第七話 初日から混浴ラブラブ抜き
天佑館には大浴場があった。キタローの家の風呂の何倍あるかもわからない。まるで古代ローマの公衆浴場のような荘重さを捧げ持ち、温かな湯気でもって来る者を出迎えている。
「こりゃあ大したもんだ」
キタローは本音をつぶやいた。彼は腰にタオルをつけていた。全裸でも構わないとフレアは言ってくれたが、彼女も無理をしている気配だったし、何より自分も恥ずかしいので、こういう出で立ちになっていた。
フレアとミオは水着に着替えている。学校でよく見る藍色のスクール水着だ。さすがに頭には水泳帽をつけていない。
「そうでしょう」
「掃除するだけでも大変そうだよ」
キタローの中に、風呂掃除を手伝わされた思い出がよみがえる。
なんといっても、掃除は家事のゲリラポジションである。
疲れる。
大変。
やがて元の通りに汚れる。
やればやるほど徒労感が増すし、やらなければやらなかったで汚れは堆積していく。
「なんの!」
ミオが胸を平手で打った。
「ご主人様が来たからにはぁ、掃除するのも楽しくなりそうです!」
ふむ、とキタローは答えた。
「俺が来る前からちゃんと管理してたんだよな。頭が下がるよ。俺なんて自分の部屋だって散らかし放題だ。たまに母さんが勝手に片付けてくれるけど、それでもひどい有様だからな。メイドを連れて帰りたいくらいだ」
だが、あの狭い家では宝の持ち腐れだろうなあ。
キタローはそんな風にも考えている。
「さあ、入ろう!」
ミオがキタローの手を引いた。積極的な娘である。妹がいたらこんな感じだったのかもしれないとさえ思う。
「待ちなさい。先にぶっかけをしてからよ」
フレアが止めた。風呂桶を指さし、体に中身をかける仕草をする。
「それを言うならかけ湯だろ……」
「そうとも言いますね」
「ご主人様にぶっかけてもらいたい!」
「その発言はいろいろと危険だからやめような」
危険球も危険球、頭へのデッドボールで即時交代並みのビーンボールである。キタローも危うくボールとバットがビーンビーンになりかけた。危険水域は近い。こういう時こそ落ち着かねばならないのだが、体は正直なものである。
なればこそ、脳内の画像フォルダにある「緊急停止」の画像群を開き、いろいろと気持ちをしょんぼりさせることにする。この試みは成功したようで、股ぐらの違和感はどうにか収まってきた。
はぁ、とフレアが息を吐く。
「ミオ、メイドが主に仕事を申し付けてどうするの。あんまり調子に乗ってると、スピニング・トゥ・ホールドよ」
「なんで地味なスピニング・トゥ・ホールドをチョイスした」
「テリーマン直伝です」
「ウソだな」
「ホントですと言ったら、私は正気を疑われるじゃありませんか」
どちらにしても、正気を疑うやり取りが朝から続いているフレアである。今更というお話だった。
いや、とキタローは思い直す。かえっていきなり面白みのない真人間になった方が、それこそ狂気を疑うべきなのかもしれない。
「フレアさんはいつもおかしいんだよ」
その通りだと思ったが、フレアが路面に落ちたセミの死骸を見つめるような目をしていたので、言葉には出さなかった。
「体で教えるしかないのかしら……?」
「ノー! 暴力反対っ!」
ミオは両手をぶんぶん振って、恐るべき魔手から逃れようと試みていた。
はてさて、風呂場に来てから時間が経っている。浴槽を眺めているだけでは気持ちよくはなれない。ここは蒸し風呂ではないのであるし、せめて腰を下ろしたかった。
「いつになったら風呂に入れるんだ」
「そうでした」
フレアは風呂桶を手に取り、浴槽からお湯をすくった。
「では、ご主人様」
キタローに優しくかけ湯してくる。一回、二回、三回。
「ありがとう」
「ミオも」
次に、フレアはミオにかけ湯した。一回、二回、三回。
「わぷっ」
四回目はパイ投げのような派手さを持ったかけ湯だった。パァンとビンタしたような音がしたので、意外と痛いかもしれない。
メイド長という役職だから距離を置かれていると思いきや、どうしてどうして、仲が良くて結構な話じゃないか。
まるで娘の晴れ姿を眺める父親のような気持ちになって、キタローはフレアとミオのやり取りを見つめていた。
それから、いよいよ入浴である。
浴槽へ足を入れる。
足先にピリッとした刺激。
そこから安らぎの温かみが駆け上ってくる。
キタローがとうとう肩まで使ってから、フレアとミオが両隣に入ってきた。水着を着ていては心地よさも半減しそうなものだが、汚れ知らずのメイドであるから、あまり気にならないのかもしれない。
それにしても、すばらしい湯であった。慣用句で「湯を馳走になる」と言うが、まさしくごちそうと呼ぶべき豊潤な入浴だった。
「ふー、気ン持ちいいなぁ! 風呂は最高だ。どんな懸念や不安も吹き飛ばしてくれる」
「とてもすっきりします」
フレアがとろりと相好を崩しながら言った。顔が早くも火照り始めている。
「鼻歌の一つも歌いたくなるな」
「どんな歌がお好きですか?」
「そうだなぁ。流行りの歌はあまり聞いていない気がする。ちょっと昔めの歌が多いかな。うん、アニソンが多いかもしれない」
もちろん、アニメのオープニングやエンディングに使われたJ-POPも想定し、こういう答えになった。どことなくオタッキーな雰囲気があるため、ここは好みを隠しておこうかという考えも脳裏をよぎったが、結局は正直に答えたものだった。
何しろ、温かい湯である。そんな小さなウソで場を濁すような真似をしたくなかった。アニメならアニメで良いのである。名曲はどんなところにも存在する。
あっ、とミオが言った。
「アニソンって、ぴぴるぴるぴるぴぴるぴーとか?」
「なぜ極端に走る」
「ご主人様、砲撃は極端に照準を変えて当てにいくものです」
「それは良いが、今の状況はまた別問題じゃないか」
「ドキッ、問題児だらけの混浴大会!」
「自分から何かしらの問題があることを認めていくスタイルか」
左を見て、右を見て、また左を見て、キタローはじわりと言葉を繋いだ。
「スタイルといえば、フレアとミオは見事に対照的だなー」
「そうでしょうか?」
「フレアは良い体してるけど、ミオは寸胴だし。パスタが茹でやすそうだ」
「高濃度のセクハラ粒子を観測しました」
フレアの視線が厳しい。下ネタ耐性があるわりに、自分がいじられるのには慣れていない様子である。
「ぐへへ」
それがわかったので、キタローはあえて誇張して笑い声を出してみた。
ふいに、ミオが立ち上がった。
「うおーっ、寸胴には寸胴の意地があるんだあ!」
「ぐはっ」
小さな体から繰り出されるフライングボディアタックを食らい、湯の中へザブンと没する。
「ご謀反! 明智ミオ様のご謀反にござる!」
フレアがノリノリで叫んでいた。表情に大きな変化がないわりに、感情の振幅が大きい娘である。
だが、ともかく今の相手はミオだった。
「奇襲とは生意気な。お返しだ!」
「きゃぱ!」
怪我をさせないよう気をつけつつ、キタローはミオを抱え上げ、お姫様抱っこの体勢から水面へ飛び込んだ。
「ここで満を持して、私も参戦しましょう」
フレアが立ち上がろうとしたキタローを羽交い締めにした。おっぱいがキタローの背中にハッキリと当たっている。
「二対一とは卑怯なり!」
が、遊びモードに入っていたために、妄想が発展する余地がなかった。
「なんの、勝てば官軍ぞー!」
ミオがキタローの乳首をつまみ、押したり引いたりしてきた。
「ちきしょう、これが現代によみがえった薩長同盟か。会津のみんな! オラに元気を分けてくれ!」
キタローはようやくフレアを振り払い、天井に向けてバンザイをした。
「長岡や南部にも頼らなかったのがご主人様の敗因になるとは、この時はまだ誰も予測できなかったのです」
「薩長め!」
「たーんたーたたーん、たららったららったったー」
とうとう、ミオが抜刀隊のメロディを歌い始めた。もうメチャクチャである。
だからこそ、キタローはメチャクチャ楽しんでいた。幼稚園児か小学校低学年のような遊びであるがゆえに、童心を刺激するのだ。
人は誰でもハメを外したがる。
しかし、恥や外聞といったものに気圧されて、次第に自分というものを押し殺すようになっていく。
今、キタローは心から楽しんでいた。湖の奥底で眠っていた、子どものように純粋に楽しみたいという気持ちを、久しぶりに引き上げることに成功していた。それは魂の開放といっても良かった。
湯をかけ、技を放ち、すっかりのぼせるまで風呂を堪能する。
止める者はいなかった。三人は笑い声ばかりを高らかに奏でつつ、この豊かな時を過ごした。