消せない想い
「ほならいってきます」真希は山崎からお弁当を受け取りながら言った。
「あぁ、気をつけてな。あっ、髪の毛に埃が…」山崎が真希の頭についた埃を取ると、真希はドキッとした。
「あんな、カズ兄ちゃん…」真希は口籠るように何かを言いかけた。
「ん?どうした?」
「いや、何にもない。いってきます」真希は病院へ向けてスマイル食堂を出た。
一方でグリーン・ヘヴンでは久美と優香が話しをしていた。
「えっ?代表がスマイル食堂に行くんですか?」久美は驚いたように言っていた。
「うん、新しいお客さんやし、もしかしたら大口になってくれる可能性もあるから今の内にちゃんと挨拶をしときたいの」優香は本音を隠してそれらしい理由をつけた。
「あーっ、残念。私も行きたかったのに。代表、大人は出入禁止なんか聞いといて下さいよ。そうじゃなかったらプライベートで一回行きましょうよ」久美は口を尖らせて子供のように言った。
「そんな訳ないと思うよ。誠実な人やと思うから」言っている優香の雰囲気は、ほんのりと影掛かっているように感じられた。
「何でそんな事、分かるんですか?もしかしたら子供が好きで何か変な事しようと思って子供を集めてるかも知れませんよ」久美は本心ではなかったが冗談のつもりで言った。
「そんな訳ないわよ!誠実に決まってるから!」珍しく優香の語気を強めた言い方に久美はびっくりした。
「じょ…冗談ですよ。何です?もしかしたら知ってはるんですか?山崎さんの事」久美は怪しむように横目で優香を見た。
「えっ?山崎さん?やっぱり…」最後の方は聞こえないくらいの小声で呟いた。優香とすれば確信こそなかったが久美の子供だらけの食堂と言う言葉と食材に対する造詣の深さ、フランスシェフのような料理の腕前、と言った話しから、13年前に身を切る想いで別れた山崎 和浩の店であるとの思いを強めていた。それを確かめる為に行くつもりであったがその必要はなくなった。しかし "山崎に会いたい" との想いが優香の心中を支配し始めていた。
「それじゃあ私は堺の方に行きますね」こうして二人は会社を出た。
配達は沢山あり、優香がスマイル食堂に着いたのは久美同様にランチタイムを終え、しばらくした頃だった。
「こんにちは、グリーン・ヘヴンです」優香は子猫が鳴くような声で入店した。
「はい、らっしゃい!水野さん…って水野さん?」山崎はいつもの調子で料理に向き合いながら入ってきた雰囲気で優香の名を呼んで自分で驚いて入り口に目をやった。そこには紛れもなく、目を潤ませて立っている優香がいた。
「や…山崎さん。お久しぶりです」優香はすっかり白髪交じりの頭になってしまった山崎を見て、入り口付近からそれ以上は一歩も踏み出せずにいた。
「水野さん…あっ!と…とりあえず入って。ごめんごめん。野菜、受け取るわ」山崎は優香の元に歩み寄り、野菜を受け取るとカウンター席を勧めた。
「あの…店名、変わってたんですね」13年の時間が二人に何を話させれば良いのか戸惑わせた。
「あぁ、そうやんな。水野さんが岡山に帰った時はまだ、まんぷく食堂やったもんな。それより大阪に帰ってたんや。旦那さんは岡山に居てんのん?まさか離婚したとかないよなぁ。オレ桃を楽しみにしとったんやけど、来んようになったから旦那さんと幸せになり過ぎてオレの事なんか忘れてもうたんやと思っとったわ。まぁオレなんか忘れられても…ってどないしたん?」山崎が変な空気になるのを恐れて必死に話しているのを聞いていた優香は、感極まって泣き出してしまった。
「違うんです。違うんです、山崎さん。私、何だか嬉しくって。昔とちっとも変わってない貴方を見れて凄く嬉しいんです」優香はハンカチで目を押さえながら言った。
「そ…そんな事を言われたら勘違いしてしまうやないか。オレかって一応は男やし、昔と変わらずベッピンさんの水野さんに言われたら…」
「私、結婚なんかしてません!恋人も一度だっていた事はありません。貴方を忘れた事だって…一度だって…一度だってないに決まってます」山崎の言葉を断ち切り優香は想いの丈をぶつけた。
「ハッ…ハハハッ。水野さん、何を言うてるんや?」優香はてっきり岡山で幸せに結婚生活を送っているとばかり思っていた山崎は頭が混乱した。もしあの時、子供食堂を始めようとした所でなければ、もし始めたとしても軌道に乗った状態であれば、そもそもこんな賭けのような商売をせずに北新地の料理人にでもなっていれば、色んなもしもがあるだろうが、危険なドロ船にさえ乗っていなければ素直に優香の気持ちを受け止めていたであろう。それが証拠に山崎は優香と別れて以来、優香以上の女性とは会った事がないのだ。
「山崎さん。私…あの時に岡山に帰るには帰りました。お見合いもしました。でもやっぱり駄目だったんです。自分の心に嘘はつけなかった。貴方はどうですか?」優香は赤くした目を山崎に向けた。
「オ…オレかって水野さんを忘れた事なんかないよ。好きやって言うてくれる女性も居ったけど、いっつも水野さんの面影が頭を過ぎる。分かってんのに水野さんと比べてしまう。オレも一緒や」山崎は優香を直視出来ずに、俯き加減で話した。
「ウフフッ、やっぱり山崎さんは山崎さんですね。本当に変わらない。これ…大事にしてて良かった」優香は着けていた髪飾りを取って山崎に見せた。
「それ…あの最後の日に買った?」山崎の頭の中に13年前に二人で食事に行った風景が蘇った。優香はコクッとうなずいた。
「山崎さん!また暇な時に食べに来ても良いですか?」優香の表情が一転して明るくなった。
「あぁ、もちろんや。めっちゃ美味いオムライスを食わしたる!」山崎は優香の目を真っ直ぐに見ていた。