26話・宰相の頼み
深夜遅く、大理石の廊下に足音が響き渡った。誰もが寝静まっている頃である。月明りを頼りにオックスは迷いなく足を進めていた。今夜は満月ということもあって青白い月明りが周囲を満たし、物影の尾を長く引いていた。
コツコツコツ……。彼の足音に被さるように他の方向から足音があがる。相手は宮廷の廊下の交わった辺りの向こう側から姿を現した。片眼鏡をした宰相の姿を認めてオックスはウンザリしたくなった。彼は生真面目で融通が利かない。面倒くさい男なのだ。
「辺境伯。こんな時間に何用か?」
「陛下から賜っている部屋に帰って来ただけですよ。辺境伯だからといって、いつまでも宮廷内に賜った部屋を留守にしていれば埃が立ちそうですからね」
宮廷にルビーレッド家が賜っている部屋に、寝に帰って来たのだと言えば、宰相がなにやら思案する様子で言った。
「ギルバードが……シーグリーン卿が原因不明の眠り病にかかっているのは知っているか?」
「ああ。聞きましたよ。この場合、眠ると言えばお姫さまと相場が決まってるでしょうに、宮廷一のモテ男が眠ってしまっては姫君の出番がありませんね」
「そうでもないぞ。我こそは。と、思う令嬢方がエメラルドグリーン家の門前に列を成していたそうだからな」
「羨ましい限りですね。倒れてまでも沢山の令嬢方の心を掴んで放さないとは。さすがはシーグリーン卿だ。それで彼は目を覚ましたのですか?」
オックスはほくそ笑んだ。宰相は深いため息を漏らしながら言った。
「いいや。まだ彼は眠ったままだ」
「お可哀相に……ジェーンさまのキスで目覚めたりするのでは?」
「それは有り得ない。彼はジェーンさまに愛想をつかされている。物語のようにはいかないだろう。そこで君の出番だ」
宰相のサーファリアスは、そこで頼みがあると言い出した。
「ルビーレッド家は、薬草や毒薬に詳しいと聞いている。君も少しは嗜んでいるのだろう? シーグリーン卿を目覚めさせてはくれないか?」
「は?」
「君には関係ない話だったか。そういえばギルバードが倒れた日に、メアリー嬢が彼の私室から出てきたところを目撃した者がいる。メアリー嬢はギルバードが倒れたことと何か係わりがあると思わざる得ないな。君は彼女から何か聞いているのか?」
サーファリアスは、ギルバードが倒れたのはメアリー嬢が関係しているのは分かっている。そのことでメアリー嬢を追及してもいいのだぞと、オックスをねめつけた。
「宰相さまは怖い御方ですね。彼女からは何も聞いてませんよ。でもシーグリーン卿に肩入れするのは何故です?」
「肩入れなどはしてないつもりだが……、彼がいないと沢山の陳情書が上がってきて困る」
「ああ。シーグリーン卿は苦情処理係りでもありますよね。でも、それぐらい宰相さまが裁いては如何ですか?」
「政務の方で時間をとられているのにそこまでは気が回らぬ。君がやってみるか?」
「とんでもない。私の柄には合いませんよ。分かりました。ギルバードのことは請け負いましょう」
「済まない。このようなことを頼めるのは君くらいしかいないのだ」
「分かってますよ。薬草の扱いには私の右に出るものはおりませんからね」
宰相は頼んだぞ。と、言い残し、せかせかと大理石の上を歩き出した。その後ろ姿を見送りながら忙しいお方だ。と、オックスは思った。




