幕間:チェンジザワールド
女の名は野間麗子。ごく普通の料理専門学校の学生である。成績は中の上、運動神経も特に良いわけではなく、食べること食べさせることがとにかく好きな19歳だ。
では、その麗子が何故大勢の男たちに取り囲まれているのかと言えば、彼女が今、19歳の専門学校生には似つかわしくない物……日本刀を抱いているからだ。しかもその刀は名工宗正の最期の手である、菊宗正。
菊宗正を打たせた旗本の次男坊は、できあがった菊宗正のあまりのすばらしさに、宗正にこれ以上の物を作られてそれが他人の手に渡るのを嫌い、受け取った菊宗正ですぐさま名工を切り捨てた。自分の作り手の血を吸った菊宗正は以来、その持ち主の心を蝕み、殺人鬼と化す妖刀と化した。その菊宗正と心を通わせ、その闇を封印する事のできた男……野間喬良と出会うまでは。
喬良はもともと骨董を集めるのが趣味ではあったが、北陸の小さな田舎町の倉で埃をかぶった菊宗正を見つけたとき、『儂はコレを見つけるために、骨董をやっておったのだな』と思ったという。何故なら、野間家は宗正の末裔に当たるからだ。
喬良は、箱を開けた途端、荒れ狂う菊宗正を一喝した。そして、生みの親を主と仰ぐと決めたのだ。ただ、我が従うのは野間のみ。野間が我を捨つるとき、我は野間に徒為すと。
そこで喬良は、菊宗正を箱に入れ、その箱に『此の刀、野間以外の者何人たりとも見せることなかれ。縦しんば野間より離れたることあらば、そは大いなる災いを生めり』
と認め、自宅の倉奥深くに隠し、子や孫たちに『倉の奥にあるあの刀だけは借金をしてでも絶対に売るな』
と口を酸っぱくして説いた。
ところが、喬良の死後喬良の息子稔は、その喬良の所持していた骨董品をどんどんとネットオークションにかけていった。そして、その中には菊宗正も入っていた。稔は菊宗正の力が全く解っていなかった。実際問題、箱に書かれた喬良の文字は達筆すぎて現代の稔には全く読めなかったし、また父親の言葉は耳にタコができるほど聞いてはいたが、稔にはそれが父の一番のお気に入りを売らせないための方便なのだと思っていた。逆に言えばそれくらい、稔も稔の母も喬良の骨董好きには閉口していたのだ。幾らにもならないガラクタのために自分たちがどれだけ苦労をしてきたか。それもこれだけあれば、『枯れ木も山の賑わい』だ。そこそこの値段にはなるだろうと。
だが、予想に反してそのいくつかの物が意外な高値を叩き出した。その最たる物がこの菊宗正。その価格はオークションの開始直後なんと、2億に跳ね上がった。これを見た稔は、ようやく父がただの骨董バカではなかったのだと気づき、やっと父の助言に従い菊宗正の出品を取り下げることにしたが、既に遅かった。世界中に配信されたそれは、刀マニアにとって全財産を賭してでもほしいと思わせるものだったのだ。
しかし、出品を取り下げたにも関わらず、野間家には菊宗正を売れという電話が執拗にかかってくるようになった。既にネット落ちしているにもかかわらず、野間家の場所を調べ上げた者がいたのだ。その電話のあまりの頻度に、妻の緑は軽いノイローゼ状態になり、困り果てた稔は菊宗正を売ることを決めてしまう。
しかし、野間から菊宗正が離れることを本当に危惧したのがこの麗子だ。麗子は両親が留守の隙に菊宗正を持ち出し、密かに隠そうと決めた。
だが、その道中麗子は冒頭のように男に取り囲まれてしまう。そう、菊宗正を手に入れようと野間家を突き止めたのは一人ではなかったのだ。しかも、突き止めた時にはもう別の誰かに売られると知り、焦ったその者は、『強奪してでも持ってこい』とこの男たちにに命じたのだ。
じりじりと男たちと麗子との間合いが詰まる。そして、まさに菊宗正が男たちの手に渡らんとしたその時……応戦しようと麗子が抜いた菊宗正の切っ先が突如目映い光を放ち、麗子を取り囲んだ。
「うわっ!」
と、男たちはたまらず目を閉じる。そしてようやく光がおさまり再び目を開けた男たちが見たものは……
麗子とは似ても似つかない外人の女が、菊宗正とは似ても似つかない大振りの両刀を抱えて地面にへたり込んでいる姿だった。
「イリュージョンじゃねぇよ、な」
菊宗正を狙っていた男たちは、しばらく口を半開きにして呆然としていたが、その内の一人が入れ替わった外人女性の持っている両刀に大振りの宝石が3つもちりばめられていることに気づいた。
「アニキ、あの刀、何かが付いてますぜ」
「……ルビーにサファイアに、エメラルドか」
まるで信号機だなと、アニキと呼ばれた男は顎に手を当ててそう返す。
「モノホンなんすかね」
すると、別の男が訝りながらそう言った。アニキと呼ばれた男も、
「俺もそっちの方には明るくねぇし、やたらデカい光り物なんて大抵が偽物だと相場が決まってるがな。大体信号機だぜ」
趣味悪すぎじゃねぇかと、その男に相槌を打つ。
「の割には安っぽくムダに光ってませんよ。こういったごてごてした装飾も、東南アジアではありそうですし、これはひょっとするとひょっとするかもしれません」
しかし、男たちの中で一番遠巻きに見ていたひょろっこい男が、眼鏡を上げながらそう反論した。なるほどそう言われてみれば、その輝きは安っぽくない。
「じゃぁ、代わりにこっちを組長の手土産にすっか。こんなガキっぽい刀が組長の趣味に合うとも思えんが、このまま空手では帰れんし、こいつがあの女を隠したんなら、きちんと吐いてもらわにゃならんからな」
と、震えながらその場から動けないでいる外人女性ごと連れ去ろうと、一斉に彼女に近づいたのだが……
男たちはその両刀に触れようとした途端、今度はその両刀が光り、勢いよく数メートル吹っ飛ばされて壁に打ち付けられ、全員伸されてしまい、意識を取り戻したときには、既に外人女性の姿もなかった。
すごすごと空手で戻った男たちに依頼主からの口では言えぬ制裁があったことはもちろんだが、後日、本来買うはずだった者に彼らが絡んでいることを掴まれ、一気にそちらとの全面戦争に突入(要するに同業者だったということだ)、それは菊宗正を得ようとした双方が鬼籍に入ることで集結するまで続いた。
またその後、野間麗子を見た物は誰もいない。両親は親の言いつけに背いたことを心から悔いたが、もう後の祭りだ。




