60話・あの頃は楽しかった
「余は他の階にしてくれないか? 出来れば以前来た時と同じ階がいい」
「陛下」
「それは……」
そんな甘えが通用するはずもない。ルイは客人を連れてこの城に来たのだ。相手はルイと婚姻を望んでいる相手ではないのか? だから部屋も隣に用意させたというのに。
「彼女は客人だ。余の婚姻相手ではないぞ。パール公爵令嬢」
暗に婚約者ではないのだからそんな行動を取らなくても良い。と、言われてますますわたしは困惑した。そこへ後から追うようにやってきた父が話しかけてきた。
「どうかなさいましたか? 陛下?」
「公爵。余の部屋を別の部屋に変えてくれないか? 正式に婚約もしてない相手と隣の部屋にさせられるのはどうも気がひける」
「それは失礼致しました。すぐに別のお部屋を案内させましょう。ご希望の部屋などございますか?」
「以前訪れた時に宛がわれた部屋が良いな。ジェーンの部屋がある階の奥の部屋だよ。角部屋になるが領地の町並みや、その先にある湖や林が目に入って気持ちが良かった」
「分かりました。先に侍従の方々をお連れいたしますので、陛下にはしばらくお待ち頂くことになりますが?」
「部屋の用意が整うまで、ジェーン嬢にお相手してもらうことにしよう」
その言葉に父はわたしを見た。背後にはアズライトが控えている。侍従らをこれ以上、待たせるのも申し訳ないと思ってか、渋々認めたように言った。
「ジェーン、中庭をご案内してはどうだ?」
「はい。そうさせて頂きます」
ルイがわたしの手を引いて庭に出ると、護衛が少し距離を取りながらついて来る。黙々と歩いていると沈黙を破るようにルイが話かけてきた。
「ここは何も変わらないね。森の青々とした茂みも、湿り気が感じられる風も清々しい」
「陛下はここに来るのは十年ぶりくらいですものね」
「きみだってそうだろう? ジェーン」
ルイに陛下と呼びかけると、気難しそうな顔をする。段々と彼は少年っぽさが抜けてきた。会わないうちに声も低くなってきたような気がする。
「あの頃は良かった。一日中走り回って泥んこになって気持ちよかった。今ではそんなことはもう出来なくなってしまったけれど」
「仕方ありませんわ。あの時とはもう状況が違うんですもの」
ルイに引かれた手に目を落すと、いつの間にか自分の手よりも彼の手の方が大きくなっていたことに気が付いた。幼い頃は泣き虫だった彼の手を自分が引いて走り回っていたというのに。
「懐かしいな。ここは。ここには思い出がいっぱい詰まっている。ここに来る度、余は故郷のように思い出すのだろうよ」
「陛下……」
「なんだかその呼び方は嫌だ。余ときみの仲が一線を引かれているように感じて面白くない」
「でも……」
彼は普段のようにふたりきりになったのだから、いつものようにルイと名前で呼ばれたがっているようだ。しかし、彼にはイサベル王女がいる。わたしは彼女の手前、誤解を受けるような発言は避けたほうがいいと思っていた。




