第八話 小さいメイドはかなり大胆
キタローは風呂から上がり、バルコニーで夕涼みを楽しんでいた。暑すぎず寒すぎずのちょうどいい気温だ。今はどうやら元の世界と同じく秋のようだった。
涼風の彼方には農場が広がっている。黄金色の実りが風に揺られ、収穫の時を待っている。そこには失われた農耕民族の原風景があった。
テーブルに置いてあったフレッシュジュースを飲む。ミオが持ってきてくれたものだ。彼女は今も傍に控えている。フレアはいなかった。メイド長として、他の業務に戻ったのだ。いなくなったら、あの奇人との会話が恋しくも感じていた。それが彼女の魅力かもしれなかった。
鳥が夕日をさえぎり、そのまま飛んでいった。
あれはなんという鳥だろうか。
キタローは自然の知識を持たない。コンクリートの町中で生まれ、郊外にすら行ったことのない都会っ子だった。
それが今や……。
「いやぁ、すごいもんだ」
「どうかしましたぁ?」
「寝てるだけで、こんな良い目を見るんだから、俺って運が良いなって」
どうしてご主人様に選ばれたのか。たまたまダーツを投げたら当たったとでもいうのか。
キタローにはわからないことが多かった。
「運だけじゃないよ!」
ミオがてこてこ近づいてきて、顔も間近に反駁してきた。
「というと?」
「メイド空間には適性と実力があるご主人様しか入ることができないんだ。運も実力のうちとは言うけど、それ以上に確かな力が認められてる証拠なんだよ」
この小柄なメイドは話しながらの動きが多かった。手話ニュースに出られるのではないかと思えるくらいに、全身を躍動させて言葉を並べる。
「現に、ほら、ミオも自分らしさを取り戻してるからね!」
「うん、いいことだ。ここのメイドはみんな機械のように完璧だったけど、人間みたいな熱情に欠けてる気がしてたからな。フレアも最初はぎこちなかった」
「メイド空間のメイドは氷の中に閉じ込められてるみたいなものなんだよ。で、ご主人様はあったかい火だね。接すれば接するほど氷が溶けて、本来の姿が出てくるんじゃないかな」
「フレアもそういうことを言っていた。積極的に話しかけていくか」
まだまだ氷漬けのメイドは大勢いる。まだ初日が終わりに近づいただけだ。
これからどんなにすばらしい出会いがあるのかと考えただけで、キタローはわくわくしてきた。今までは人間嫌いと言わないまでも、決して自分から交流を広げようとしていなかっただけに、これは大きな変化だった。
「みんな大喜びだよ!」
「そうか? そう言われると、悪い気はしない」
「ミオが一番喜んでる自信はあるね。ご主人様はやっぱりすごい人。実力ある人たちの中でも、最高の当たりを引いたって思う。大好きだよ、ご主人様」
大好き。最上級の褒め言葉だろう。主従の関係さえも超えかねない、きらびやかなフレーズだ。
「大好きか」
「うん!」
「じゃあ、一つ聞きたいことがある」
「なぁに?」
「ヤらないか」
キタローはやや冗談めかした声音で言った。
「あー、それは待って! ちょっと待ってね! まだ早いと思うんだ」
ミオは顔を赤くしながら、そのように答えた。
まあ、仕方あるまい。
「ガードが崩れそうで崩れないな。タフなボクサーみたいだ」
「キスならいいよ」
まさかの急接近。
「はいっ」
キタローはミオのキスを頬に受けた。
「おお……」
思わず喜悦の声が漏れる。
出会ったそばから頬にキス。外国人ならわからないでもないが、あいにく日本人であるところのキタローには、そういう経験が一切なかった。
「どう?」
手を後ろに回して、ミオが尋ねてくる。
「嬉しい。最高だ。ミオをメイド長にしたくなった」
「それはダメだよ!」
手を前に持ってきて×を作りつつ、ミオは続けた。
「ミオは偉くなってもわたわたするだけだもん。メイド長はフレアさんのままが絶対にいい」
「お前がそう言うなら、そうなんだろうな」
「でも、嬉しいな。信頼してくれてるって気がする」
「どうってことないさ。ここまでされて疑心暗鬼に囚われたって仕方がない。かわいい女の子に言われちゃ、頑張っちゃうもんなんだよ、男の子はね」
本音だった。
今、キタローはこの明るい金髪のメイドのために、何でもしてやりたくなっていた。
「ご主人様、ムリしないでね。大変なことはミオたちが全部やっちゃうから」
「頼もしい言葉だ」
キタローがミオの頭を撫でると、彼女は恥ずかしそうに、それでいて嬉しそうに微笑んだ。
頭を撫でるという行為は、女子が男子に許す中でもかなりレベルの高い行為だという。それを喜んで受け取るということは、高次元でご主人様の男性性を認めているということに他ならなかった。
キタローは自信が出てきた。もっと彼女が喜ぶように、ついでにフレアが驚き戸惑うように、他のメイドたちも氷の中から助けだしたいと考えていた。