34話・ギルバードにしてやられた!
わたしがギルバードのもとへ向かったのは夕刻のことだった。ルイのもとから辞してくる時に、宰相から彼の治療にオックスを当たらせていると聞き不安になったからだ。付き添いにはリリーが同行してくれた。わたしが伺った時には丁度オックスはわたしと入れ違いで帰ったようで、西日の当たる部屋でギルバードは静かに眠っていた。
「ギルバード。そろそろ寝ているのにも飽きた頃じゃないの?」
話しかけても相手はこんこんと眠っている。わたしは悪戯心がわいて彼の鼻をちょんと指先で突いてみた。
「いい加減、起きてよね。あなたの寝顔を見るのも飽きてきたわ」
ギルバードが眠り続けるようになってからエメラルドグリーン侯爵が、ジェーンの父のもとを訪れてきた。あとで父から聞かされた話によると、侯爵は「ジェーン嬢にはギルバードが目覚めるまで付き添っていてもらえないか」と、お願いしたが、未だにギルバードが回復しないことと、ジェーンの未来を考えたならやはりふたりの婚約は破棄したほうが良いだろうと考えていると告げたらしい。
ギルバードが教皇さまに婚約破棄を受理しないようにお願いした件については、侯爵が教皇さまのもとに赴き、本人がこの様な状態で続行するのには無理がある為、なかった事にしてもらいたいと話をしてきたそうだと聞かされた。
ギルバードと婚約破棄が整うのも間もなくだ。そう告げた父はなんとも言えない顔をしていた。わたしも単純には喜べなかった。
ギルバードがこうなる前には、婚約破棄をすることだけ考えていた。他のことなど二の次だと思っていた。それなのにいざ婚約破棄したい相手が寝ている間に事を進めてしまって、はたしてそれで良いのだろうかと思う。
わたしがしたかったのは正々堂々とした婚約破棄。婚約者が不遇に見舞われました。だから婚約破棄します。そんな流れにはしたくなかった。
(眠り続けるあなたにも、振り回されてしまっただなんてね)
塞ぎそうになる心の蓋を押し開けて、わたしは最後の頼みとばかりに教皇から託されたガラスの小瓶を懐から取り出した。蓋を開け中から丸薬を取り出し、ギルバードの口に含ませようとするけど上手く行かない。唇は固く閉ざされて空きそうにない。案外、寝てる相手に物を飲み込ませるのは簡単ではないのだなと感じる。
「これどうやったら飲ませられるかしら?」
後ろで控えるリリーに訊ねれば「方法は一つです」と、胸を張って言われた。こんな時の彼女のアドバイスは役に立たないことを良く知っている。案の定、彼女は「キスですよ」と、言ってきた。またか。前回もキスがどうの言っていたけど、彼が未だに眠り続けていることで彼女のアドバイスは役に立たなかったことを物語っている。
他に何か妙案はないかと頭をめぐらしていると、何を思ったのかリリーは、わたしの手から小瓶を取り上げた。
「リリー?」
「お嬢さまがやらないのなら私が」
リリーが薬を口に含み、ギルバードに顔を寄せる。それをみて思わずわたしはリリーを突き飛ばしていた。
「や、止めなさいっ」
「きゃっ」
床に尻もちを着いたリリーを見てとんでもないことを仕出かしてしまったと青くなると、リリーは立ち上がりながら笑った。
「お嬢さまは素直じゃないですね」
「違うわ。そんなんじゃない」
リリーは誤解してるようだ。わたしがギルバードをまだ好きで、彼女が彼に薬を口移しに与えようとするのを目にして嫌がったのだと。
「あのね、誤解よ。リリー」
「そういうことにしておきましょうか。お嬢さま」
はい。と、手渡されたのは彼女が手にした小瓶で、やむなくわたしは口に含んだ。これはキスじゃない。応急処置よ。もうギルバードには何の想いも残ってないんだから。
リリーの冷やかすような視線にも負けず、ええいっ。と、わたしは薬を口に含み、寝顔も麗しい男の唇へと近付いたら唇が触れ合わされていた。
「……?」
口内に侵入してきた舌が器用にも、今から与えようとしていた薬を攫い奪っていった。何が起こったのか理解できなくて瞬きしたところに、うっすらと新緑色の瞳が開く。
「まあ、ギルバードさまが目覚めましたわ」
背後から様子を伺っていたリリーの感嘆の声があがった。その様子は小躍りしそうな感じだ。この手の話が大好きな彼女のことだ。屋敷に帰ったなら他の侍女たちには筒抜けだな。そう思っていると、首の後ろを引かれて再び唇が彼に奪われていた。
さっきよりもしつこいくらい口内を攫われて目の前がくらくらしてきた。
「ジェーン。きみのおかげで深い眠りから覚めることができたよ。愛しい人。ありがとう」
「さすが愛の力は偉大ですわね」
ギルバードの笑みにしてやられ感が半端ない。ギルバードめ! と、睨み付けているとリリーが廊下に飛び出した。
「皆さまぁっ。ギルバードさまがお目覚めになりましたよ!」
「ちょっ、ちょっと待って。リリー」
止める間もなかった。その声を聞きつけて、わらわらと執事を始め、使用人達が集まってきた。
「ギルバードさまっ」
「ギルバードさまが目覚められたぞ」
「おおい、誰か侯爵さまのもとへ遣いに走れっ」
「ギルバードさまぁっ」
瞬く間に騒がしい状態となって、わたしはその場を逃げ出そうにもがっちりとギルバードに腕をつかまれて逃げられないし、頼みとするリリーは感激しておいおいと泣き出してあてにならなくて、結局、侯爵が息子が目覚めたと聞きつけて駆け込んでくるまで、「どうぞギルバードさまの傍にいて差し上げてください」と、屋敷中の者達に留め置かれる事になってしまっていた。




