配達員
「こんにちわー!グリーン・ヘヴンです!」ランチタイムを終えたばかりのスマイル食堂に、爽やかな黄緑色のポロシャツを着た、小麦色の肌とショートカットのヘアスタイルが良く似合う女性が入ってきた。
「おっ!来たか?どれどれ」山崎は女性を快く向かい入れ、沢山の野菜が入ったダンボール箱を受け取った。
「始めまして!私はグリーン・ヘヴンの松浦 久美と申します。この度は当社をご利用いただきありがとうございます」久美は元気良く挨拶をした。
「ふーん。確かに見た目は悪いけど綺麗なツヤをしとる」山崎は糸瓜のように大きい胡瓜を手に取り、ガブリと齧り付いた。
「うん、美味いやないか?この毛馬胡瓜」山崎はボリボリと音を立てて胡瓜を咀嚼した。
「えっ?知ってはるんですか?毛馬胡瓜を」久美は希少品種の野菜名を口にした山崎に驚いた。
「へぇ、茄子も京の加茂茄子に泉州水茄子か。和泉の大阪蜜柑まであるんか?おっ!同じ和泉でも三つ葉まであるやないか?どれどれ…うんミントのような爽やかな香りがする」山崎は久美の言葉を無視して持ち込まれた野菜たちを吟味した。
「あ…あの…どないですか?」久美はただの大衆食堂のオヤジとは思えないほど食材に詳しい山崎に圧倒されていた。
「もう少ししたら泉州キャベツとか門真蓮根なんかも出てくるんかなぁ?後、能勢栗は取り扱ってないんか?」山崎は久美の方を見ずにまじまじと野菜たちを見つめながら聞いた。
「は…はい!泉州キャベツは起業当初から取り扱ってますし、門真蓮根は去年から契約させてもらってますから。でも能勢栗は知らなかったです」久美はこの大衆食堂のオヤジと話しているのが楽しくなってきた。ほとんどの配達先は個人宅であり、相手は主婦が主だった。その為にこちら側から説明する事はあっても、取り扱い野菜の内容に関する質問や、ましてや自分が知らない食材が出て来るのは初めての経験だった。
「分かった。ほなら定期的に頼むわ」山崎はやっとの事で久美の方を見た。
「えっ?定期的?」お試しセットを持って行った時は大抵の場合、後日に契約の連絡が入る。その場で吟味して、即、契約の話しをされた事はなかった。その為に呆気に取られてしまった。
「せやから契約をするって言うとるんや。契約書とか何かあるんやろ?」山崎はダンボール箱を持って厨房の中に入っていった。
「ちょ…ちょっと待ってて下さい。車に契約書を取りにいってきますんで」久美は慌てて店を出た。
「そう言やぁ代表、昔、東大阪の方に住んでて、そこで知り合った食堂の店主から影響を受けて食材を流通させる仕事をしようと思ったって。そんで会社を立ち上げたって言うてたけど、まさかその店主が山崎さん?…な訳ないか!」久美は契約書を持って再びスマイル食堂に入っていった。
「これ、契約書です。あのぅ…私、まだ配達が残ってるんで、また夕方の帰りにでも寄りますんでこれで失礼させてもらってもよろしいですか?」
「あっ!そうなんか。足止めしてエラい悪かったな。ほならそれまでに書いとくわ」山崎の言葉を受けて久美はスマイル食堂を後にした。
「何かエエお客様が出来たって感じやわぁ。私も会社に入って、自分なりに色々と勉強してきたつもりやったけど、知らん事もまだまだあんねんやぁ。あっ!確か能勢栗って言うてはったよね。メモして代表に報告しなアカンわ」久美は運転しながら楽しそうに一人言を言っていた。
夕方の五時になり町に "赤トンボ" が流れ始めた。この地域では五時になると "赤トンボ" の曲を流して子供たちに帰宅を促す。それがスマイル食堂にとってもう一つの営業スタイルの始まりの合図でもある。
「カズちゃん、こんばんは!オレ、ハンバーグ食べたい」山本 宗介がヤンチャそうにカウンターに乗り出してきた。
「コラ!宗介、俊介も賢一ももっと大人しゅうしとったぞ。黙って茜ちゃんが注文取りに来んのん待っとけ」山崎はバットに入ったハンバーグダネをフライパンに投入した。
「宗ちゃんお待たせしたなぁ。ほんでハンバーグやったら "ロ" か "ハ" のどっちかな?」残業で来るのが遅くなってしまった西川 茜がエプロンを締めながら注文を取りに来た。
「あっ、茜ちゃん、エエねん。宗介は牛肉に軽いアレルギーがあるから鶏ミンチ豆腐ハンバーグの "ハ" しかアカンから」山崎は大きめの皿に生野菜を盛り付けながら言った。
「あっ、ごめんカズさん。アタシアカンなぁ。中々子供らのアレルギーとか好みを覚えられへんわ」茜は言いつつも改めて山崎の子供たちに対する記憶力に舌を巻いた。
"ガラガラ" 引き戸が開き子供の気配でない事を感じた山崎は入り口に目をやった。
「こんばんは。山崎さん、松浦です」昼間にやって来た久美だった。
「おぉ、タイミング悪いなぁ。スマンけどそこに座って待っとってくれるか?」山崎はハンバーグをひっくり返した。
久美は言われたカウンター席に腰を下ろし、店内を見渡した。
(何、何?子供ばっかしやん。この店、子供御用達なん?)夕方からは子供食堂になる事を知らない久美は、店内の雰囲気を不思議そうに見ていた。
「ごめんなさいね。今、カズさん忙しいから。これカズさんから」茜が山崎に頼まれて蜜柑ゼリーを持って来た。
「こ…これってもしかして?」久美はゼリーを目の前にして山崎に目配せした。
「あぁ今日持って来てくれた大阪蜜柑を使こうて作ったんや。遠慮せんと食べて待っといて」山崎はハンバーグを焼いたフライパンに赤ワインビネガーを注いでフランベし、ドミグラスソースを注いだ。
(何か凄い、この男性。手際を見とったらフランス料理のシェフみたい。大衆食堂なんかやってるおっちゃんに見えへん)「ってか美味っ!」思わず声に出てしまった久美だった。
それからも山崎の仕草に釘付けになった久美は、違和感を覚えた。
(何?この人。超能力者なん?お客さんを見んと名前言うてるやん。ンフッ、子供らも楽しそう。何かむっちゃ楽しそうな店やなぁ。大人は出入禁止なんかなぁ?)三十分ほど足止めされてしまった久美だったが、時間を忘れてしまうほどに居心地の良さを感じていた。
「スマンかったな松浦さん。ほならこれ、チェックして間違いなかったらよろしく」山崎は契約書を渡して再び調理を再開した。
「間違いありませんので私はこれで失礼します。ゼリーごちそうさまでした。あの…また来てもエエですか?」久美は畏まって山崎に声をかけた。
「何言うてんのん?また配達に来てくれるんやろ?」相変わらず山崎は料理に向き合っている。
「そ…そうですよねぇ。ほなら失礼します」そう言うと久美は店を出た。
「プライベートでって意味やってんけど、まぁ良いか!今度配達に来た時に大人は出入禁止なんか聞いてみよ」久美は車に乗り込みエンジンをかけた。
「お疲れ様です。あっ、代表!退院されてたんですか?」会社に戻った久美はグリーン・ヘヴン代表の水野 優香がいる事に驚いた。
「ごめんね久美ちゃん。心配かけてしまって。仕事の方は順調やった?」優香は苦笑いしながら久美に声をかけた。
「はい!今日はむっちゃ面白いお客さんと出会いましたよ。これ、契約書です」久美は山崎の契約書を優香に手渡した。
「ありがとう。ふーん、東大阪か。スマイル食堂?久美ちゃん!新しいお客さんってお店やってはる人なん?」優香は個人宅が主な客層であるグリーン・ヘヴンにあって珍しい飲食店の契約書を見て久美に聞いた。
「はい、めっちゃ面白そうなお店でしたよ。お客さんが子供ばっかしで。ゼリーご馳走になったんですけど、その他の料理も美味しそうでした。一回食べてみたいですよねぇ」久美は店内にいた事を思い出しながら楽しそうに話した。
「スマイル食堂ね…(まんぷく食堂じゃないか)」優香はまだこの時は気付いていなかった。まんぷく食堂がその後スマイル食堂に変更された事を。