天国に一番近い島
船が完成した翌朝、タケル達一行は北西に向かう。
正面に岩礁に囲まれた島が見える。デュウエルの船がその島に隠されているとのことだった。
「申し訳ございませんお嬢様。本体の修復に箱の力を全て使っています。お嬢様を安全かつ快適にあの島までお送りすることができないなんて、鬼子は役立たずです」
オトヒメの手の中で、鬼子は器用に足を折って座り泣いていた。涙はでていないが。
「いいのよ鬼子ちゃん、気にしないで。オニコさんは元気になるの?」
鬼子の頭をなでながら、オトヒメは後ろを振り向く。そこには船に繋がれた白い箱がぷかぷか浮いていた。
オニコの身体はナノマシンの集合体で、今は箱の中で修復をしているとの事だった。傷が深く回復に時間が掛かるが、いずれ元に戻ると鬼子ちゃんは保証してくれた。
舳先に座っていたデュウエルが、タケルの背に体を乗り上げる。
「オトヒメちゃん、オトヒメちゃん。オニコさんが元気になったら紹介してね。私と~ってもお友達になりたいの。」
「ええ、もちろん」
オトヒメのあどけない笑顔の下で、鬼子がとても嫌そうな顔をしていた。
デュウエルが動いたことにより、船がぐらつく。
急造の船である。バランスも悪く転覆しかねない。
「デュウエルさん、乗りかかられていると櫂が漕げません。大人しく座っていてもらえないでしょうか」
「ごめんねタケルちゃん」
デュウエルは大人しく舳先にもどる。海に手をいれてみたり杖を掲げてみたりと、他の事に興味がそれていったようだった。
「タケル、船を揺らして危ないでしょ。お嬢様に何かあったらどうするのですか、しっかりしなさい。」
「へいへい」
鬼子の小言に理不尽だと思いつつも、タケルは船を進めるのであった。
岩礁地帯を回り込み島の裏側に回ると、サンゴ礁で囲まれた内海が目の前に広がった。島の西側は弧をなして長い砂浜となっていた。
白と翠と青のグラデーションが神秘の世界を作っていた。環礁に囲まれた海はとても穏やかに、小さな船を優しく包み込んでくれた。
「・・・きれい」
オトヒメは目の前に広がる景色に、心を奪われている。
「この島はね『天国に一番近い島』と言われているの。悲しみに包まれた乙女がこの島を訪れたとき、天使が降りてきて祝福を与えたというエルフの言い伝えがあるのですよ」
デュウエルもうっとりと景色に見とれる。
「私も悲しみに暮れてこの島へやって来たのだけどね~」
「天使には会えなかったのですか?」
タケルも手を止めて景色を一望する。たしかに天使が降りてくるとするならばこのような場所なのだろう。優しい波音に心が洗われる。
「この島を探すのに時間が掛かってね、着いた時には悲しんでいた事すら忘れていたわ」
デュウエルの声音は微かに影を帯びる。
「・・・私だって乙女なんだから、決して年取っているなんて事ないんだから・・・」
最後の方は小声で、タケルは聞き取る事ができなかった。
弧をなした浜辺の南側に船を乗り上げた。浜辺の奥には屋根に葦を敷き詰めた、キノコ形の家が建っている。隣の島にあった家より一回り大きい。家の中は見たことも無い機械や多数の本が所狭しと積み上げられていた。
「今日はここに泊まり、明日船を見に行ってみましょう」
デュウエルの船は礁湖の中央に沈めてあるとの事だった。
家の掃除を終えたころには日が暮れていていた。
「タケルちゃん、オトヒメちゃんありがとう。綺麗に片付いたわ」
デュウエルは部屋を見渡し、ある小箱の前で目を止める。
「そういえばオトヒメちゃんのコアは何処にあるの?」
「コア?」
オトヒメは首をひねる。タケルもオトヒメにならう。初めて聞く言葉であった。
「これよこれ」
デュウエルは左手にある白い手甲を外し翠の宝石を見せる。宝石は手の甲に埋め込まれていた。
「タケルちゃんにもあるわよ」
デュウエルはテーブルに身を乗り出し、向かいに座るタケルの前髪をかき分けた。
額の中央には白色の点があった。白い黒子とでも言うべきそれは、注意してみるとランプの光を照り返して、キラッと輝やいた。
「タケルちゃんが額にあるのだから、オトヒメちゃんも額にあるはずなんだけど・・・」
今度は右手に身を乗り出してオトヒメの前髪をかき分け、オトヒメの額に顔を近づける。
「ないのよね~」
髪と瞳の色、身体的特徴、コアの色と位置は種族により固定である。
エルフは金髪碧眼を持ち、耳が尖がり、左手に必ず翠のコアを持つ。
コアは生命そのもので、コアを失うと衰弱して死にいたる。
以前にはコア目当てにエルフ狩りが行われた事があり、多くの同胞が無くなったとの事だった。
「黒目黒髪なのだから、タケルちゃんとオトヒメちゃんは同種なのかと思ったのだけど・・・」
デュウエルは椅子をたち、先ほど目をとめた小箱を手に持って戻ってきた。
小箱の蓋を開くと細い銀色の筒が現れた、筒の片方には尖った針が付いている。
「オトヒメちゃん、こんど一緒に体の洗いっこしましょ」
デュウエルは妖しく笑い、針をオトヒメの腕に突き刺す。
「ぎゃー!この女、お嬢様に何てこと・・・」
「はーい、痛くない痛くない」
鬼子ちゃんが騒いでいるのをしり目に針を引き抜き、翠色に輝いた左手をオトヒメの腕に当てるのだった。デュウエルが手をはなすと、オトヒメの腕に傷はなかった。
デュウエルは別の筒を取り出すと、
「次はタケルちゃんの番ね。はーい、痛くない痛くない」
タケルには手当をしてくれなかった。
デュウエルは小箱を抱えて、不思議な機械の詰まった部屋へ足取りかろやかに入っていった。遅くなるから先に寝ていてとの事なので、タケルとオトヒメは寝ることにした
ベッドの中でタケルは額をさする。中央にある微かなシコリを意識して。
そういえば村の人たちにもコアはあったのだろうか。
父さん、マノア叔母さん、ライエ。思い出す人はみな茶色の髪、金色の目をしていた。
翌朝になっても、デュウエルは部屋から出てこなかった。タケルとオトヒメは食糧集めを兼ねて島を探索することにした。
島は横幅は歩いて30分ほどしかなく、南北に長い三日月の形をしていた。三日月の端が環礁につながり、中に内海を抱え込んでいる。食べ物は豊富で時間を掛けずに集めることができた。
その後何日もデュウエルは部屋にこもりつづけた。たまに出てきたとしても、目の焦点は合わず、独り言をブツブツ言い続けるのであった。
タケルとオトヒメは、砂浜を走り、岩の上から海に飛び込み、洞窟を見つけては探検し、南の島を満喫した。生まれてよりずっと人目を避けてきた2人にとって子供らしく外で遊ぶことは、初めての経験であった。
不気味な男は死んだ。長く続いた逃避行から解放されたのだった。
南の海に、タケルとオトヒメの笑い声がこだまする。
砂浜で遊んでいると雨が降って来たので、近くにある木のしたへ走りこんだ。
2人はしゃがみ込み雨雲の通りすぎるのを待つ。
タケルが空を見上げる横で、オトヒメと鬼子が取り留めもない話をしている。
なにげなくタケルの横顔を見上げたとき、オトヒメの中に思い出が広がる
本当の親を探しにでかけ、迷子になった時に声をかけてきたときの笑顔
オニコさんを探し夜道を恐る恐る歩いていた時に、ばったり出会ったときの驚きの顔
船の上で頭を撫でてくれたときの優しい顔
森をかき分けで進むとき、魚をさがし海を見つめるときの真剣な顔
怪物を前にして、怯えながらも助けに向かってきてくれたときの顔
まだ少女であるオトヒメには、この思いが保護者が被保護者へむけるものなのか、それとも恋と言えるものなのかは判断できないのであった。
雨が上がり、雲の切れ間から光が差し込んできた。
光は天と地上を結ぶ光の柱となり、礁湖の中にある一つの岩肌に降り注いだ。
その景色はまるで、天使が降りてきているようにも見えた。
タケルがオトヒメの手をとる。2人は浜辺に駆けだすのであった。