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第5話「絶対に、お前のために勝ってやる」

 神の間から出たシュイロンは、ふうーと長く息を吐きながら体を伸ばした。外はまだ陽も高い位置にあり良い天気だ。

 だというのに、あの真っ暗な中でふらふら揺れる赤と黄色と緑の炎をずっと見ているのには、気が滅入る。明日も一日晴れの予告で、自分には仕事が無い。ただただ退屈な時間を過ごすというのは、自分には向いていない。スーグオ中を飛び回り、天気が調整した通りになっているか見て回っている方が、よっぽど性に合っている。

 とん、と本殿の屋根に飛び乗って、気が付いた。

 何やら拝殿の方が賑わっている。この時間ならばまだ社の中に参拝客が大勢いても当然ではあるが、よく見ると本殿や社務所には人はほとんどおらず、拝殿にだけ人が集中しているようだ。

 はて、催しでもあっただろうか。何も予定は聞いていないはずなのだが。

 本殿の屋根を蹴って拝殿に向かって飛ぶ。途中の参道に、本殿に向かって歩くナイシンを見かけ、音もなく降り立った。

「よお」

「あら、シュイロン様」

 突然目の前に現れたシュイロンに驚きもせず、ナイシンはにっこり笑った。

「ちょうど良いところに。なかなかいらっしゃらないので心配していたのですよ」

 軍配を両手で持って、ひらひらさせながらナイシンが言う。シュイロンはこてんと首を傾げた。

「なんか楽しそーだなあ。これはどういうことだ?」

 ナイシンは頬を上気させ、ぴょんと飛び上がりそうなほどに軽い足取りでシュイロンに歩み寄りった。

「これはですね」

 そして、まるで悪だくみをする商人のように目を細めて耳打ちをした。

「ほうほう」

 シュイロンも山吹色のお菓子を受け取る悪代官のように、にやりと口の端を吊り上げる。

「……ふうむ、なるほど。それはそれは……」

「うふふ、シュイロン様。ご助力下さいますか?」

「もちろん。そんな面白そうなこと、放っておけるわけがないだろう!」

 その言葉を聞き、ナイシンは満足したように笑うと、踵を返し拝殿の方へと戻っていった。




 スエチュイは土俵の上からぐるりと周りを見回した。

 最初に戦ったときよりも、観客が増えている。話を聞きつけた者たちが押しかけ、もはや拝殿の前は人であふれかえり、参道に立ち見客が出るほどになっていた。

 土俵に、フーレンが現れた。その顔を見て、スエチュイは口の端を吊り上げた。

 フーレンの表情が、変わった。纏う雰囲気も、先ほどまでの、迷い探るようなものではない。

「やっとやる気になったのか」

 そうでなくては困る。

 自分にだって、分かっている。別にこれに勝ったからとて、ヤンファが自分に惚れてくれるわけではない。ただこれは、自分の意地と、けじめの問題だ。

 惚れた女を賭けて挑む相手に覇気がなければ、勝気がなければ、打ち勝ったとしても意味がない。

 フーレンは、スエチュイを見据えたまま、苦しそうに眉間に皺を寄せた。先ほどまでは、目が合ってもすぐに視線を逸らし所在無げにしていたというのに、今は目を逸らさない。

「俺は俺で、負けられない……勝ちたい、理由が出来たから」

 スエチュイは小さく鼻で笑った。

 ヤンファと何を話してきたのだろう。自分には想像も出来ないけれど、

「まあいい。……泣いても笑っても最後だ」

 胸の前で手を組み、指を鳴らす。今度は様子見はしない。例え相手がどんなに非力であろうと、自分の持てる限りの力でぶつかるつもりだ。

 先ほどまでのフーレンならば、そうはしなかったろう。けれど今、きちんと自分を見据えて戦う気になっている相手には、様子見なんてしている場合ではない。

「うん」

 フーレンは頷いた。

 絶対に勝って、二人に話し合いの場を設ける。

 色々と大きな回り道をして目的を見失いかけていたけれど、自分がもしこの男に勝つことが出来れば、当初の目標を成し遂げられるのだ。やるしかない。

 肩を怒らせ、ぐっと握りこぶしに力を込めた。

 小さいころから相撲を見てきた。体の小さな力士が、猫騙しなどの奇策で大番狂わせをした取り組みをいくつも知っている。

 確かに相手は恵まれた体つきで優れた運動能力を有してはいるものの、相撲を取り慣れているわけでも詳しいわけでもないのは、先ほどの二回の取り組みでわかった。知識や戦略に関しては自分の方が上だ。

 勝機がないわけではない、はずだ。自信は無いけれど、勝たなければならないのだ。やるしかない。

 ナイシンは目を細め、軍配を下げた。

「はっけよい……」

 ぐっと腰を落とし、片手を土俵につける。視線が合い、ぴりとした空気が二人の間に流れた。まだ取り組みが始まっていないのに、肩で呼吸をし、汗が土俵を濡らしていく。

 お互いの目を見て、呼吸を合わせ、ぐっと体重を手に乗せ、両手をつく――直前だった。

「その取り組み、ちょっと待てぇい!」

 妙に芝居がかった口調で告げながら、青い影が土俵に飛び降りてきた。

 フーレンは思わず構えを解いて叫んだ。

「シュイロン!」

「シュイロン様だ!」

 突然現れた自国の神に、拝殿前は騒然となった。観客も、フーレンと同じく土俵にいるスエチュイですらも、茫然と自国の神を眺めることしかできない。

 シュイロンは青く長い髪をなびかせながら客席を一瞥した後、おもむろに土俵の上のフーレンの顔をぐっと覗き込み、小声で告げた。

「なあ、フーレン。確かに俺は社の女には好きに手を出して良いと言ったが、まさかヤンファとは思わなかったぞ。お前なかなかツワモノだなー」

「うぐっ」

 まさかこの話がシュイロンの耳にまで入っているとは。

 つつ、とフーレンの顎を悩ましげに指の腹でなぞりながら、シュイロンは続ける。

「まあ、確かにヤンファは可愛い。が、俺だって可愛いぞ? 可愛いだろ? なーんで俺には手を出さないんだー??」

 大きな瞳を夏の太陽できらきらと輝かせ、ほんの少し頬を膨らませて言うシュイロンは、確かに可愛い。それは間違いない。

 そのうえ今の言葉は軽い嫉妬心から出た言葉なのだろう。普段の尊大で偉そうな態度からすれば、自分の表情を伺うような、少し不安げな態度には随分可愛げがある。

 自分の伴侶が自分ではない誰かと肌を重ねたと聞けば、不安になるだろうし嫉妬もするだろう。深く傷つけてしまう前に、誤解は解きたい。

「い、いや……それは……」

 けれど目の前にスエチュイがいる今、正直に全てを話すことは出来ない。青い顔のままシュイロンの顔を見て、今は黙っていてくれと目で伝えるしかない。眉を八の字にして、じっと琥珀の目を見つめる。

 案の定、相手の顔色と空気を読むのが苦手なシュイロンには伝わるわけは無く、不思議そうに首を横に倒した。けれど追求しようという気はないらしい。一度目を瞬かせると、にやりと目を細めた。

「まあいいや。……なあ、これ、随分面白そうだな」

「え?」

「ちょっと俺にかわれ」

 そう言うと、シュイロンはフーレンの顔を両手で抑え、目を閉じた。

 ――こいつ、体を乗っ取る気だ!

 気づいたフーレンは全力で抵抗するものの、がっちりと顔を抑えられており、

「えっなっ駄目だ! これは一応俺が売られた喧嘩で、俺はヤンファとやくそ」

 抵抗空しく、そこまでしか紡ぐことが出来なかった。無理矢理唇で唇を塞がれ、小さくくぐもった声を出すことしかできない。

(お前……! 絶対許さないからな!!)

 体の支配権を取られたフーレンは、脳内で叫んだ。フーレンの身体を動かし、シュイロンは得意げに観客を見回す。

 客たちは静かに沸き立っていた。

 憑依の接吻は縁起物の一つだ。流れ星や茶柱が立ったような感覚に近い。まさか社の中で相撲を見ていたら自国の神が現れて、憑依の接吻まで見られるとは。僥倖なことこの上ない。

 ナイシンは軍配で自分の顔をそっと隠した。客の盛り上がりに、先ほどから口の端が上がりっぱなしだ。あとで本殿前の賽銭箱を開けるのが楽しみでしょうがない。

(さっさと憑依を解け! 俺に体を返せ!)

 なおも脳内で叫び続けるフーレンに、シュイロンは辟易した。

「煩いな、なんでだよ。お前どう見ても乗り気じゃなかったってナイシンから聞いたぞ。やりたいのか、相撲」

(やりたいわけじゃない! 正直出来ればやりたくない!!)

「ではなぜだ」

(約束したんだ、ヤンファに。絶対勝つって! だから、俺がやらなきゃいけないんだ!!)

「ふぅん?」

 シュイロンは、硬直したままなりゆきを見守っているヤンファの方をちらと見た。

「なあ、ヤンファ」

「っ、はい」

 突然名前を呼ばれ、ヤンファはびくりと震えた。シュイロンが憑依をしているところを見るのはもう四度目だが、相変わらず普段のフーレンとはがらりと雰囲気が変わるものだから驚いてしまう。

 シュイロンはヤンファの前まで歩み寄ると、まっすぐにヤンファと向かい合った。

「フーレンとしたという約束、俺が肩代わりをしても良いか」

 ヤンファは困惑した。

 自分だってある程度の覚悟を持って、フーレンと約束したのだ。こんな大切なことを、いくら神とはいえ、簡単に譲り渡して良いのだろうか。

 迷いが顔に現れていたのだろう。シュイロンは胸の前で硬く握られていたヤンファの手の甲に、指先で触れた。

 ヤンファは驚いて、フーレンに憑依しているシュイロンの顔をじっと見つめた。手の甲に触れる指先は土で汚れているものの、暖かで優しい。

 シュイロンは唇を薄く引いて、眉を吊り上げ目だけを細めて笑った。普段のフーレンでは絶対に見せない表情だ。

 どき、と心臓が跳ねた。

「絶対に、お前のために勝ってやる」

 その表情のまま、何の気負いもない、ただの誓いの言葉をシュイロンは吐いた。

 そのとたん、ヤンファは溶けた。

「……はい……よろしくお願いします、シュイロン様……」

 耳まで熱くなった両頬を抑え、へなへなと腰砕けにその場に座り込む。なんだか熱すぎて目のふちに涙まで浮かんできた。

 敬愛する自国の神にこう言われて断れるものなど居ないだろう。ヤンファも例外ではない、どころか、普段からシュイロンを崇拝しているヤンファならばこうなってしまっても当然だ。

 ヤンファは完全に恋する乙女の瞳になっている。

 脳内で、フーレンは全力で叫んだ。

(わかっちゃいたけどなんっっでだよ!!!!!!!)

「シュイロン様……」

 興奮を増して声援を大きくしていく見物人たちとは裏腹に、スエチュイは困惑した表情だ。

(ごめんスエチュイ、本当にごめん! シュイロン、さっさと俺に体を返せ!!)

 フーレンを無視して、シュイロンは腰に手を当てふんぞり返った。

「おう、久しいなスエチュイ。しばらく見ない間に随分でかくなったもんだ」

 スエチュイは拱手の形を取り、土俵の上でシュイロンに跪いた。

「覚えていていただき、恐縮です。シュイロン様におかれましては本日も麗しく」

「あーあー、当たり前のことは言わんでいい。お前のことは鼻水垂らして杜で立小便していたころから知っている。今更畏まるな」

 見物人たちから小さな笑いが起こる。スエチュイは、まいったな、と小さく呟いて立ち上がった。

「大変申し訳ありませんが、これは、俺とそいつ……器の戦いです。だから……退いて、いただけませんか」

 スエチュイの目は真剣だ。

 相手が神だからと何も言えなくなるようなら、そもそも器に喧嘩を売ることもしていない。

 相手が誰であろうと、何を捨てることになろうと、目的を完遂する。そのために、今自分はここにいるのだ。

「たとえシュイロン様だろうと、この戦いを邪魔するつもりなら黙っちゃいられねえ。それが……俺の覚悟だ」

(スエチュイ……)

 シュイロンは不敵に笑ったまま、首を傾げた。

「俺が憑依したからとて、こいつの身体能力が上がるわけではない。神の力を使うこともしないし、お前とこいつの戦いであることに変わりはないだろう?」

「だったら尚更です。俺はシュイロン様には痛い思いはさせたくねえ」

「ほー。例え中身が俺でも容易に勝てると、お前はそう言いたいのか」

 スエチュイは一瞬眉間に皺をよせ、押し黙ったものの、

「……ああ」

 謙遜することなく、ふざけることもなく、大真面目に答えたスエチュイに、会場はざわついた。シャンチャンの民ではありえない、不遜な発言だ。

 客たちが落ち着くのを待って、シュイロンは腕を組み、もっともらしく語り始めた。

「お前はまだ未婚だからわからんかもしれんがな。夫婦とは比翼連理、二人で一人だ。俺の力も加わって、初めてこいつは完全体となる。つまりお前が今まで戦っていたのは、片方しか翼のない飛べない鳥だ。そんなもんに勝って嬉しいか?」

 小さく頷きながら語るシュイロンに、

(へー、そーだったんだー、しらなかったなー)

 フーレンが棒読みで答える。

 自分としては比翼連理どころか空中分解、爆発四散で木っ端微塵なんですけど。

「しかし」

「それとも何か? 俺相手だと戦えないとでも? お前の覚悟とはずいぶん脆弱だな」

 その一言で、表情が一変した。スエチュイの矜持を刺激したのだろう、鋭く目を細め、鼻梁に濃い皺を刻んでいる。

「……では、お言葉に甘えて。胸をお借りします」

 もはや語ることもないとでも言いたげに、スエチュイは踵を返し、荒い足取りで土俵から出た。

(な? 全て俺に任せておけ)

 スエチュイの背中を見ながら、シュイロンが脳内で話しかけてくる。フーレンは小さく唸ったものの、

(くそ……。こうなったからには、絶対に勝てよ!)

 ヤンファもスエチュイも、シュイロンが戦うことを認めているのだ。自分は決して認めていないけれど、自分一人が脳内でわーわー叫んでもどうにもならない。

 それに、自分でも自分が腹立たしいことに、信じているのだ。

 シュイロンならば、絶対に、勝ってくれる、と。

 神の力は使わない。身体能力だって非力な自分のまま。

 けれどシュイロンなら勝てる。そう、何の疑いもなく、信じてしまっているのだ。

(誰に向かって言っている。当たり前だろう)

 答えるシュイロンも、自信満々だ。

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