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第74話.通りすがりの精霊博士

 


 精霊博士・トナリは、ひとりで学院の敷地内を歩いていた。


 薄汚れた身なりの無精の男は、この魔法学院でも異質な存在なのだろう。

 すれ違うたび、ちらほらとこちらに視線を投げてくる生徒たちが居る。既にトナリの身分を承知している生徒も居るはずなのだが、未だに疑われている気がしなくもない。


 しかし些細なことを気にしない性質のため、それらの視線は意に介していないトナリだった。


 ブラブラと何をしているかといえば、休憩時間のため気分転換に外を出歩いているのだ。

 今回の視察の同行者である神官長がお堅い性格のため、昨日までは近場を回るくらいしかできなかったが、今日は()()も一緒だったのでアッサリと許可がもらえた。


(最近やたらピリピリしてんだよなぁ、神官長殿は)


 ブリジット・メイデルが五歳の頃に、契約の儀を担当したのが現在の神官長だという。

 その件で目上の司教たちから何かと詰問を受けたらしく、苛立っている様子だ。だからといって、より立場が下であるトナリに当たるのはやめてほしいのだが。


 ――オトレイアナ魔法学院にて行われている、四日間に分けての生徒・契約精霊との面談。

 今年、中央神殿に赴任したトナリにとってはこれが初めての学院視察になる。


 トナリの見たところ、契約者に強い不満を抱いている精霊は少ないようだった。

 つまり、それなりに良好な関係を築いているコンビが多いということである。


 最初の二日間では一年生たちとの面談を行い、昨日は二年生たち三クラスとの面談を既に終えていた。


(炎の家の坊ちゃんも居たが……)


 一年生の中で最上級精霊と契約しているのは、彼ひとりだった。

 トナリとしては、今回の視察の大きな目的である、ブリジット――光の柱を出した精霊の契約者かもしれない彼女の情報を集めたいところだったが、質問するのはやめておいた。

 何やらメイデル伯爵家は、いろいろと複雑な事情を抱えているそうなので。藪をつついて出てくるのは野良精霊だけでいい。


 それに、どうせ今日の面談でブリジット本人に会える。

 そこで契約精霊を直接トナリが見れば、済む話である。


(どんなとんでもないのが出てくるかな)


 考えるだけでワクワクしてくる。

 あの風が涼しかった夏の夜、光の柱を目にしてからというものの、トナリは自身がかなり浮き足立っているのを感じている。


 ――なんて呑気に考えていたら、だ。


「あー……どこだここ」


 トナリはポリポリと頭をかいた。

 いつの間に、見覚えのない建物に入っていた。


 白く清潔な、よく言えば個性のない廊下や階段が目の前に続いている。

 おそらく学生用の宿舎だろう。ここまで誰にも呼び止められなかったのは、渡された許可証を胸に着けているからか。


 そういえば自分は、それなりの方向音痴なのだったと今さらトナリは思い出していた。

 こんなところでウロウロしていては、いよいよ神官長に雷を落とされそうだ。


 肩を竦めていると、言い争う声のようなものが聞こえてきた。


「……から、リサちゃん。いい加減出てきてほしいの」

「……るさい! アンタに関係ないでしょう!?」


 何やら言い合う少女たちの声が、廊下の奥から響いてきている。

 一方は悲痛だが、もう一方は喧嘩腰である。しかしその声は妙に弱々しく、迫力はあまりない。


 だが生徒同士のいざこざなどに欠片も興味はなかった。

 トナリは聞かなかったことにして、すぐにその場を立ち去ろうとする。


「リサちゃん。ブリジット様は、優しくて素敵な方だよ」


 だが、とある名前が耳について。


(……お?)


 ぴたり、と足を止める。


 ブリジット――噂の、炎の一族の娘の名前だ。

 ひょんなところで、何か有力な話が聞けるかもしれない。

 そう思ったトナリは踵を返し、廊下の奥を覗き込んでみる。


 見れば閉ざされた部屋の前に、黒髪の少女が立ち尽くしていた。一時間半ほど前に面談をした生徒だ。

 掃除妖精であるブラウニーの契約者だ、と思い返す合間にも少女たちの会話は進んでいる。


「わたしが筆記具を隠したこと、お伝えしたのに……そんなわたしの目を、あの方は綺麗だって言ってくれたの」

「……っふふ……キーラ、それって嫌みのつもり? あたしが前に、自信がないっていうアンタに顔を隠せばって言ったから」

「違うよ。あのときは、リサちゃんがそう言ってくれて救われた気がしたもの」


(黒髪がキーラ、部屋ん中に引き籠ってるのがリサ、と)


 人の名前を覚えるのが苦手なトナリは、心の中で復唱する。

 その間にも、見られているのに気がついていないキーラは両手を組んで語っている。


「でもね。ブリジット様はどんなにお辛くても、いつも前を向いているの。すごく――すごく格好良い人なの。リサちゃんだって、お話すれば分かるよ」

「そんなの、今さら……」

「今日だって、一緒にここに来る予定だったの。ちょっとお手伝いを頼まれて、まだいらっしゃってないけど」


 そこでリサがふいに沈黙した。


「……手伝い? 今、ブリジットはどこに居るの?」

「それが、薬草学のイナド先生に呼ばれちゃって。どこに居るかまでは分からないけど」

「イナド…………」

「――ここで何をしてらっしゃるんですか?」


 トナリは目をしばたたかせた。

 横を見れば、そこに恐ろしいほど整った顔をした青髪の男子生徒が立っている。

 その隣にもうひとり、こちらは見覚えのある厳つい顔つきの生徒が腕組みをしていた。


 トナリは思わず指差した。


「あ、エアリアルを暴走させた」

「……ニバル・ウィアです」

「そうそう、そんな名前。元気か?」

「先ほども同じことを訊かれましたけど……」


 呆れた様子のニバル。休憩前に面談した生徒だが、その名前までは覚えていないトナリだった。

 すると無視されたと気がついたのだろう、青髪が再び問いかけてきた。


「それで、ここで何を?」

「何って、あの嬢ちゃんたちの会話を聞いてんだよ」


 あっけらかんと答えるトナリに、青髪は口を噤む。

 その間にも横を通過したニバルが、のしのしと大股でキーラに近づいている。


「おいキーラ、ブリジット嬢は? 一緒じゃないのか? 帰りが遅いから迎えに来たんだが」

「あ……ブリジット様は、イナド先生にお手伝いを頼まれていて」

「――キーラ!」


 全員の目がドアへと向いた。

 やはりドアは開かないままだったが、そこから小さな声が響いてきていた。


「すぐにブリジットを、探しに行ったほうが……いいかもしれない」

「リサちゃん?」

「どういう意味だ?」


 二人の会話に、青髪が割り込む。

 ドアの向こうでは、僅かに気配が震えたようだった。


「……ジョセフ様は……あの日、燃える松明をあたしに持たせて、言ったんです」

「魔石獲りのときのことだな?」

「……そう、です」


 全員がその声に耳を澄ませる。固い緊張が場に流れていた。

 トナリは耳をほじりつつ、同じように静かにしている。というのも、思いがけない名前が出てきたからだ。


(ジョセフ……あの第三王子の名前を、ここで聞くとは)


「『君も結局、馬鹿な女の子でしかなかったね。ブリジットのところに行って、お友達ごっこでもしてくるといい』、って。……でも、あれはたぶん……あたしを逆上させるために、わざと言ったんだわ」

「それと今回の件と、なんの関係がある?」


 リサは泣いているようだったが、お構いなしに青髪が問いかける。

 すると数秒のすすり泣きのあとに、答えがあった。


「……薬草学のイナド先生の、お父さんは……王宮で働いてるって聞いたから。だからもしかしたら、ジョセフ様が……」

「……イナドを利用して、ブリジットを害しているかもしれない、ということか」


 青髪が険しい顔つきで呟く。

 そこで、大体の事情はトナリにも掴めた。つまり、


(オレ、厄介事に巻き込まれたっぽいなー)


 ということだったのだが――そこで提案してみることにした。

 こうなれば乗りかかった船である。


「オレがそいつらを探してやるよ」


 三人の目が一斉にこちらを向く。

 青髪は疑うような目つきだが、いちいち方法を説明している場合でもないだろう。


「お前ら、ブリジットとやらの特徴を言え」


 なんでもいい、と付け加えるトナリ。

 するとキーラとニバルが競うように挙手をした。


「とてもお美しいです!」

「気品があって優雅で、慈悲深いお方だ!」


(威勢はいいくせに、ろくな情報じゃねぇ……)


 呆れていると、ドアに寄りかかっていた青髪がぺらぺらと喋り出した。


「赤髪で緑色の目をした、背は高めの女の子だ。両手に白い手袋を着けていて、甲高い声で偉そうに喋る。それと感情がすぐ顔に出るし、興奮するとすぐ真っ赤になるな。あとは超弩級の負けず嫌い」

「ユーリ様、ブリジット様がいらっしゃったら怒られますよ……」

「全て事実だ」


 ふん、と機嫌悪そうに鼻を鳴らす青髪――ユーリとやら。

 しかしなかなか分かりやすい説明だ。トナリは頷いた。


「今、オレの精霊が野良精霊たちに呼びかけてブリジットを捜索させてる。数分もすれば見つかるだろ」


 キーラたちが驚いた顔をするが、ひとりだけ動揺せずに動いた者が居た。


「お前たちもブリジットを探してくれ」


 呟くユーリの左右の空間を開くようにして現れたのは、ウンディーネとフェンリルだ。

 二体の美しい精霊は出現するなり、宙と地面とをそれぞれ素早く動き出す。


『はぁい、マスター。"赤い妖精"さん、どこをお散歩してるのかしらね?』

『いいからさっさと行くぞ、ウンディーネ!』

『うふふ、フェンリルったら心配してるの?』

『ち……違う! 心配とかじゃ、って今はそんな場合じゃなーい!』


 思わず口笛を吹くトナリ。

 そのときにはさすがに、ユーリ・オーレアリスの名が頭に浮かんでいた。


 ――最上級精霊二体と契約した、唯一無二の天才児。

 しかし何より異常なのは、最上級精霊を同時に顕現させてみせる彼自身の集中力だろう。


 ユーリに続いて契約精霊を呼び出すニバルとキーラを見やりながら、にんまりとトナリは笑う。


(なんか、面白くなってきたな)


 純粋に友人を心配している様子の彼らには申し訳ないが、わくわくして仕方がない。

 偶然の成り行きではあったが、面談などよりよっぽど楽しいことになりそうだ。


 それに、今日の目的の大部分を占めるのがブリジットなのだ。

 こうなった以上、ついでに神官長たちも呼びつけて、巻き込んでみるのも一興だろうか。



(さて、どうなることやら)



 しかし、それから数分後に。

 伝説の精霊の羽ばたく姿を、この目で見ることになろうとは――トナリ自身、まだ知りようもないことだった。




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