第九話 厨房の守護神
他の仕事があるというミオと別れ、キタローは暇を持て余していた。
ミオが言うには「基本的にメイド長がご主人様のお相手をする」ということだったが、当のフレアはキタローがやってきたことによる体制の変更に忙しいらしく、まだ手が離せる状況ではないらしい。
これでは雑談をして時間をつぶすわけにもいかない。
そういうわけで、キタローはまだ全容を把握していない天佑館の中へと戻り、厨房へとやってきた。ここには午前も赴いていたが、道案内の途中でもあり、そこにいたメイドとは話ができなかったのである。
厨房は最新の設備が整えられていた。オーブンもコンロもある。寸胴鍋に中華鍋、包丁、麺棒、電子レンジ。和洋中どれでも作れそうだ。
メイドの姿もあった。一人だけだ。背がやや高めだが、キタローほどではない。髪を短く整えているのは、もちろん調理のための配慮だろう。
「お、ご主人。どうも」
キタローに気づいたらしく、メイドが軽く手を上げた。
「厨房担当のメイド?」
「そう、マリーってんだ。よろしくな。さっきのあいさつ、悪くなかったよ」
改めて言われると気恥ずかしいものである。話を切り返すことにした。
「あんたの料理は絶品だった。俺のなよっとしたあいさつよりずっとうまい」
「お世辞を言ってくれるじゃないか」
「本音さ」
「ふふ」
マリーは手の甲で頬をこすった。
「まあ、ありがたく受け取っておくよ。そろそろ夕食の用意を始めようと思ってたし」
「今から料理の準備を?」
「違う違う。下ごしらえは済んでる。休憩をやめて、仕上げに取り掛かろうってわけ」
「なるほど」
厨房は整然としていて、料理をしていた気配はない。
してみると、マリーの背後にある業務用の冷蔵庫の中に、今晩の献立のために下ごしらえしたものが収められているのかもしれなかった。
「しかし、フランクだねえ」
「お、ご主人のアソコはフランクフルト級かな?」
「ペットボトル級だよ」
返しになっていないが、張り合うべき場所だった。下ネタで負けてはいられない。
「そいつはいつか見る日が楽しみだ」
マリーはからからと笑った。
「見たいんならいつでも言ってくれ。ここでもいい」
「まだ早いし、日も高い。睦言は夜に言うもんだ」
「悪いが、俺は二十四時間営業なんでね」
「エロスのコンビニだねぇ」
それにしても、よく笑うメイドである。豪放磊落を地でいっている気配さえある。
「フレアとは気が合いそうだ」
「困ったことに、言葉のドッジボールしか始まらないから、気が合ってるのかどうかもわからない」
「合ってるさ。会話が成立してるんなら、それだけ相性の良い証拠だ。ましてフレアはアクが強い」
やはり、あの濃さがフレアの地であるらしい。
そうした面を引き出せたことについては、キタローは自分のことを誇りたかった。
「そういや、メイド長のことは呼び捨てなんだな?」
「あいつがメイド長なら、私は料理長だからな。厨房は私の聖域さ。ここにいる限りは誰にも大きい顔をさせやしない」
マリーは腕を組みつつ言った。
「違うな。ご主人は例外だ。なんたって私の主人だからな」
「主人主人と言われてると、結婚したように感じる」
「よせよせ。私と結ばれたっていいこたぁない。他にもかわいいやつはいる。配膳担当のアルマには話しかけたかい?」
アルマとは誰だろう。
そう考えてみて、キタローは昼食の時に隙のない動きをしていたメイドを思い出した。水やスープをこぼすようなこともなく、淡々と仕事をしていたものである。
「いいや。まだフレアとミオとしか話してない」
「ああ、メイド長と雑用担当か。触れ合う機会があったら、積極的に話して欲しいな。みんなご主人と話したくてウズウズしてるんだが、どうも消極的でいけない。優しくリードしてやっておくれ」
「そう思ったから、マリーに会いに来たんだ」
「おや、口説き文句か!」
マリーの声音が一段階高くなった。照れているのかもしれない。
「嬉しいねえ。ご主人、ありがとうと言っておくよ。何か悲しいこと、辛いことがあったら訪ねてくれればいい。おいしい料理で、そんなマイナスは全部吹き飛ばしてやるから」
「楽しい時はどうすればいい」
「その時は、私の料理をたくさん平らげておくれ。楽しいならば、もっともっとおいしく感じるはずだから」
「じゃあ、今日は楽しいから、女体盛りを頼む」
キタローとて男である。隙あらば欲望をねじ込んでいく。
「あっはっは! 残念だけど、時期じゃないね。そのうちレパートリーに加えるかどうか検討しておくよ」
「検討よろしく」
「いいともいいとも」
どーんと任せたまえ、とマリーは大きな胸を張った。
あんまりにも大きな乳房だから、キタローはついつい注目してしまった。
だが、当のマリーはその視線に気づいていないのか、はたまたどうでもいいのか、特に注意や羞恥を感じている様子はない。
このまま巨乳ウォッチングをしていても良かったが、仕事を邪魔してばかりでも悪いし、何より夕食に差し支えてしまう。このあたりで退出することにした。
「そんじゃ、このへんで失礼するか。夕食を楽しみにしてるから」
「がっつり腹を減らして待っててちょうだいな、ご主人」
マリーはその大きな胸の前で、小さく手を振った。
保育士が幼児をバイバーイと送り出す時のような、かわいげのある動作だった。