表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

119/129

第119話.告白

 


 ユーリの腕の中に、ブリジットは抱きすくめられていた。


「っ……!?」


 あまりの状況に、声にならない悲鳴を上げるブリジット。

 どうして? なんで? と訊きたいのに、ぱくぱくと開閉する口からうまく言葉が出てこない。


 そんなブリジットの後頭部を、ユーリが撫でる。


「とても、嬉しい。……ありがとう」

「!」

「死ぬまで大切にする」


 大袈裟だと笑うことはできなかった。

 それほど、ユーリの声には強い感情が篭められていたからだ。


(こんなに喜んでくれるなんて……)


 息苦しいくらい強く、逞しい身体に抱きしめられている。

 ブリジットが甘え上手の女の子だったら、きっとユーリの背中に腕を回すことができたのだろう。

 でも、ブリジットは持ち上げた手を、行き場なく下ろすことしかできなかった。


 だから胸がいっぱいになるほど、ユーリの香りを吸い込む。

 品の良い香水の匂いに、全身を包み込まれているような気持ちになる。


 ドキドキと安心が同居している、不思議な感覚。

 このままずっと――こうしていてほしいような、気がしてきて。


(だ……駄目よ私っ!)


 うっとりと目を閉じそうになる自分を、ブリジットは叱咤した。

 そうだ。今日の目的はもうひとつあるのだ。


 ユーリと踊りきること。

 ユーリにマフラーを贈って、驚いてもらうこと。

 そして最後に、いちばん大事なことがある。


「ユ、ユーリ様。あの……お願いが……」


 おずおずと伝えると、ユーリが身体を離した。

 やや不満げな顔つきに見えるような気もするが、ちゃんと聞いてくれるつもりらしい。


『負けたほうは、勝ったほうの言うことをなんでもひとつ聞く』。


 それが二人の勝負にたったひとつだけ課せられたルールだ。

 ブリジットは一歩だけそぅっと後ろに下がってから、口を開いた。


「……では、お願いを言います」

「ああ」

「今からお伝えする言葉を、どうか最後まで聞いてください。それがわたくしのお願いです」


 ユーリは拍子抜けしたようだった。


「お前の言うことなら、お願いされなくても全部聞くが」


 そんなことを真顔で言ってのけるものだから、ブリジットはまた真っ赤になってしまった。

 ブリジットが恥ずかしがっていると分かったのか、ユーリはそれ以上は食い下がらなかった。


「……まぁ、分かった。とにかく聞こう」

「は、はい。ありがとうございます」


 ブリジットは二度、深呼吸を繰り返した。

 大丈夫だ。ユーリは呆れたりしない。準備が整うまで、ちゃんと待っていてくれると知っている。

 不器用で分かりにくい彼の優しさを、ブリジットは誰よりも知っている。


「ユーリ様!」


 しまった。ちょっと緊張して声が大きすぎたかもしれない。

 こほこほと咳払いして、喉に触れて、どうにか音量を調節する。そんなブリジットのことを、ユーリは黙って見守ってくれている。


 大きく息を吸って、吐く。

 まっすぐ見据えると、ユーリの後ろに星空が広がっていた。


 ユーリに出逢うまで、ブリジットにはこの世界が闇に鎖された場所に思えていた。

 今は、それが違うと分かる。

 どんなに暗い夜も、ひとつの月と、数え切れないほどの星が瞬いて、静かに地上を照らしてくれている。


 そう教えてくれた人に、どうしても伝えたかったこと。

 精いっぱいの笑顔で伝えるそれは、感謝の言葉だった。



「あの日。……あの日、わたくしの手を握っていてくれてありがとう」



 目の前に居るユーリこそが。

 デアーグの折檻を受けるブリジットの右手を、掴んでいてくれた人だ。


 思い返せば図書館でも。

 ひとりぼっちのブリジットが本に伸ばした指先が、ユーリのそれと重なったのは偶然ではないのだろう。


 きっと彼は、ブリジットが彼の手を思い出すよりずっと前から――。


「ずっと守ってくれてありがとう、ユーリ様」


 返事はなかった。

 反応もなかった。ユーリはブリジットを凝視したまま、身動ぎのひとつもしなかった。


 ……うふふ、とブリジットは笑みを漏らした。

 なんだかとても照れくさい。同時に安堵していた。


「……良かった。最後まで、ちゃんと言えました……」

「……っ!」


 耐えかねたように、ユーリが片手で顔を覆った。

 項垂れたように肩を縮めている。歯を食いしばっているのか、荒い呼吸の音だけが断続的に聞こえた。


「ユーリ、様?」


 不安に思ったブリジットが呼びかけると、一際大きくユーリの身体が震えた。


「……ごめん。あのとき、ちゃんと聞こえていたのに」

「あのとき、って」

「声が聞こえていたのに、気がつかない振りをした」


 息を呑む。ユーリがいつのことを言っているのか分かったのだ。


 ジョセフの策略で物置部屋に閉じ込められたとき、ブリジットはユーリのことが好きだと言った。

 何も聞こえなかったとユーリは言った。でもそれは嘘だったのだと、彼は告白している。


()に、嫌われたかった」


 俯いたユーリが、ぐしゃぐしゃと髪をかき回す。

 セットした髪が崩れるのもお構いなしに、彼は続けた。


「手を握ることしか。そんなことしかできない自分が悔しくて。情けなくて。……婚約者であった君を、守れなかった。弱い自分が……大嫌いだった」


(婚約者……)


 開きかけた口をとっさに噤む。

 今はユーリの言葉を、一言も漏らさず聞いていたかったのだ。


「ずっと嫌われないといけないと、思っていた。だからわざと冷たい態度を取って、嫌われようと。でも……知るたびに、惹かれた。もっと知りたくなった。もっと傍で君の笑う顔が見たいと、浅ましい願いを抱いてしまった……」


 顔は見えないまま。

 いつしかその声音が濡れているのを、ブリジットは感じ取っていた。


 そっと手を伸ばす。

 俯けていたままの顔に触れる。ユーリは驚いたようだったが、振り払ったりはしない。


 上目遣いで見上げると、潤んだ黄水晶(シトリン)と目が合った。


「ユーリ様。……泣いてるの?」

「幻滅しただろう」


 弱々しく、自嘲的にユーリが笑う。いつも自信に満ちあふれたユーリには似合わない表情。

 そんな珍しい姿に、ブリジットは顔を綻ばせた。


「いいえ。あなたのことをもっと知りたいのは、わたくしも同じですから」


 濡れた頬を指先で撫でる。溢れるきれいな涙を拭う。

 ユーリはしばらく、されるがままにしていたが……その片手が、いつしかブリジットの腰に回っていた。

 指先にぐっと力が篭められる。その瞬間、ブリジットの顔が一気に赤く染まった。


「ユ、ユーリ、様?」


 ブリジットの露わになった耳も首元も、上気している。

 ユーリのもう片方の手がブリジットの耳を撫でる。どくどくと脈打つ首に触れる。鼓動のひとつひとつすら、慈しむように。

 そのたびに呼吸が乱れて、逃げなければいけないと思うのに、抱かれた腰が痺れてまともに動けない。


 否、本当は動きたくないのだと、もう自分でも分かっている。


「ユーリ様、あのっ」

「…………」


 言葉はなく、ユーリの顔が近づいてくる。

 まるで自ら引き寄せてしまったように思うのは、ブリジットの両手が今もユーリの頬を包んでいるからだ。


 垂れ下がったマフラーの端が、ブリジットのむき出しの肩を撫でる。

 ぞわりと鳥肌が立つ。息をするのだって苦しい。


 そのまま、唇同士が触れ合う直前だった。


「…………だ、だめ」


 ――ぴた、とユーリの動きが止まる。

 拒絶されたことに動揺して、瞳が切なげに揺れている。


「……いやか」

「い、いやではなくてっ」


 慌てて否定する。

 そう、決していやなわけではない。

 いやじゃないからこそ、困っているのだ。どうしようもなく。


「……今も、恥ず、恥ずかしくて死にそうなんです」


 だから、と震える唇でブリジットは伝える。


「………………まだ、わたくしのこと殺さないで」


 このままでは死んでしまうのだと。

 身体が火照って、心臓が爆発して、もう自分は駄目になってしまうのだと。


 そんな訴えが届いたのか、ユーリが溜め息を吐いた。


「……弱った」


 本当に困り切ったように、彼はぽつりと言う。

 どうやら諦めてくれたのだと、ブリジットは思った。


 そうして気を抜いた直後。

 熱を孕んだ瞳が、まっすぐにブリジットを射抜いた。


「君が可愛い、ブリジット」

「……っ」


 甘やかな声。視線。

 指先のぬくい温度。

 満たされて、くらくらと目眩がする。それだけで全身が溶けてしまいそうになる。


 狼狽えて何も言えずにいるブリジットの耳元に、掠れた囁きが落とされる。



「誰よりも可愛い」



 もう一度、唇が近づいてきた。

 ブリジットはもう、ぎゅっと目蓋を閉じることしかできなかった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【アクアク/コミックス6巻】9月15日頃発売!
アクアクC6

【アクアク/小説完結6巻】発売中!【完全書き下ろし】
アクアク6
【最推し/ノベル2巻】9月15日頃発売!【コミカライズ決定】
最推し2

― 新着の感想 ―
[一言] 殺さないでって!!!!!!!! すっご!!撃ち抜かれました!! 可愛すぎるんですけど!!!!!
[一言] 最初に少し叫びたいんですけど…ツンデレ!ツンデレすぎるブリちゃんが照れてる!ふぅ…(息継ぎ)ユーリくんが!思いっきりデレてる!!可愛いです!!!はぁ…(息継ぎ)最高すぎますもうアクアクは最高…
[一言] ブリジット…煽ったな!(笑) んな事言われたら押し倒すまで有るよ!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ