初めての夫婦ゲンカ。そして……
「ノーマ、シドに何の用だ」
地獄の底を這うような声でそう言うオービルに、
「えっ、コレをね、作ってもらいに行ったんだ」
あたしは、そう言って鰹節削りをオービルに見せた。
ホント、声もそうだけど、今のオービルの顔って、赤ちゃんが見たら一発で泣くぐらい恐い顔してるよ。
「乾かした鰹を削る道具だよ。味噌もそろそろ良い頃合いだし、明日は異世界料理の新作を作る……」
でも、オービルは鰹節削りをちらっと見ただけで、あたしの言うことなんてちっとも聞かずに、
「お前は今の自分の立場を分かってるのか!」
って怒鳴った。
「いきなり何怒ってんの? 立場って、あたしたちが新しい食の発信源になるんでしょ。だから、次のメニューのための下準備に……」
「まったく解ってない。お前は何だ?」
「何だって、ノーマ・レクサントだけど?」
じゃなかったら、ノーマ・ビアンカ? それとも本名の野間麗子?
「では、レクサント家とはどういう家だ」
「どういうって……」
オービルの言いたいこと、全然わかんないよ。
「陛下から、伯爵位を賜った時に、お前もその場にいただろうが」
ああ、そういうことかと思った途端、
「どこの伯爵夫人が一人でほいほいと若い男の所に行く!」
オービルの罵声が飛ぶ。
「それはさ、用事があったからだし。
それにさ、出かけるときにちゃんとオービルにも声かけたんだよ。でも、オービル寝ちゃってたし、今まで、そんなこと一回も言ったことないじゃん」
そんなこと言ったら、今までもオービル男爵だったじゃん。間に子爵は挟んでるけどさ、男爵から伯爵に変わったからって、この態度の変わりようって、どうよ。
「今までは、今までだ。食糧大臣という今までなかった役職に就いたことだけでも、旧勢力からは良くは思われない。しかも、精米器はお前の発案。お前の一挙手一投足で足下を掬いにかかってきてもおかしくはないんだぞ。
それが若い男の許に一人で行くなど……」
確かに、他のお貴族様の手前、身を慎めというのは何となく解ったけどさ……なんか、モヤモヤする。
「何よ、その言い方! それじゃまるであたしがシド君個人に会いに行ってるみたいじゃん。あたしは、日本の鰹を削る道具がこっちの鉋に似てたから相談しただけでしょっ! それのどこいけないのよ!!」
「相談なら、ガドにしてもいいだろう。どうして、わざわざ若いシドにしなきゃならん」
実は、シド君は最近、ガドさんちを出たんだよね。あ、ガドさんとケンカした訳じゃないよ。シド君、あの梯子まで追い詰めた方の女の子と結婚するんだって。今日も、なんだかんだぶつぶつ言うんだけど、後から考えると惚気って話が結構あったんだよね。
それに、その女の子も途中で来たよ。入ってきた途端睨まれたけど、シドくんが、
『勘違いするな、仕事の依頼だ、モナ』
って言って、あたしがレクサント夫人だって説明したら、すんごく慌ててたのが、可愛かった。大体、結婚するってこともオービルも知ってるはずじゃん。
「そりゃ、シド君の方が頼みやすいもん。変な意味じゃないよ。ガドさんはベテランだから、こんな端っぱな仕事なんて頼みにくいだけだよ」
それと、若い方が断然フットワークが軽い。今日もあっという間に思い通りの物作ってくれたし。
「だが、そのお前の言い分を、世間はどれだけ信じるだろうな」
「信じるも何も、それが事実でしょ」
ホントっ、何が言いたいの、オービル!
「事実が、事実として通じる訳じゃないことくらい、お前が一番解ってるはずだろ。
そうだな、どうせこの結婚はお前にとって、こちらの世界の居場所を得るためだったんだからな。
そりゃ、10以上年上の男より、“幼なじみ”の方が良いんだろう」
な、何よそれ! ケンカ売ってんの!?
「呆れた! まだお城でヘイメの職人さんたちをタメ口で呼んでたのを根に持ってんの? あれは、子供の頃から良く知ってるってことにしとかなきゃいけなかっただけだし、大体、その“幼なじみ”設定振ったのはオービルの方でしょ。
あたしは、行くとこがなかったからオービルと結婚した訳じゃないよ。あたしは……あたしは……たまたま飛ばされて最初に着いたところがヘイメだっただけだけど、居場所がほしいからオービルに近づいた訳じゃないもん。……そんなこと言うオービルなんて大嫌い!!!
そんなこと言うくらいだから、オービルホントはあたしといるのイヤなんでしょ。いいよ、あたし、この家出る!」
そう売り言葉に買い言葉で叫んだあたしにオービルの返事はなかった。そうか、あたしホントにウザがられてるんだと思ったら悲しくなった。でも……
「ホントに出てくんだからねっ! オービル……? オービルっ! オービル!!」
と未練がましく念押しして振り返ったあたしが見たのは、右手で口を押さえ左手で自分の胸を掴んで身体を屈めているオービルの姿。オービルはそんなあたしの叫び声に、
「さ、騒ぐな……」
と、苦しそうに言った後、口から胃液を吐き出してそのまま意識を失った。




