第十四話 メイドとは何か考えなおす朝食後
朝食後、キタローはアルマがいれてくれた温かい緑茶を飲んでいた。
テーブルにはフレアも同席している。
アルマは厨房に後片付けに行ったらしく、この場にはいない。
「どうしてだろうなー」
キタローはぼんやりと考え事をしていた。
この言葉も、思考が形になって外に漏れだしたものだ。
「いかがなさいました?」
「ドラゴンは出る。武装メイドはいる。なのに、なんで没個性に見えていたんだろう」
実際に話し、見回ってみると、尖った個性ばかりが目についたのだ。昨日のあいさつの時はまるで違いを感じなかったというのに。
「それはですね、ご主人様がヤれそうか否かで相手を判断しているからではないでしょうか」
フレアは立ち上がり、キタローの傍に侍った。
「俺はどういう目で見られているんだ?」
「申し上げた通りの目です」
「うへへへー」
「ドスケベですね」
「それはそうさ。スケベじゃなければ生きていけない」
キタローはあるハードボイルド小説の一節を思い出していた。スケベでなければ生きていく資格がないとすれば、かなり先鋭的な思想といえよう。
「物を考える下半身ということですか」
「困ったことにな、メイドというものがわからなくなってきてる」
「メイドですか?」
フレアの語尾が上がっている。意外な話だったらしい。
「ご主人様に誠心誠意でお仕えする者たちです」
「わかっている。わかっているが、それだけではない気がする」
そうですか、とフレアは答えた。
「難しいですね」
そもそもメイドの定義を辞書に求めるならば、家庭内労働を行う使用人ということになる。
だが、天佑館のメイドはさらに特殊だ。家庭外で働いているのみならず、刀で雪だるまを粉砕したり、ショットガンでドラゴンと戦おうとしているのだから、これはもう家庭の範囲を超えている。
したがって、メイドというものを定義し直すとすれば、メイド服を着た使用人ということになるかもしれない。
ただ、この考え方にも問題があって、メイド服のコスプレをした瞬間に、女子高生でもなくアラサーでもなく「メイド」の概念に囚われてしまうのである。
こう考えてみると、メイドというのは一種の呪いのようにすら思える。あるいはゲーム的な状態異常か。
ふいに、キタローの脳内に考えが浮かんだ。
「真剣なんじゃないか?」
「真剣、ですか」
「あるいは真面目と言ってもいい。職務に忠実。人生に真剣。それがメイドなんじゃないかと思った」
「褒め言葉ですね」
「最上位の褒め言葉だよ。俺は自分に真剣に生きていなかったからな」
生きるというのは面倒なものだ。日頃から選択を強いられ、少しずつ命という財産が目減りしていく。絶対に勝てないギャンブルをしているようなものである。
その苦しみを少しでも和らげるためには、人生を真剣に過ごさないことが肝要になってくる。真面目に受け止めすぎれば、あまりにも不公平な人生の構図に気がついて、心身を害する恐れがあるからだ。
だが、不真面目な人間には栄光もない。いつか死に絶えるその日が来るまで、永遠に課題から目をそらし続けることになる。
では、天佑館のメイドたちはどうか。彼女たちは誰かに仕えることを至上の幸福とし、決してブレることがない。これほどまっすぐで、きれいな生き方もないだろう。
それゆえに、支払う対価も尋常なものではない。毎日を痛苦とも思える家事や雑事に追い回されているはずなのだが、彼女たちは粛々とその役割をこなしている。
これはキタローにとって、文字通り別世界の人間のように思えたのだった。
「よろしければ、ご主人様のことをお聞きしても?」
フレアが尋ねてきた。
「いいとも」
キタローはそう答えながら、自分の人生にはそんな真剣味のある主義も、考え方もなかったな、と考えている。
誰かのために尽くしたことなど一度もない。無論、自分に対しても同じだ。国が定める通りの教育を受けて、今は親が考えた通りの高校に通っている。
「といっても、特別なことはない。なんとなく生まれて、なんとなく育って、これから先もなんとなくで進学なり就職なりして生きていくんだろうなっていうだけの話」
キタローは話を広げたくなった。
「聞きたいんだが、メイドは楽しいか?」
「楽しい、ですか?」
「そうだ。楽しくないとやってられないじゃないかと思ったんだがな」
楽しいことだけをして生きていきたい。できれば生活の糧が得られるようになりたい。これは人類に共通する望みであり、喜びでもあるだろう。
ゲームが好きならば、ゲームをやるだけで生きていける。お金の心配がない。住居を失う恐れもない。それこそ理想郷の本当の姿だ。
その点で、ご主人様となったキタローは願望を達成しつつある。厳しい社会の荒波に放り出されることなく、身の回りのことは何でもやってくれて、話し相手にもなってくれる、すばらしいメイドたちに囲まれている。
では、そのメイドたち本人はどうなのだ。
「考えたことがありませんでした。メイドとして生きて、ただご主人様にお仕えするのが、私たちの役目ですから」
「それはそれで味気ない気がする」
奴隷の幸福という熟語が、キタローの頭の中に浮かんだ。
「なあ、俺の世界に興味はないか?」
「ご主人様が元いた世界ということでしょうか」
「そうだ」
「向こうの知識だけは図書館で知っておりますが、そうですね、実際に行ってみたいかと問われると、複雑な心境です。私たちはこの館でご主人様にお仕えする。それだけを願っているわけですから」
コアなネタにも反応するのだから、かなりの知識が蓄えられているのだろう。
「だが、俺はお前たちを向こうの世界に連れて行って、どんな風に思うかを聞いてみたい」
「確かに、聞くと見るとでは大違いかもしれません。ですが、それは叶わぬことでしょう」
メイド空間たる天佑館は異世界、別次元だ。
フレアはそのことを確認させたいのかもしれなかった。
だが、キタローは一つの疑問を持った。
「俺が元の世界に戻るには、どうすればいいんだ?」
「帰りたいとお申し出になり、それから眠りにつくだけです」
「どうして俺がここにやってきたか不思議だったんだ。何か特別な場所を通ってやってきたかと思ったんだが」
ワームホール的な存在は確認できないということらしい。
「やっぱり、この館は夢の産物なんじゃないかな」
「失礼致します」
言うが早いか、フレアはノーモーションで平手を繰り出してきた。
「いてぇ!」
ビンタの音が響いたが、言うほどには痛くない。フレアの絶妙な力加減と、キタローの高まる反射力の賜物だろう。
「と、このように、夢ではありません」
「あのなぁ! 女の子がなぁ! 男の子のほっぺたを叩くってなぁ! 惨劇なんだぞ!」
これは本当に大事件である。
女子による平手打ちは男子の心をたやすく破壊しうる。大量破壊兵器として査察が必要なレベルである。
「申し訳ございません。でも、結構痛快でした」
フレアは悪びれない。いつも通りに冷静を崩さぬまま、打った方の平手をさすっている。
「とうとうメイドが反逆を開始した。そのうち俺は地下牢か何かに閉じ込められるんじゃないだろうか。できることなら精子を出す機械的な感じで、エロ漫画的な結末を迎えたい」
「エロ漫画脳の恐怖ですね」
「おうよ、エロ漫画脳だ。学校に通っている間にも、世界のどこかで大勢の人たちがセックスしてるって考えてたからな。だって、地球の裏側では夜なわけで、そりゃあズコバコやるだろ?」
「激戦が繰り広げられているでしょう」
「それなのに俺ときたら、教科書とにらめっこしてるわけだ。そんで負けて、すやすやと寝てるわけだ」
「教科書攻めのご主人様受けですか」
キタローは自分の校門に丸めた教科書が挿入される様を想像した。
「カップリングはよしてくれ。教科書にイカされたくはない」
「なんて話をしてるんだい」
マリーが食堂にやってきた。
「おはよう、マリー」
「おはようだ、ご主人」
「ご主人様のお話の相手をしていました」
「それで教科書が攻めるだのご主人が受けるだの話していたのかい。呆れるねぇ」
呆れるという割には、マリーも会話に参加する気があるようだ。意外とそちらの道に精通しているのかもしれない。
「マリーはどう思う? ご主人様は攻める方? それとも受ける方?」
「リバーシブルだろう」
「なるほど……」
フレアは名探偵のように口元に手を当て、思考に入った様子だった。
「俺を腐った領域に連れて行くのはやめてくれないか」
本音だった。
マリーはそうした二人の様子には一切構わず、再び口を開いている。
「メイド長。今日はどうするつもりなんだ?」
「ご主人様と外を見て回る予定です」
「朝のうちに農場へ行ってきた」
キタローが付け加えた。
「サティカには会ったのかな?」
「会ったよ」
「どうだった」
「感想を言いづらい。悪い意味ではなく良い意味で、変人ではありそうだ」
「違いない」
マリーが肩を揺らして笑った。
サティカの奇行は館内のメイドたちの間でも有名なのかもしれない。
「あっ、しまった!」
ここで、キタローは自分の悲しむべきミスに気づいた。
「どうなさいました?」
「本当に動かないんだったら、もっとおっぱいとか触っておくべきだった……」
フレアとマリーの冷たい視線が突き刺さる。
「メイド長。ご主人様から目を離さないようにしておいた方がいいね。サティカの純潔が危険だ」
「首輪を用意した方がいいかもしれない」
動物扱いである。
「確認するが、俺ってこの館の主だよな?」
「そうだよ」
「そうですね」
「ひどい扱いだよ、まったく」
かくなる上は実力行使しかなかった。
「それっ」
キタローが手を伸ばす。
「わっ!」
マリーの防御は間に合わない。おかげでふんわりとしたおっぱいを堪能できた。
「パイタッチ分が補給された。これで頑張れそうだ!」
「変態か!」
珍しいマリーのツッコミ。意外と純情派なのかもしれない。
「ご主人様。好感度がもりもり下がってしまいますよ」
「嫌いは好きの裏返しって言うだろう」
「確かに、無関心よりは高級な感情かもしれませんが」
「そういうわけだから、あいさつ代わりのパイタッチぐらいは許容して欲しい」
「ご主人様のなさることですから、たとえ抵抗しようとも無駄だと思っています。ご随意になさってください」
フレアの言葉には、あきらめている感が強く出ていた。
あまり好きにやると怒られてしまいそうだが、キタローとて若い男である。衝動を抑えきれないことぐらいあるのだ。
「なあ、ご主人」
マリーが近づいてきた。
「うん?」
「ほい」
ふいに、股間にタッチされた。
「おおっ!」
「パイタッチならぬチンタッチですか!」
このマリーの行動には、フレアも驚いたらしい。
「びっくりした」
キタローも思わぬ逆襲にあたふたしている。
「お返しさ」
マリーは快活な笑みを見せた。
「さあさあ、行ってらっしゃいな。私も昼の準備に取り掛かろう。無理に帰ってくることはないよ。その場合もちゃんと無駄にならないようにしてあるから」
手を振りながら、マリーは去っていった。




