなっているハルカに注がれる。祐太も釣られて茶色い彼女を見るが、今の姿からは想像できないのか首をかしげている。

「僕も、しちゃったことあるよ。」

レオンが、謙遜するようにワンワンと軽く鳴くと、川谷は慈愛に満ちた笑みをこちらに向ける。

「本当にすごいなー。レオン君は今でもボール遊びするの?」

彼女が視線を祐太に戻すと、祐太の表情が固まる。耳だけ真夏だなと微笑ましい光景に顔がほころぶレオン。

「あー、最近やってないな。久々に公園行くか!」

今、完全に声が裏返った。レオンは、2人を見上げながら、心の中で祐太に突っ込みを入れた。ボールは持ってきていないぞ、そして、散歩道具も忘れているぞ、と。

 公園は遊歩道を抜けて、橋を越えた先にある。レオンが子供のころは、橋の途中から公園が見えてきて、祐太や聡太が短い足を必死に動かしてどちらが先にゴールするか競っていたものだ。レオンのリードは、お父さんが持っていたから一緒に走れなかったことは、今でも残念だと思う。そんな祐太も、もう高校生であり、それまでに大分風景が変わってしまった。橋から公園は見えなくなっている。代わりに見えるものは『P』と平べったい色ぼけた灰色の鉄筋コンクリートのビル。最後に公園に行ったのが祐太小学6年生の冬だったから、その頃にはもう工事が始まっていて、音がうるさくて参ってしまったなと、思い出しては、今もそこにあるのか心配になってくる。

「ここの公園、だいぶ遊具なくなっちゃたね。前は、ブランコやローラー滑り台、鉄棒とかあったのに。あ、池はあるんだねー。」

川谷は、到着した公園できょろきょろと辺りを見渡し、藻が浮いている池の前でハルカを抱っこしたままのぞき込む。

「本当だー、老朽化で撤去したとは聞いていたけど、新しい遊具が出来てないんだな。」

「ねー、残念だね。」

彼女はこちらに振り返り、踵を返す。その腕の中のハルカは、ここにきてしきりに地面を見ているのだが、他のことに気を取られていて川谷は気が付かない。

「ハルカちゃん降りたがっているよ!」

ハルカの仕草を教えようとレオンは、ワオワオ!と少し大きめの声で、川谷に鳴いてみる。彼女の体がびくっと動いて、レオンの視線の先を追ってくれた。ようやくハルカと川谷の目が合ったようだ。恐らく川谷は、いつもそうやって誰かの視線の先を一緒に見てくれるよな少女なのだろうな、とレオンは感心した。

「ハルカ、ごめんね、降りたかったかな。」

しゃがみこんで、足が着くまで離さないように気を付けながら下ろしている。祐太なんか、家を出るとき、ポイっと投げたな。と性格の違いをしみじみ感じた。

「あー、レオンすまん。ボール忘れた。」

祐太の間抜けた声が頭上から聞こえてきた。今まで気が付かなかったんだね、とレオンは彼を見上げた。頭の後ろを左手でカリカリかいている。祐太の昔からの癖だなと、目を細めた。

「ハルカは、トイレだったみたい。お待たせ。」

川谷は、いつの間にかトイレの片づけを終えて水入りペットボトルをトートバッグにしまっていた。それを見た祐太は、

「!!やば!レオンの散歩道具一式忘れた!」

今日の祐太の表情はコロコロ変わって面白い。赤くなったと思えば、次は青くなる。最近全く見せてくれなかったものを見られただけで、今日は幸せに眠れるなと、レオンはほっこりしていた。

「それは大変!今日はもう帰った方がいいかもね。」

軽く片手で口を覆う仕草をする川谷の指は、乾燥のせいかかさついている。

「誘ってくれたのに川谷ごめん。抱えて家に連れて帰ることにする。粗相させるわけにいかないし。」

「私は、大丈夫だよ。今日はハルカと一緒に散歩してくれてありがとうね。うれしかったよ。」

高校生2人は互いに手を振りあって、公園で別れた。そして、レオンは逞しい祐太に小脇に抱えられながら、家まで爆走する羽目になるのだった。


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