番外編8.あなたのせい! (ノベル6巻&コミック5巻発売記念)
ノベル6巻(完結巻)&コミックス5巻同日発売を記念し、SSを書きました。
ぜひぜひ読んでいただけたら幸いです。
「……治らないわね」
ブリジットは、私室で手鏡を見つめながら小さく呻く。
彼女が見つめるのは、何かというと自身の唇だ。普段は艶々と潤う桜色の唇は、ややカサついている。痛々しく皮膚が剥けてしまっている箇所もあった。
そんなブリジットの唇に、侍女のシエンナが指につけたリップクリームを丁寧に塗っていく。植物から抽出されるオイルを用いたリップクリームは、貴婦人や令嬢御用達のショップで購入したものだ。
「何か、唇に触れるもの……食事や化粧品に原因があるかと思いましたが、今のところはっきりしませんね」
「そうね。シエンナだけじゃなく料理長たちにも協力してもらって、原因を突き止めようと思ったのに……」
冬の季節は乾燥が激しいものだが、それにしても例年にも増してブリジットの唇は荒れている。肌は特に問題はないのだが……。
クリームを塗り終えたシエンナが、気遣わしげに言う。
「ブリジットお嬢様。この季節は乾燥が大敵ですが、乾いているからといって唇を舐めると、さらに水分を失ってしまうそうです。ひりひりしても我慢して、必ずこのクリームを塗って保湿するようにしてくださいね」
「分かったわ。我慢するわね」
ブリジットは眉尻を下げつつ、そう返した。
地味に痛くて気になってしまうのだが、注意しなければ。そんなことを思いつつ、明日の支度をする。
その途中、シエンナが再び確認してきた。
「本当に心当たりはないんですよね?」
なぜだか疑わしげな口調で言う彼女に、ブリジットはしっかりと頷いてみせた。
「ええ。まったく」
◇◇◇
翌日のこと。
オトレイアナ魔法学院に登校したブリジットは、いつも通り授業の時間を過ごしていた。
昼休みには、本を借りるために図書館へと向かう。渡り廊下を歩く道すがら、彼女がばったり顔を合わせたのは別のクラスのユーリだった。
「ごきげんよう、ユーリ様」
「ああ」
優雅に挨拶するブリジットに、ユーリが短く返す。
彼は軽く周囲を見回したかと思うと、足を止めずにブリジットに近づいてくる。
きょとんとして、ブリジットが立ち止まると――ちゅ、と唇に何かが触れた。
それから彼女の唇の表面を舐め取るように、這う舌の感触も。
人通りの多い場所なので、すぐにユーリは唇を離す。
しかしブリジットは数秒の間、完全に硬直していた。その後、わなわなと震えだしたかと思えば、ユーリの顔をびしりと指さす。
「は、犯人……!」
「は?」
「こんなところにおりましたわ、犯人が!」
「なんの話だ?」
ブリジットはぎろりとユーリを睨みつつ、端的に説明する。
事情を聞いたユーリは、なるほどと頷いた。
「それは間違いなく僕のせいだな。僕が何度も口づけをして、そのたびに唇を舐めたことで、君の唇が荒れてしまい……」
「は、はっきりおっしゃらないでくださいまし!」
真顔で言ってのけるユーリの言葉を、ブリジットは赤くなって遮る。
(そ、そもそも、なんで思いつかなかったのかしら。私ったら!)
心当たりはないなどとシエンナに言ってしまったが、よくよく考えればあった。ありまくりだった。
ブリジットが慣れ始めたのを察してか、少しずつユーリはキスのやり方を変えるようになった。そのひとつが、キスの際に唇を軽く舐めることだ。
なぜユーリが舐めてくるのか――その行為が何を意味するのかは分からなかったが、キスには様々な種類があるのだろうと思い、ブリジットはされるがままになっていた。それが良くなかったのだろう。
(今後からは舐めないで、とユーリ様にお願いしたほうがいいのかしら)
ちら、とブリジットは彼の顔を見上げる。
腕を組んだユーリは、少し不安そうに眉を寄せてブリジットを見ている。話の行き着くところを察しているからだろう。
……はぁ、とブリジットはため息をつく。
どうにも、この顔には弱い。それにユーリと触れ合うのは、ブリジットにとっても大切な時間だ。
(舐め――られるのも、そ、そこまで、いやじゃないし。恥ずかしくはあるけど……)
ユーリの柔らかくて熱い舌に刺激されると、いつもふるり、とブリジットの身体は震えてしまう。
もっと深く――ユーリと触れ合いたいと思ってしまいそうになることも、ある。だから、彼が好きでやっていることを止めようとは思わなかった。
(そうよ。私が乾燥対策をがんばればいいだけの話だもの。ユーリ様に無理を強いることもないわ)
そうひとりで納得して、ブリジットは話を切り上げることにした。
「もういいですわ。では、わたくしは行きますわね。人気のないところで、唇にクリームを塗りたいので……」
というのも先ほどユーリに舐められたせいで、また唇がひりひりしているのだ。
そそくさとその場を離れようとするブリジットだが、その後ろ手をユーリが掴む。
何事かと思ってブリジットが振り仰ぐと、ユーリが耳元でひっそりと囁いた。
「……お詫びに。僕が塗ろうか、クリーム」
色っぽい誘いの言葉を受けたブリジットの頬はといえば、茹だったように赤くなる。
「けっこうですわっ!」
真っ赤っかな顔をして、ブリジットは叫んだのだった。