居酒屋の夜に
スマイル食堂は土曜日と祝前日の夜は地域の人々との交流の場として居酒屋として開放される。そして今夜も日頃お世話になっている人や子供食堂を利用させてもらっている親たちが訪れていた。
「カズちゃん、いっつも学校の生徒がお世話になってしまってありがとう。さぁ一杯飲んで」後藤 晃司が山崎に瓶ビールを勧めた。
「あーっ世も末やな。まさかあのクソガキが学校の先生になるとは…これでここに来る子供らもクソガキになってしまうんやろなぁ」山崎は悪口を吐きながらも嬉しそうな顔をしていた。晃司は山崎にとって縁深い人間で、スマイル食堂設立に大いに手を貸してくれた後藤 史恵の息子で真希の亡くなった兄・俊介の同級生でもある。真希たちの親類との確執により一度は引き離された山崎たちだったが、三人の絆を繋ぐ役割りとして俊介との手紙のやり取りを仲介してくれたのも晃司だった。
「大丈夫、大丈夫。オレも今は改心してエエ影響しか与えてへんから。それより真希ちゃん東京から帰って来てるんやて?」晃司は電子タバコを吸い始めた。
「あぁ、今は医療センターのお医者さんや。まぁ晃司よりかは賢かったからなぁ、真希は」山崎はハイライトに火を着けた。
"ガラガラ" 入って来たのは三宝製菓の上野社長と辰巳運輸の玉村 慎一郎社長だった。
「山崎さんお邪魔しますよ」山崎は玉村社長とも因縁があり、従業員の不当解雇の一件でやり合った事がある。その時の慎一郎は高飛車そのものでスマイル食堂をも小馬鹿にした言動を取った。そこに父親で会長の喬太郎が現れ、本質を見抜く目を持つように諭された。それ以来、慎一郎は改心し、スマイル食堂の支援に回った。三宝製菓は元々の得意先であったが、スマイル食堂との縁を切っ掛けに上野社長からも信頼されるようになっていった。
「社長、お疲れ様です。大層な結婚祝い、ありがとうございました」配膳を手伝いながら飲んでいた茜が自身が正社員として働く上野の元にお酌をしにやってきた。
「おぉ、三宅さん…やなかったな。西川さん。事務の仕事には慣れたか?」入社当時は生産ラインの一員だった茜は、現在は経理の事務員として働いていた。上野は向上心を持ち勉強していた茜が簿記検定一級の資格を取る事にも尽力してくれた。
「お陰さんで…『カリカリすんなよ』の売り上げも順調ですね」三宝製菓の駄菓子の話しをしながら三人は盛り上がっていた。
「カズちゃん、レモン酎ハイのおかわりもらえる?」
「あっ、ボクも生ビールのおかわり」山本 俊介、賢一兄弟だ。兄弟とは言っても二人は血の繫がりもない同級生で小学校も別々だった。"スマイル食堂" がまだ "まんぷく食堂" と言っていた頃、子供食堂を始める切っ掛けになったのがこの二人だったのだ。それが縁で俊介の父親と賢一の母親が再婚をして、二人には宗介と言う弟まで出来ていた。
「カズちゃん?何、泣いてんの?」カウンター席で飲んでいた晃司が心配そうに言った。
「何やろなぁ。あんなにチビやった子供らが酒飲むようになったんやな。お父ちゃん、お母ちゃんらもオレより年下ばっかしになってもうたしなぁ」山崎はノスタルジックに耽った。
「何、何?何の話し?」三浦製作所の赤川工場長だ。赤川は興味津々に聞いてきた。
「なるほどなぁ、カズちゃんも結婚のタイミング、すっかり逃してもうたもんなぁ。そう言うたら何やったっけ?大橋不動産で働いてたベッピンさん。あれ絶対にカズちゃんに惚れてたと思うねん。あの時カズちゃんが告白っとったら絶対に成功してたで」赤川は上機嫌に冷酒を啜った。
(コクられたんはオレや。まぁタイミングが悪かったんは事実やけど。そう言うたら岡山から桃を送るって言うて初めの一年だけやったなぁ。ん?あれ?何か…水野さん?)
「どないしたん?カズちゃん!」一人考え込んでいた山崎に赤川が言った。
「えっ?あぁ、何か最近聞いたようなないような?何やったっけ?」山崎が言っていると真希が帰宅した。
「カズ兄ちゃん!疲れたーっ。お腹空いたーっ。肉じゃがとコロッケと秋刀魚が食べたい!」真希は倒れ込むように入ってきた。
「プフッ、天下の名医も台無しやなぁ」
「えっ?あーっ!後藤君!めっちゃ恥ずいーっ」真希は兄の親友のツッコミに赤面した。
「真希!ここはご近所さんが皆んな来るねんから部屋に入るまで他所行きにしとかんと」山崎は揶揄するように言った。
「そう言やぁ真希ちゃん恋人とか居らんのん?」隣に座っていた晃司が聞いた。
「恋人?病院の看護師みたいな事、言わんといて!今は医者として修行中やから仕事を頑張らんと」真希は嬉しそうに肉じゃがを口に運んだ。
「ふーん。何やったら俊介が言うたようにオレと結婚する?」晃司は半分冗談、半分本気のつもりで言った。
「えーっ!ないない。後藤君となんかないよ!」語気を強めて言う真希の言葉に晃司はさすがにショックを受けた。
「カ…カズちゃんみたいに行き遅れても知らんからな!」晃司は精一杯に強がってみせた。しかし真希の心の中は複雑だった。山崎への想いを伝えたら自分たちの関係はどうなってしまうのだろう?それを考えると気持ちを胸に押し込めるほかなかった。そんな事を考えながら真希は客と談笑する山崎を見ていた。
その頃グリーン・ヘヴンでは、優香がスマイル食堂の契約書を見ながら考え込んでいた。
「この住所…まんぷく食堂の住所と同じ?まんぷく食堂は潰れたの?山崎さん…」契約書にはスマイル食堂の記述しかなく印鑑も店の判子が押されており、"山崎 和浩" の記述がなかった。そして優香はある決心をしていた。