そのアニマルはことばを交わす
日が沈むことを合図に街は姿を変え始める。昼間の住民が寝静まった頃には、夜の住民の街になる。それはこの街も然り。家の軒下からヤモリが動き始めたら、それが始まりだ。夜を照らす街頭には、虫達が集まり踊る。季節としては秋の色も濃く出てきているため、全盛期の夏に比べれば3割ほど少ない。日が昇っている時間帯には草むらや寝床に隠れているげっ歯類も用事を済ませに動き出す。しかし、それは生物に限らない。体を持たぬ者達も夜の街を闊歩しているかもしれない。川岸の遊歩道の街頭は、夕方にはなかった現象を起こしている。断続的に且つ不規則に点滅していた。そんな夜の空を見上げれば、今夜は満月には少し足りない気がした。
アパートの一室で規則正しい寝息が聞こえる中、カタカタと鳥かごが音を鳴らす。上からかけられている布が防音してくれているおかげで、ベッドで眠っている彼女は気がつかない。今回は布の切れ目ではなく、文字通り布を通り抜けてピーちゃんが出てきた。
「望海は、ぐっすり寝ているね。いい子だねー。すぐ戻ってくるからねー。」
少し身体が透けているピーちゃんは、羽ばたきながら、望海の顔を覗き込む。熟睡している望海の耳には、ピーちゃんの声は届かない。一周二周と望海の上を飛んだら、鍵の閉まっている窓ガラスから、これまたすり抜けて外へ飛び出して行った。夜風は肌寒い。本来ならそう感じるかもしれないが、透けているピーちゃんには何も感じない。それもそう、透けているということは、このピーちゃんは体感するはずの身体そのものを持たないのだから。今なら、所定の場所までひとっ飛びだ。寄り道も羽休めもせず、住宅と住宅の間をすり抜けて、道路の上空を斜め横断し、約束の川岸へ一直線で飛んでいく。
「以前ショートカットに使った家は、夜更けでも起きていたんだよな…。この姿を見える人間は多くないけど、見られたらまた神様に怒られてしまう!」
ブツブツと呟いているうちには、目的地の真上だ。ゆっくり下降して行く。遊歩道の地面が見えてくるにつれて、もふもふの動物が2匹座っているのが確認できた。当然、2匹も体が透けている。
「よお、2人共待たせたー!なかなかマイハニーが眠ってくれなくてね。」
と、軽い口調で話しながらハチワレ犬の長い鼻に着地した。
川岸の遊歩道の片隅には、セキセイインコのピーちゃん、三毛猫のアケミ、雑種中型犬のレオンが集会を定期的に開いている。今夜はその集会日だ。月入り目前の月明かりに照らされる水面がキラキラと反射する宝石のようである。
「じゃあ、揃ったところで始めようか。いつ家族が起きるか分からないし。雑談もしたいからね。」
集会の音頭を取るのは、いつも決まってレオンだ。レオンが口を動かしているときに上下に揺れているピーちゃんを瞬間的に叩き落とすのは、いつもアケミだ。そして、いつもスレスレのタイミングで避けるピーちゃんだ。ピーちゃんは、残念でしたーと、アケミの真上で旋回。アケミは、ムキになってパンチを両前足で繰り広げるが、一度も当たったことがない。
「……2人とも、毎回毎回懲りずにまあ。」
「おれ、楽しいよ!アケミのパンチはフェイントないから避けやすいし。」
「私は楽しくない!レオンも乗せておかない!地面に叩きつけなさいよ!」
ピーちゃんは、アケミの猫の性をわざと刺激している。もちろんアケミもからかわれていることを理解している。それでも本能を抑えることができない為、よく怒っているのだ。レオンはいつもの事だと自分に言い聞かせるように、まず今の流れを止めるために報告を始めた。
「裕太は、ここ2週間悪夢にうなされている回数が増えている。先月は3回だったけれど、今回は2週間だけで5回に増えた。恐らく、サッカーの試合が近づいているからだと思う。」
裕太の悪夢ばかり報告するが、他の家族達もうなされている事はある。特に両親は頻繁だ。皆は2階で眠っているから、犬としての体があると階段を登ることが難しい。そのため、幽体離脱してから向かうことにしている。
「ふーん。じゃあ、見る悪夢もサッカーとか学校のことなの?」
とアケミ。ピーちゃんを無視することに徹している。遊んでもらえないピーちゃんは、無意味に飛び回って夏の蚊だ。
「それもある。それ以外に夢で外出している場面でも苦しんでいる。いつも遊んでいる男友達と顔をペンで塗りつぶされている女の子と待ちあわせしているとか、男子達で集まってぎっちり書かれたノートを覗き込んでいるとか、スマートフォンを崖から落とすとか。」
スマートフォンを落とすのは、依存し過ぎているからだろうなと考えている。裕太は、実につまらなそうにしながらも四六時中触っている。
「青春だねー!多分あれだよね、友達と好きな女の子が被っているとか。若いねー!」
ピーちゃんがギュンと、レオンの顔前まで飛んできて、ウインクしてくる。
「ピーは安直よ。本人の苦悩と悪夢が合致することは多くないでしょうよ。」
と、ため息をつくアケミ。
「そんなことないよー!望海ことマイハニーの悪夢は、病室のベッドで筋トレして安静にしてない親父や酒を忍ばせて持ち込んだ婆さんに怒号飛ばしているよ。」
「……望海さん大変そうだね。まぁ、裕太の恋路に関わることは難しいし、それ以外の理由でも、夢見が悪くなる原因があるなら取り除きたいけれど。自分達に出来るのは対処法だけだから。もっと色々関われたらいいのに。」
ピーちゃんの飼い主の望海さんは、看護師と聞いている。日々の戦場の中で、理解できない何かと戦われているのだろう…と同情してしまう。レオンは目を閉じて望海の仕事場を想像に徹していたが、アケミの2度目のため息が現実に引き戻す。
「あのね、無い物ねだりしても仕方ないでしょうよ。悪夢に苦しめられている人の手助けするのが、神様から私達に与えられた役目だもの。彼らは悪夢を見続けてしまうと、ベッドから起き上がれなくなったり、夢と現実の区別がつかなくなったり、突然命を捨てたり。そんな悲しいことを未然に防ぐための『夢喰い』なのだから。」
「『夢喰い』はもちろんおれ達以外にも沢山いるけど、悪夢に苦しんでいる人に直接触れやすいのは家族になった動物だけ。制約が多くて、悪夢を沢山の人の分食べてあげることは出来ない。せめて大切な家族のは食べてあげたいし、そんなものを見ないで幸せになってほしいよねー。レオンの気持ちも分かるよ。」
アケミとピーちゃんが、レオンにもう一度、与えられた役目の説明を確認がてら話す。神様に聞いた話と、大切な家族がいる『夢喰い』の葛藤を。
「そうだね、裕太は自分から見たら息子のようなものだし、色々してあげたいって気持ちが先行してしまう。でも現実的な話、老いた体では、彼をイライラさせてしまうばかりだ。この前も若いシェパードの映像を見て、一緒にサッカーしたいと呟いていた。小さい頃のように遊んであげたいと思うのに、僕は自分の体の老いを隠すことで手いっぱいだ。」
レオンの頭の中で、裕太が自分へ向けるあの冷たい視線と、テレビの中の空想に向ける眼差しが脳内でループ再生される。霊体でありながらも、目頭から涙がこぼれた。
「『夢喰い』であろうと私達は、動物だから。生きる時間が異なるのよ。あなたもため過ぎる事は体に悪いから、吐き出しなさい。そうしないと心から腐っていくから。腐ったら最後、何も感じられない自分以外の何かに成り果てるよ。」
「アケミは、そういう人が身近に居ただけあって身につまされるね。アケミのところのじいさんは元気かい?この前の地震で、マイハニーに鳥かごを窓際から離されてしまったので、散歩コースすら眺めることができないんだよー。」
ピーちゃんは、小さい背中で守るようにレオンとアケミの間を割って入る。空中を羽ばたく翼が2人の視界を遮るように広がった。
「……。そうだったね、アケミの飼い主さんは体調優れなかったと記憶しているから、最近はどうだい?」
自分の話題から離れることに安堵して、肩の力が抜けるレオンがいるのは、ピーちゃんからもアケミからも一目瞭然だ。ピーちゃんは幾度となく、アケミにアイコンタクトを送る。アケミは静かに目蓋を閉じた。
「…。まぁいいわ。父ちゃんは、だいぶ元気になっている。母ちゃんの死が重くのしかかってきていたから、あの頃はこの会にも顔出せなくてね。父ちゃん、毎晩うなされていたわ。今は自分で大好きだった料理を作れるだけ回復した。まだ思い出のつまった散歩コースは歩けないようだけど。別コースで散歩しているらしいわ。わざわざ帰宅すると寝ている私に報告してくれるから。」
「仲睦まじいご夫婦だったからねー!立ち直れてよかったよ!おれのハニーはいつも変わらないよ!また入院患者のおば様に見合いの話を持ち込まれて、怒っていた!鳥かごを全力でシェイクしてきた!元気でなりより!」
「落ちて頭ぶつけたら少しはその鳥頭どうにかなるかもしれないわね。」
「インコって鳥だよ!アケミって天然だねー!」
「ぬぬぬ…!」
「まあまあ、2人とも落ち着いて。」
レオンは、顔を横に思いっきり振ってから、慌てて2人をなだめる。
「全く!レオン、私が本気で怒るようなことがあったら、地獄まで追いかけるからね、覚悟なさい!」
「こわっ。」
アケミの迫力に瞬間的に声が漏れたのはピーちゃんだった。アケミの目が見下ろしてくる。ピーちゃんは、今にも壊れてしまいそうになるくらい限界まで肩をすくめる。
「ピーは今度こそ土に埋めてあげる。花でも咲かせると良いわ。私達はずっと昔から友達なのだから、もっと頼りなさいよ。じゃあ、父ちゃんは3時から4時には起きてしまうから帰るわ。今度は進展したことを聞かせてね。」
すくっと立ち上がったアケミは、両前足をほぐすように伸ばし後、後ろ足もストレッチして、宙に浮いてかけていく。後ろは振り返らない。帰ると決めたら即行動のアケミの性格は、とても清々しい。
「あのアケミの言い方、リアルで体を生き埋めする気だ…。このかわいい子に雑草の栄養となれと!なーんて。レオン、俺達は親友だろ、もっと君のこと教えてよ、ね。」
アケミを見送ったピーちゃんは、レオンの顔近くまで近づき、ウインクを飛ばしてくる。
「ありがとう。本当に困ったらその時は頼むかもしれない。今日はお疲れ様。」
「レオン、困ってなくても声かけてほしいな。友達なのに、言葉が交わせないなんてさみしいじゃんか。」
「ピーくんも優しいね。本当に大丈夫だから。また今度、何かわかったら教えるね。」
「うん、分かった、頼ってくれるの待っているから。じゃあ、寝起きの悪いハニーを起こせるように早めに帰って少し休むよ。おやすみー!」
「ああ、おやすみなさい。またね。」
ピーちゃんは、飛行機より速いと錯覚する速度で帰路につく。1人残ったレオンは、何も映し出さない水面を眺めながら、いつも通りの散歩コースを地面に足つけて戻って行った。
「今回の集会は楽しみたいと思っていたけれど、心配かけてしまったな。次は、アケミがよくもらっているおやつについて聞きたいし、ピーくんのブームとか聞ければいいな。」
家に帰れば、いつも通り放ったらかしにされる退屈な1日が始まるのだなとぼんやり考えながら。