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亡国の救助者  作者: 17式
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Prolog.統合防災演習

 2019年9月1日11時5分 日本 九州橘湾上 海上自衛隊救難艦『たいよう』甲板


 青空でも眺めながら煙草を一服すれば、少しは考えがまとまるだろう。

 そう思っていた先崎だったが、空は生憎の曇り空だった。おまけにいつもポケットに入れているはずのライターが、何故か今日に限って見当たらない。これでは煙草も吸うことができない。

「……まあ、少し潮風でも浴びておくか」

 先崎は溜め息を零しながらも、その曇り空に視線を向ける。空は厚い雲が覆っており、太陽の日差しは遮られていた。

 その光景――視界に広がる曇天に、先崎は漠然とした不安感を覚える。そういえば、この艦の名前は『たいよう』だったか。艦名にも用いられた希望の象徴たる太陽が、暗雲によってその姿を現していないことに、まさに不安な雲行きを感じたのかも知れない。

 先崎は、淀んだ空を見ていても気が滅入るだけか、と視線を別方向へと移動させた。

 甲板上には、『たいよう』の艦載ヘリであるUH-60Jに加えて、合同演習に参加している陸自のヘリ及び各種車両が整然と並べられている。更には、迷彩柄の装備に混じって、警察・消防の特殊車両や民間のドクターヘリまでもが甲板上に待機していた。

 普段は中々見ることのできない光景を前にして、こっちを眺めていた方がまだ気分転換になりそうだな、と先崎は少しだけ笑みを見せる。先程のドクターヘリには何名かが乗り込もうとしており、まだ潮風を浴びていたかった彼は、そのまま様子を眺めていることにした。

 ヘリに搭乗している集団の格好は統一されており、白を基調とした服装の背中には、彼らの象徴である赤十字が描かれている。彼らの名は、災害派遣医療チーム――通称DMATだ。災害現場で救命活動を行うための専門的な訓練を受けており、医師・看護師・救急救命士などの医療職員で構成されている。

 やがて、準備が整ったのか、『たいよう』の航空管制員と離発着艦員の誘導によって、ヘリは徐々に高度を上昇させていった。その後、上空で方向転換を行ったヘリは、ローターの心地よい回転音を響かせながら、目的地に向かうために飛び立っていく。

 この方角だと、目的地は長崎のどの辺りになるだろうか。

 早朝に佐世保を出港した『たいよう』は、訓練を行いながら次の寄港地である熊本県八代港に向けて橘湾を航行中であり、周囲に目を向ければ、遠くに雲仙普賢岳のシルエットも確認することができる。

 先崎は遠景にその雄姿を捉えながらも、遠ざかりゆくヘリの機体へと意識を向けていた。そして、ヘリが見えなくなるまで彼方を見つめていたが――そんな彼の背後から、不意に声が投げかけられた。

「よう、こんなところで何してるんだよ。サボりか?」

「……今は休憩中だ。それより、お前こそサボりじゃないのか?」

「大丈夫だ、仕事は全部他の奴らに指示している」

 それをサボりと言うんじゃないのか。

 そんな疑問を思いながら、先崎は来訪者へと焦点を合わせる。

 彼にとって聞き馴染みのあるその声の主は、同期で入隊した高品だった。

「お前も来てたんだな、総合防災演習」

「そりゃ需品科だからな。それよりそっちこそ、参加するなら連絡の一本でも入れてくれよ」

「いや、今回は不参加の予定だったんだが……上の都合で、急遽呼び出されてな」

「何だ、穏やかじゃないな。……正直に言ってみろ、一体何をやらかしたんだ?」

「何もしてねえよ」

「……お前、まさか婚期を逃して修羅と化している連隊長から女を紹介しろって無茶振りされて、合コンをセットしてみたはいいものの、連隊長が狙っていた子を自分がゲットしてしまって逆恨みされたとかじゃ――」

「それはお前のことだろうが。需品科でレンジャー訓練に放り込まれた奴と一緒にしないでくれ」

「いやー、あれはキツかったわ……連隊長の逆恨みで、彼女ができた途端に3ヶ月間も隔離されて、鬼教官たちと過ごすんだぜ。結局、その時の彼女とは疎遠になって別れる羽目になっちまったし……」

 当時のことを思い出したのか、高品にしては珍しく暗い表情だ。しかし、そんな彼の胸元には、月桂冠に囲まれた、ダイヤモンドの輝きがあった。無事に帰って来るどころか、しっかりと得るものは得ているあたり、大した奴だと先崎は思う。

「えーと、それで何の話してたんだっけ? お前が連隊長に振られて、落ち込んで訓練サボってるって話だったっけ?」

「おい、もう何か色々と混じってんぞ」

 その後もしばらく、他愛もない話で盛り上がる2人。

 やがて、どちらともなく押し殺したような笑い声が聞こえてきた。

「相変わらずだな、先崎1曹」

「……お前もだよ、高品1曹」

 先崎と高品は、陸自入隊後の地獄のような教育期間の中で、バディとして共に過ごし、共に困難を乗り越えてきた仲だった。約3ヶ月間という短い期間ではあったものの、艱難辛苦の中で築き上げてきた関係は強く、先崎は普通科へ、高品は需品科へと道を別れた後も、お互い定期的に連絡を取り合うようになっていた(なお、先崎は陸曹昇任後に職種転換をしており、現在は航空科の隊員となっている)。

「それで、一体どうしたんだ?」

「何がだ?」

「とぼけんなよ。顔に思いっきり書いてあるぞ、何か悩みがあるんだろ。大方、さっきの話で出てきた『上の都合』ってところか?」

「……本当に相変わらずだな」

 先崎は思う。相変わらず、こいつは鋭い。

「で、どうした? 相談に乗ってやるから言ってみろ」

 教育期間中は、同じ班内の隊員たちと教官の悪口で盛り上がったものだ。どれだけ半長靴を磨かせれば気が済むんだ、あいつら絶対腕立てさせたいだけだろ……しごかれてヘトヘトになった日には、次から次へと文句が出てくる。

 しかし、愚痴を言い合う隊員たちはいたものの、親身になって相談に乗ってくれる隊員は高品だけだった。高品は、ガサツな外見に似合わず器用な心配りができる奴で、何か悩んでいたりすれば、すぐに察して相談に乗ってくれる、頼りになる存在だった。

 先崎も、どれほど彼に助けられてきただろうか。

 しかし。

 残念ながら今回の件に関しては、目の前に立っている親友の力を借りることはできないのだ。

「いや……悪い、今回は大丈夫だ」

「何だよ、どうした。俺とお前の仲じゃねえか。水臭いこと言ってないで――」

「今回の件は機密事項だ。守秘義務がある」

 機密事項。守秘義務。

 先崎の口から出てきた言葉に、高品の顔も一瞬で険しくなった。

「……何だよ、マジで穏やかじゃない話みたいだな」

「ちょっと色々とあってな……だが、まあそういうわけだ。気を遣ってくれたのに悪い」

「いや、そういうことなら仕方ない。こっちこそ立ち入ろうとして悪かった」

 機密事項や守秘義務とまで言われては、いかに親友といえども迂闊に立ち入っていい話題ではないだろう。場合によっては、自分に処分が下されることも考えられる。高品はそう判断したのか、あっさりとその話題から引き下がった。

 だが、と高品は言葉を続ける。

「どういう事情で何がお前を悩ませているのかはわからんが……本当はもう、答えが出てるんじゃないか?」

 その言葉に、先崎はどこか、背中を押されたような気がした。

「そういう表情してるぞ、お前」

 親友の言葉に、先崎は小さく「そうか」と呟いた。

「さて、衣笠の奴に怒られないよう、俺はそろそろ戻るとするか……まあ、あれだ、無茶はするなよ」

 高品は最後にそう言って、持ち場へと戻っていった。

 気を遣ってくれた親友に対して、別れ際に感謝の言葉を伝えたかった先崎だったが、残念ながら彼はそういったことを素直に言える性格ではない。そしてそれは、高品も充分に理解していた。

 先崎は代わりに、その背に向かって心の中で、感謝の気持ちを伝えておく。

 あいつのことだ、きっとわかってくれているだろう――そう思った後に、先崎は意識を切り替えるように目を閉じて、頭の中の整理を始めた。

 脳裏に浮かぶのは、つい1時間ほど前の出来事。

 先崎の回想は、とある女性との出会いから始まる。




 その日、先崎は休暇を返上して、長崎市内にある海上自衛隊佐世保基地を訪れていた。基地のゲートをくぐると、西元司令から予め指示をされていた通りに、今回乗艦予定の『たいよう』へと向かっていく。

 タラップまでやってくると、先崎の到着を待っていたらしい迷彩服姿のWAC(女性自衛官)が敬礼してきた。

「初めまして。本日、先崎1曹に同行させて頂く、火箱2曹と申します」

 ――初対面の印象は、率直に言って「地本のマスコットキャラクター」だった。

 小柄な体躯で、背は150cmあるかないかというところ。可愛く整った顔立ちには、まだあどけなさが残っている。そして、どうにも違和感が拭えないというか、何かを演じているような気がするというか――そう、このWACの佇まいからは、生粋の自衛官が纏っている、ミリミリとした雰囲気をどうしても感じ取ることができないのだ。

 どっちかというと、女子高生のコスプレだな……。

 目の前のWACに対して、先崎は素直にそう思った。

 もちろん、思っていても口に出すような真似は決してしない。迷彩服を着てこの場に居る以上、彼女もまた、れっきとした1人の自衛官であるからだ。先崎は胸中を悟られまいと、代わりに1つの疑問を呟いた。

「……意外だったな。俺はてっきり、海さんが同行者なのかと」

 火箱が身に着けている迷彩服は、青を基調とした海自の迷彩服ではなく、自衛隊と言われれば誰もが真っ先に想像するであろう、緑を基調としたオーソドックスな陸自の迷彩服だった。つまり、彼女の所属は海自ではなく陸自になる(ちなみに自衛隊では所属によって女性自衛官の呼称も異なる。それぞれ、陸自はWAC、海自はWAVE、空自はWAFと呼んでいる)。

 まあ、同じ陸自なので変に肩肘張らずに済むのはいいのだが……まさか相手が自分より一回りも下に見えるWACとは。

 平素よりWACと接する機会の乏しかった先崎は、初対面の緊張もあってか、思うように会話を繋ぐことができなかった。

 そんな彼の意表を突くかのように、火箱が言葉を口にする。

「先崎1曹は、セーラー服の方がお好きでしたか?」

「なっ……!」

「あはは、冗談ですよ」

 意地悪そうに笑う火箱を前に、先崎は動揺を隠せなかった。つい先ほど「女子高生のコスプレ」と思った矢先の出来事であり、心中を見透かされていたようでバツが悪い。

 そんな先崎の心中を知ってか知らずか、火箱は笑いながら言葉を続けていった。

「では、早速乗艦致しましょう。部屋までご案内致しますので、どうぞこちらへ」


 救難艦『たいよう』。全長307m、全幅34m、速力20kt。

 高度な指揮統制能力を始めとして、水陸両用作戦・航空機運用・大規模輸送・後方支援能力を一手に兼ね備えている。その特性上、艦内では多種多様な設備・部隊が混在しており、艦内は先崎の予想を遥かに超えた空間となっていた。

「話には聞いていたが、これほどとは……」

「来るべき南海トラフ巨大地震に備えての、政府と防衛省の本気度の現れですね。先崎1曹は、『たいよう』に乗艦されるのは初めてですか?」

「ああ。以前『おおすみ』には乗ったことがあるが……それに比べても別格だ」

 古来より様々な災害に見舞われてきた災害大国・日本。中でも最も象徴的な災害の1つが地震である。そのため、世界最高水準の耐震基準や緊急地震速報システムの構築など、他国に類を見ない対策を講じている日本ではあるが、2011年に発生した東日本大震災、その5年後に発生した熊本地震の影響に加えて、2020年には東京五輪も控えていることから、更なる対策を求める声が国内各地から上がってきていた。

 これを受け、2017年には気象庁を中心として、産業技術総合研究所、防災科学技術研究所、危機管理対策協議会、更には東京大学・千葉大学・麻布大学などの各研究チームが官民を挙げて共同研究を開始。その結果、2013年に「今後30年以内に70%」とされていた南海トラフ巨大地震の発生確率は、同年「今後10年以内に86%」へと上昇した。

 この数値に政府・マスコミ・世論は一斉に反応。マスコミの扇動や世論の変化に対応するために、政府は概算要求で各省庁に対して防災対策に重点を置くように指示。尖閣有事に備えて防衛省が進めていた次期多目的輸送艦(次期強襲揚陸艦とも)建造計画も、その影響を大きく受けることとなった。

「強襲揚陸艦という字面もあってか、マスコミには格好の餌食にされていたな。そんなものを造るための予算は無駄であり、もっと他の部門に回すべきだと」

「揚陸艦ほど災害派遣に向いている艦艇はないのですが……しかし結果的には、本来の機能である水陸両用作戦よりも、災害派遣能力を重視した仕様になってしまいました」

「本末転倒だな。相浦の連中も可哀想に」

「……はい。あの、しかし、僭越ながら私見を述べさせて頂きますが、個人的には、このような装備があってもいいのではないかと私は思うのです。災害派遣も、今や立派な自衛隊の任務です。また、海自には救難飛行隊、空自には航空救難団がありますが、我々陸自にはそのような組織は――」

 少しヒートアップした口調で意見を訴えていた火箱であったが、はたと立ち止まると急に冷静さを取り戻したのか、先崎に対して頭を下げてきた。

「申し訳ありません。少し熱くなってしまいました」

「い、いや、大丈夫だ。気にするな」

 ……何か彼女の琴線に触れてしまうようなことをしてしまったか?

 瞬時に思考を巡らせる先崎だったが、これといって思い当たる要素は見当たらなかった。


 しばし艦内を歩いて先崎が案内された部屋は、小規模な会議室であった。

室内へと入った2人はそれぞれテーブルを挟んでソファーに座り、向かい合うように対峙する。

「……それで、話というのは?」

 開口一番、先崎は単刀直入に切り出した。

 実は、自分自身が何故このような状況になっているのか、先崎もまだ理解できていなかったのである。

「先崎1曹は、今回の件についてどこまで説明を受けておられますか?」

「先日急遽呼び出されて、『佐世保に行ってこい』としか。理由を尋ねても『行けばわかる』の一点張り。しかも、分屯地司令直々の命令だったからそれ以上の詮索もできなくてな」

 先崎の言葉に、火箱は苦笑した。おそらく同情してくれているのだろう。

「まあ、そういう訳だ。俺としては、本来休暇の予定だった日を潰されていい迷惑だ。どんな話の内容なのか知らないが、できるだけ手短に済ませてくれると助かるんだが」

 率直に不満を漏らす先崎の言葉を受けて、火箱も「では、こちらも早速本題に入らせて頂きますね」と話を切り出した。

「先崎1曹は、特戦群に興味はおありですか?」

 火箱の切り出した内容に、先崎は少しだけ驚いた表情を見せた。

 特戦群――正式名称、特殊作戦群。陸自総勢約16万人の中から、選び抜かれし300人が所属する精鋭中の精鋭部隊。その全容は徹底的に秘匿されており、部隊運用は機密の塊となっている。

「特戦群か。正直に言って、全く興味が無い訳ではないが……」

「では、志願されてみてはどうでしょう?」

「……驚いたな。俺の記憶が間違っていなければ、特戦群は志願条件有りの完全志願制だったはずだが。一体いつからリクルート活動をするようになったんだ?」

「基本的には条件がありますが、例外も存在します。今はちょっと色々とありまして、特戦群も拡充の方向で動いているんですよ。ただ、やはり人員を集めるのに苦労していて……そのため、本来であれば志願制のところを、このように直接接触し、人員の増強を図ることも行っているんです。もちろん、特戦群に相応しいと上が判断した隊員に限ってですが」

 火箱の言葉に、先崎はやや語気を強めて返した。

「少し買い被り過ぎていないか。西普連時代に部隊レンジャー課程こそ終えたとはいえ、特戦群に招待されるような才能なんか、俺は持ち合わせていない」

「先崎1曹は自己評価が低めのようですが、元西普連にして現ヘリパイ――水陸両用作戦能力に加えて、ヘリの操縦までこなせる時点で、充分に優秀だと思われますが?」

 それに、と火箱は言葉を続ける。

「どうやら、まだご自身の才能に気付かれていないようですね。特戦群に所属して頂ければ、その才能を存分に発揮させることも可能です」

 自分自身ですら、気付いていない才能……?

 先崎は即座に考えを巡らせるが、そのような才能にはやはり思い当たる部分がない。

 ……ダメだ、頭が上手く回っていない。一度落ち着いて、状況を整理する必要がある。

「要約すると、俺を特戦群に志願させようとしているってことで合っているか」

「はい。そして、こちらの事情もありますので、返事は今日中に頂きたいと思います」

 タイムリミットは1日……ならば、考える時間は充分にある。

「少し、時間をくれないか」

「構いませんよ。私も即答して頂けるとは思っていませんでしたし。ただ、この件はくれぐれもご内密に」

「ああ」

 そう言って先崎は席を立った。そのまま扉へと向かい、外へと出ようとしたところで――不意に、先崎は振り返った。その視線は、真っ直ぐと火箱を射抜いていた。

「1つだけ訊いてもいいか。あえて聞き流してはいたが、どうしても気になってな」

 火箱は無言で、しかし表情には笑みを浮かべて、言葉の続きを促した。

「この話の流れからして――」

 まるで、受け取る言葉はわかっているとでも言わんばかりに。

「君も特戦群に所属しているのか」

「はい」

 笑みを浮かべたまま即答した火箱に対して、先崎は驚愕を隠せなかった。

 もちろん、特戦群にWACが所属しているという事実自体に対しての驚愕もある。しかし、それ以上に先崎を驚かせたことは、火箱が自身の素性をあっさりと打ち明けたことであった。

 特戦群に限らず、海自の特警隊や警察のSATといったいわゆる「特殊部隊」と呼ばれる組織に関しては、インテリジェンスに疎い日本を持ってしても、徹底した機密保持がなされている。そのため、特殊部隊に所属している隊員は、装備や訓練内容はおろか、自分が所属していることすら家族や恋人に明かすことも許されていない。

 なのに、である。火箱はそれをあっさりと破ったのだ。しかも、今日が初対面であり、これまで何の接点もなかった自分に対して。

 いくら自分から質問したとはいえ、まさか馬鹿正直に答えが返ってくるとは思わなかった。

 先崎は頭をフル回転させる。自衛官として、機密の漏洩や命令違反は重罪だ。となると、今の答えはブラフか? いや、しかし火箱の表情からは、冗談を言っているようには思えない。それに、西元司令との経緯もある。ではやはり、本物なのか?

 先崎は考えを巡らせていく。

 目の前にいる人物に対して、自分は初対面の印象をマスコットだと表現した。

 その評価は果たして正しかったのか?

 目の前にいる人物は、果たして本当にただの広告塔で収まっている奴なのか?


 答えは――否だろう。


 自分は特戦群の一員であると即答した火箱からは、初対面時の生温い雰囲気など欠片も感じられない。

 陸自に入隊してから10年以上。それなりに場数を踏んできたと自負している先崎でさえも、その異質な迫力には気圧されている。

 先崎は直感で理解した。目の前にいる女は、本物だ。

 ……どうして最初に気付くことができなかったのか。

 初対面の時点で、違和感には気付いていたのだ。


 ――『どうにも違和感が拭えないというか、何かを演じているような気がするというか』


 そう、彼女は特戦群だからこそ、演じていたのだ。

 人畜無害なマスコットキャラクターを。

 特戦群としての能力を隠すために、自分を演じ、他人を欺き、一般的で平凡で、少し愛嬌のあるWACというキャラクターを作って――特戦群というイメージから最もかけ離れたポジションを、彼女は強かに築き上げていたのだ。

「あ。一応、身分証明ということで」

 彼女が差し出した徽章には、5つのシンボルがあしらわれていた。

 正義を意味する剣。

 急襲を意味する鳶。

 神聖を意味する榊。

 陸自の象徴である桜星。

 そして、日本の国旗たる日の丸。

 特殊作戦徽章――それ以外に言葉は要らない、精鋭部隊の証である。

「……ありがとう」

 徽章を見せてくれた礼を言い、先崎は今度こそ部屋を退室しようとした。

 その背に、火箱の声が投げかけられる。

「後ほどまた伺います。艦内は広いですから、甲板で待ち合わせに致しましょう」

それと、と火箱は言葉を紡ぐ。

「上の思惑は別にして――私個人としても、あなたと行動を共にできるようになることを期待しています」

 その言葉をしっかりと聞いたところで、先崎は部屋を後にした。

 ――回想、終了。




「考えはまとまりましたか?」

 火箱が声をかけてきたのは、回想を終えたのをまるで見計らったかのようなタイミングだった。

「……ああ」

 先崎は呟くが、しかし肝心の返答は、中々言葉として出てこない。

 理由はわかっている。まだ、僅かながら躊躇いが残っているのだ。本当にそれでいいのかと。そんな理由で自分の今後を決めて、そんな動機で部隊を異動していいのかと。

「では、返事をお聞かせ下さい」

 火箱は笑って、そう言った。先程と同じく、まるで、受け取る言葉はわかっているとでも言わんばかりに。今日1日の間で先崎が何度も見たその笑顔は、愛くるしくも意地悪く、それでいてどこか惹き付けられるような、そんな不思議な笑顔だった。

「そちらが良ければ、俺としても希望したい」

 絞り出した先崎の言葉に対して、火箱は右手を差し出した。

「特戦群を代表して歓迎致します、先崎1曹」

 その言葉に、先崎も右手を握り返すが、満面の笑みを見せる火箱の顔を直視することはできなかった。混じり気のないその無邪気な笑みは、見つめるには眩しすぎて、どこか面映ゆい気持ちになる。

「それでは、今後の打ち合わせを行いたいので、1度艦内に――と言いたいところですが、申し訳ありません。私も少し休みたいので、一服してから向かいましょう」

 そう言うや否や、どこに隠し持っていたのか火箱は煙草を取り出して、そのうちの1本を口に咥えようとしていた。しかし、すぐに隣にいた先崎の表情に気が付いたようだった。

「失礼しました。先崎1曹は、煙草は嗜まれませんか?」

「いや、俺も煙草は吸うし、煙は気にしなくて大丈夫だ。ただ、そうじゃなくてだな……」

「?」

 首を傾げるその仕種は可愛らしい小動物を連想させるが、だからこそ似つかわしくない煙草というアイテムに対して、果たしてどういった対応が正解であるのか、先崎は反応に困っていた。

「煙缶ですか? 大丈夫ですよ。一喫煙者として、携帯灰皿は持ち歩いていますので」

「いや、違う。そうじゃない」

「ああ、なるほど。さては先崎1曹、煙草を切らされてますね? ふふ、いいですよ。歓迎の意を込めて、1本サービスしてあげましょう」

 いや、そうでもないんだが……という弁明の声は、結局喉から出てこなかった。火箱の勢いに負けるようにして、煙草を1本受け取ってしまう。

「……まあ、いいか」

 先程からずっと頭を使ったり、気を張っていたりと疲れているのは事実である。今日はまだ1本も吸っていないし、1度頭をすっきりとさせておくことは、悪い選択肢ではないはずだ。

「……っと、そういや、ライター持ってきてないんだった。悪い。ちょっと火貸してくれないか」

「いいですよ。どうぞ」

 そう言って火箱は、何気ない風に手を翳して、先崎の持つ煙草に火を点ける。

「……え?」

 一瞬、何が起こったのか理解できなかった。

 火箱が指先を動かしたかと思うと、持っていた煙草に火が点いたのである。

 再び意地の悪い笑みを浮かべている火箱の手には――ライターはもちろん、何も握られてなどいない。

「お前、今何を――」


 そして――平穏な日常は、唐突に終わりを告げる。


「――何の音だ!?」

 先崎の意識は、辺りに響いた爆音によって一瞬で切り替わった。

「先崎1曹! あちらの方向を!」

 叫び声を上げた火箱の顔からは、先程まで見せていた余裕そうな笑みも消え去っていた。それどころか、僅かながら焦りの色を滲ませている。

 だがそれも、仕方がないことだろう。

 2人の視界、つい先程にも先崎がヘリを見送ったその方向では――天高く噴煙を舞い上げる雲仙普賢岳の姿が、うっすらと、だが確実に、奇妙な現実感を伴って存在していた。

「緊急放送。緊急放送。現在気象庁より、九州全域に緊急地震速報が発令された模様。地震の予想規模は不明である。各員身の安全を確保し、警戒を厳とせよ。これは訓練ではない。繰り返す、これは訓練ではない!」

 艦内放送のやや上ずった声が、甲板上にいる先崎たち隊員にも届けられる。

「マジかよ……」

「嘘だろ、おい」

「これはマジでヤバいぞ!」

 甲板上のあちこちで叫び声が上がり始め、瞬く間に混乱は伝播していく。

 火箱もいよいよ、焦りの色を隠し切れなくなってきていた。

「先崎1曹! ここは1度艦内に戻って、状況の把握と上からの指示を――!」

「……何だあれは」

 火箱の声にも振り向かず、先崎はある1点を凝視していた。

 それは、今なおもうもうと黒煙を吐き続ける雲仙普賢岳ではない。

 それよりも更に手前――海面で奇妙に輝いている、謎の発光体。

「待て、あの光……段々と大きくなっていっているような――」

 刹那。

 救難艦『たいよう』を、眩い閃光が包み込んだ。


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