幻の朝 ~ハイリンダの青春録~
その日、俺は確かに死んだ筈だ。雪山のクレバスに足を突っ込み、深い溝へと真っ逆さまに―――
「こ、ここは…………?」
埃臭い小屋に積まれた藁の上で目覚めた俺は、起き上がるとオーロラの様に様々な美しい色に見える不思議な髪をした少女と目が合った。
「50年前に私が建てた新居よ……」
俺はその言葉を聞いておらず彼女の美しい髪に見とれていた。
「10年くらい掛けてあらゆる恋愛小説を読んだし古今東西あらゆる愛の形を見てきたけど、やはり恋の始まりは衝撃的な方が燃えが良いみたいね」
「…………?」
「何か飲む? 紅茶と水しか無いけれど」
男の手に古びた茶碗が渡された。緑色の龍が書かれた焼き物で、見た目は古いが何処か厳かな雰囲気を出していた。並々と注がれた紅茶は温かく、俺は思わず一気に飲み干してしまった!
「ふふ、嬉しいわね。その容れ物は昔東の方へ行ってきた時にかっぱらって来たのよ?」
紅茶で冷静さを取り戻した俺が考えた事は、先ずは身の安全だ。何故俺がココに居るかは二の次で良い…………
小屋はランプの灯りだけが頼りで、木窓は閉まっていた。つまり今は夜か、外が天候不良と言う訳だな。
「雪山で凍り付いて三年半。貴方が上から落ちてこなければ私今ごろまだ雪山よ? 貴方のお陰で手が動くようになったからお互い助かったのよね♪ これって【運命】ってやつかしら!?」
(……大丈夫かこの少女は? クスリでもやっているのだろうか?)
俺は先程の紅茶を躊躇いも無く飲んだことを後悔した。
「まだ外は吹雪だから、落ち着いたら下まで送るわね♪ そうしたら結婚しましょ♡」
「―――は!?」
俺は思わず変な声を出してしまった。それ程に少女の口から放たれた言葉は意外かつ純真な物だったのだ!
「そりゃあ運命的な出会いをした二人が結ばれるのは当然よね? あ、分かった……もしかして…………」
―――ゴクリ
異様に鋭い爪をしたその指先が俺の方を向き、思わず息を吞んでしまう。冒険者として生きてきた本能が告げている。この少女とは関わってはいけない……と。
「お腹空いてるのね?」
「…………」
「待ってて、今パンを持ってくるわ♪」
荒々しく千切られたパンを手渡され、俺は食べるか否か迷った。警告は更に強くなるが確かに腹は空いているし、冒険者としてこのパンはセーフだろう。夜になったら隙を見て逃げるとするか……。
夜になると外は静かになり、少し木窓を開けると吹雪は止み山は静寂に包まれていた。
「さて、寝ましょうか……」
藁の上に寝そべる少女が俺を手招きする。
「…………」
俺は無言で床に寝そべった。隣で寝たら抜け出したときに直ぐバレるからな。
「…………!」
少女は藁から飛び出すと、部屋の片隅で盛大に埃を被った本の山を漁り出し、幾つかの本を見繕ってページを開いた。
「えーっと……。言い訳は既に出来てるわ。後は貴方が私を攫うだけよ?」
「…………」
恐らく本の一部を読んでいるのだろう。そこに感情は微塵も込もっておらず、棒読みも甚だしい。
「……あれ? 違ったかしら」
本を置き、別な本を取り出す少女。
「貴方とはこんな出会い方をしたくなかったわ! それでもこんな私を愛してくれるなんて…………!!」
「…………」
恐らくこれは悲恋の話だろう。チラリと俺の方を見て反応がイマイチだと知ると少女は別な本を取り出した。
「教えるのは最初だけ。後は貴方が考えて私を満足させて……」
「プッ……!」
その心身に不釣り合いな台詞の数々に、俺は思わず笑ってしまった!
「……何が可笑しいのかしら…………?」
少女の目が極めて恐ろしい怪物のような威光を放ち始め、俺の中で警報が最大レベルで鳴り響く!!
(……ヤバい。まさかこんな事で……!!)
俺は瞬時に頭を働かせた!
(言動から察するに、この子は『恋愛ごっこ』がしたいだけな筈だ!)
「す、すまない。どうやら君の事を勘違いしていた様だ。まさかこんなに俺のことを想っていてくれたなんてね……」
「あら♪」
パタンと強く本を閉じ、機嫌良く藁へ飛び込んだ少女。どうやら本当に『恋愛ごっこ』がしたいだけの様だ。仕方ない、寝るまで付き合ってやるか…………
俺は少女と目を合わせたまま、藁へと寝そべり少女の反応を待った。
「……えーっと……次は…………」
再び本を漁り出す少女。どうやら人相手に試すのはこれが初めての様だ。俺は藁に寝そべったまま少女の背中を見つめた。靡く度に色が変わる不思議な髪だけは見ていて飽きが来ない…………。
結局手持ちの本には誘い文句の続きが詳しく載っておらず、気が付けば朝日が昇ろうとしていた。
―――コテッ
「あ、寝た…………」
本を手にしたまま倒れた少女は安らかな寝息を立て眠ってしまった。俺は少女を藁の上に乗せ、自分の荷物を静かに纏めると静寂の雪山を下山した…………
こっそりと頂戴した彼女の髪の毛は小さな小瓶に入れて今でも大切にしている。時折傾け色の変化を眺めては、あの時を思い出し不意に笑みを漏らすのだった…………
読んで頂きましてありがとうございました(*'ω'*)