最終話 ガチだぜ
キタローたちは食堂に向かった。レイヤを迎える宴はそこで行われているのだ。もっとも、どこで行われているかを尋ねる必要もない。彼女の大笑いする声が、天佑館のあちこちに響いていた。
道中、キタローはフレアとサティカからレイヤについて聞いた。次元の壁を飛び越えて、世界を渡るドラゴン。同時に人の形を取ることもできる竜人。それが彼女の正体だという。
竜人は同時に世界の秩序を担う存在でもあり、あらゆる次元を破壊し尽くす力を持っている。
レイヤの場合は、特に自分を歓迎しない場合について、強烈なペナルティを課す傾向があるのだった。賄賂を積極的に受け取る役人のようだが、彼女の性格がそうなのだから、致し方ないのだとか。
窓の外は夕闇が広がりつつあり、館内の光が際立つようになる。
レイヤの声が大きくなってきた。食堂に近づいているのだ。この道はすでにキタローにもわかっていた。
「酒だー!」
食堂の扉を開くと、「どんちゃん騒ぎ」という形容がまさしく適当であろう光景が広がっていた。
「これはひどい」
キタローの本心から出た感想である。
テーブルの上にレイヤがあぐらをかき、ビール瓶を直飲みで一杯やっている。メイドたちもその周りに群がって、酒の匂いをぷんぷんさせながら、グラスでビールやらワインやらシャンパンやらを飲んでいる。
もしかすると、メイドたちの息抜きも兼ねた行事として、レイヤの来訪があるのではないかとさえ考えた。
メイドの輪の中から、ミオがてこてこと歩いてくる。
「ご主人様ー、遅いですよぉ」
「ミオがすっかりできあがっている……」
お前ら永遠の十七歳じゃなかったのかとキタローは問い詰めたくなったが、言葉にするのはやめた。元の世界でも国や地域によっては十六歳以上から飲酒ができるのだ。まして、ここは掟の通じぬメイドの聖域。彼女たちが飲んでいるのだから、それを咎めることができないだろう。
しかし、その意味では館の主は本当に絶対者なのかという気がしてくる。
「強敵……」
今度はアルマがふらふらと出てきて、キタローに寄りかかるようにして倒れこんだ。
「アルマ、大丈夫か、アルマ? そうだ、アルマのことをサティカに頼もうと思ってたんだった」
そう言って振り向くと、フレアが冷水をコップに入れてきて、それをアルマに飲ませていた。さすがにできるメイドである。
「何か必要なことが?」
サティカはアルマから目を切って、キタローを見た。
「アルマにストレス解消をさせようかと思って、カカシを斬らせようかと」
「なんだ、そんなことでしたか。構いませんよ、構いません。それより、今はレイヤ様の饗応です。大概ひどいことになってますからね」
「ショットガンを持っていくのか?」
サティカはいつも通りにショットガンを背負ったままだった。この酔っぱらいどものたまり場に、そんな凶器を持ち込んで大丈夫なのだろうか。
「あの方は余興も好きなんです。使うことがあるかもしれない」
「タチの悪い観光客みたいだな……」
サティカは肩をすくめ、メイドたちの輪に加わっていった。
話している間に、フレアによってアルマの介抱は完璧に行われていた。この分なら、キタローの出る幕はなさそうである。
「おおい、ご主人さん!」
レイヤの声が掛かった。
「レイヤ様、呼んでる」
アルマがどうにか絞り出したという声で言うが、キタローは目を閉じてため息をつくしかない。
「行かなきゃダメだよな」
慨嘆を口にしつつ、キタローは混沌の宴へと突入していった。
もうここに来ては胸を触る触らないの話ではない。メイドたちの横乳だろうが下乳だろうがを揉み、押しのけないことには、レイヤまでたどり着けなかった。
「やあやあ、ご主人さん。飲んでるかい?」
テーブルの上であぐらをかくレイヤ。形のいい胸、太めの太もも、ぎらぎらとした目は野性の象徴か。
キタローもテーブルの上を歩いていって、彼女の前にドシンと腰をおろし、大あぐらをかいてみせた。
「俺はまだ飲めない歳なんで」
「ああ、そうか! 向こうの法律ではそうか!」
向こうという言い方に、レイヤの世界観が秘められているようだった。
「すでに匂いだけでくらくら来てて」
「いいさ。ここで無理に薦めるほど崩れちゃいないよ、あたしはね」
レイヤは大盃でぐびりと酒を飲み、ぷはぁと息をついた。
「ところで、天佑館のことをどう思う?」
「いい場所だと思います」
「待った待った。敬語はなしなし。あんたはこの世界の主人だ。堂々としてりゃいい。あたしは押しかけて酒飲んでるだけの女だからね。改めて言わせてもらおうか。レイヤだ。世界という世界を飛び渡る旅をしている」
キタローは出しかけていた弱い言葉を飲み込み、骨盤に重力を乗せることをイメージした。どっしりと構えることで、この竜人と対等に渡り合いたかった。
「大谷喜多郎。キタローって呼ばれてる」
「よろしくなあ、キタロー」
レイヤは盃を置き、手を差し出してきた。
キタローもそれを取り、握手。
「さっきからあたしの胸ばかり見てるけど、おっぱい星人?」
「えっ!」
「女だったらすぐにわかるのさ」
握手が終わり、レイヤは再び盃を取った。
「そうでなくたって、フレアあたりを絞り上げれば、すぐに教えてくれるだろうけどね」
「はい」
キタローは視線を外した。視界の隅を見つめて、レイヤに戻す。
「いや、違うな。そうだ。俺はおっぱい星人だ」
「おっ、いい度胸だ。そうでなくちゃいけない、そうでなくちゃ。偉ぶるばかりが主人でもないが、へりくだるばかりが主人でもない。尊敬される人間ってのは堂々としていて、それでいて礼節も弁えてるもんだ」
「じゃあ、ぶん殴られる覚悟で言わせてもらおう」
「どんとこい」
「おっぱい揉ませろ」
どんと言ってやった。
「おお、そう来たか。度胸度胸の大度胸」
対するレイヤは呵々大笑。よくぞ言ったとテーブルを叩いた。
「知ってるか? 度胸って胸の度合いって書くんだぞ?」
「知ってるよ」
「あたしの度胸を見せるんなら、あんたの度胸も見せてほしいな、ご主人さん」
「いいとも」
「素敵な返事だ!」
レイヤはパチリと指を鳴らした。その音がよほど面白かったのか、何度も何度も鳴らした。
「何をすればいい?」
「おいおい、誰かに聞けば答えが返ってくると思ってるのかい? そういうのは自分でこれだと思うものを示すもんだ」
受け身ではダメだということか、とキタローは思った。
「フレア!」
反射的に、メイド長の名前を呼んでいた。
この世界に来てから、赤子が母親を追うように頼みにしていた名前だ。
「ここにおります」
メイドたちにもみくちゃにされながら、フレアが参上した。
「ちょっとこっち来てくれ」
キタローは手招きする。
「何か?」
手の届く位置まで、フレアがにじり寄ってきた。
キタローはフレアを胸の中に抱き込み、驚愕の表情を浮かべた彼女に軽くキスをした。
「俺は彼女と結婚する」
喧騒の中で、一滴が落ちた。それが酒であったか、汗であったか、涙であったか……。
「は?」
フレアが目を白黒させて、キタローを見上げた。
「あっはっはっは!」
レイヤはいよいよ大笑い。とんでもない笑いの波にさらわれて、体を前後左右に揺らしながら笑いに笑う。その笑い声にはグラデーションがついていて、あっちに行ったかと思えば低い笑い声、こっちに来たかと思えば高い笑い声になる。
キタローはフレアを両手で掴み、自分の方に向けた。
男と女、向かい合う形。
「フレア、結婚してくれ」
「ええええっ!」
今度こそ、フレアの正気を直撃したらしかった。彼女は驚いた。ここに来て始めて見せる、少女としての顔のようにさえ思えた。
キタローはじっと見つめている。
「わ、わかりました。お受けします……」
フレアがこくりと頷いて、キタローの胸の中に収まった。
すると、いつの間にか事態に気づいたらしい周囲のメイドたちが、わあきゃあひゃあと大騒ぎをする。一升瓶を箸で叩く。盃をフォークで叩く。どこのサル山から降りてきたと詰問されても仕方ない騒動だ。
「わかったわかった、大したくそ度胸だわ!」
レイヤは自分の太ももをバシバシ叩いていた。さらには頭も上下に揺らし、楽しくて楽しくて堪らないと言わんばかりだ。
「ホントはなぁ。ちょうどそういう話もしようと思ってたんだわ。あんた、ここに骨埋める気があるのかってな。確かに、今はあんたが元いた世界と、この天佑館。繋がってるよ? でも、次元の壁ってのは気まぐれでね。ある日、突然帰れなくなるかもしれない」
大皿に残っていた最後の焼き鳥を飲み下し、レイヤは続けた。
「フレアと結婚して、それで向こうに戻れなくなってもいい。その覚悟があるか? 度胸があるか? 聞かせてもらおうか」
「あるさ。ここ以上に良い人生の浪費場なんて、他にはない」
「浪費ときたか! あっはー!」
レイヤは後ろにひっくり返って手足をばたつかせ。また元の体勢に戻ってきた。
「あんたは楽しい。度胸がある。じゃあ、婚約早々で悪いが、あたしの胸を揉めばいいよ、ご主人さん。好きにしておくれ」
「ちょっと、ちょっと待ってください。ご主人様、レイヤ様、これはどういうお戯れですか!」
「俺がお前と結婚することになって、さらにレイヤの胸まで揉めるという状況だ」
キタローはもはやアンストッパブルだ。彼の手はハッキリと伸びて、レイヤの胸を掴んでいる。あまつさえ揉みほぐしている。
何がなんだか、とフレアが言う。
「意味がわかりません!」
「フレア。世の中に意味がわかることがそんなにないなんて、天佑館のメイド長であるあんたが一番わかってるはずだろう?」
レイヤがたしなめるように言った。
「あー、そこそこ、いいねぇ、揉み方いいねぇ。乳マッサージ師になれるよー。そんな職業ないけど」
「想像以上に触り心地いいな」
「もっとゴリゴリしてると思ったかい?」
「まさかこんなにポワンポワンとは」
「ご主人様!」
フレアがキタローの視界に飛び込んだ。さしものキタローも驚いて、乳揉みを中断して身を引く。
「ほらほら、奥さんがお怒りだ」
レイヤが楽しそうに体を揺らした。
「フレアは自分で言ったじゃないか。正妻だって」
「あれは冗談で」
「冗談みたいな世の中だ。いいじゃないか、そういう結婚でも。俺は良いと思う。大好きだよ、フレア」
キタローは揺るがない。言葉が胸の底からあふれ出てくる。その感情が出まかせや保留ではなく、汲めども尽きぬ興味から出ていると知った時、決断は永遠のものとなっていた。
「う……」
フレアは言葉に詰まっていた。
いや、言葉が出るような心理状態にないのだ。顔が真っ赤だった。フレアという名前の通り、太陽のようだった。朱に染まった頬からは、プロミネンスが出ていてもおかしくないほどだった。
「この子はなぁ、意外と守備力が低いからなぁ。優しく扱ってやるんだね」
「そうするよ」
キタローはレイヤの軽口に笑みで応えた。
「飲め飲め、みんな飲め! 天佑館主のキタローと、メイド長のフレアが結婚だ! 結婚祝いだ、飲め飲め飲め!」
レイヤが立ち上がり、酒瓶を手に宣言した。
「結婚、ですか……?」
メイドの輪をすり抜けて、アルマが転がり出てきた。
「わあっ、アルマ!」
「話が、見えないのですが」
「こいつはすごいぞ、結婚直後に三角関係だ!」
レイヤは面白そうだが、キタローにとっては全く危険な状況である。
「そうじゃないんだ、アルマ。結婚はするが、お前を嫌いになったわけじゃない」
「ご主人様、アルマにも手を出したんですか!」
今度は「妻」からの詰問だった。
「ご主人様……!」
横からは「愛人」も攻め寄せる。
「はいはい、どいたどいた! 料理が通るよ!」
さらに、モーゼの如くメイドたちを割って、マリーが料理を持って現れた。
「マリー、助けてくれ!」
「助けて欲しいのはこっちもだよ。料理番は忙しいんだ!」
どうしようもない。
「サティカ、サティカ! それ貸しなや!」
レイヤがサティカからショットガンを半ば奪っている。
「撃つ気ですか?」
「他に何に使うんだ。祝砲祝砲!」
とうとうレイヤが天井に向けてショットガンをぶっ放す。
あまりの音に、メイドたちが耳を押さえてすっ転ぶ。
なぜかミオが空から降ってきた。酔っ払ってメイドの山を乗り越え、あまつさえフライングボディプレスを仕掛けたものらしいが、それがキタローの上に来たものだから堪らない。
そこに料理を追加で持ってきたマリーが、そこのけそこのけと大皿を置いていく。
「俺は……ここで生きていく。家族に会えなくても、友達に会えなくても、ここが新しい故郷になる」
享楽の極みの中で、キタローはひたすらに笑った。




