第十三話 ただのカカシですな
天佑館の農場は彼方に見える山裾まで広がっていて、まさしく黄金のじゅうたんを敷き詰めたようになっていた。秋の実りが風に吹かれ、見る者に美しい輝きとなって受け止められる。かつて、人間がそこに神の姿を映し出したのも納得できる光景だ。
キタローはフレアとともに、農場の中の道を歩いていった。アスファルトで舗装されているわけではない、土をならしただけの一本道である。
「良い景色だ! 映画のグラディエーターとかで見たぞ。どこまでも続く道。黄金色に輝く大地……」
そうした自然に触れたことのないキタローは、感動を禁じ得なかった。
横を歩くフレアが、にっこりと笑う。
「青姦には最高のシチュエーションですね」
やはりこのメイド、脳みそがピンク色である。
「密集度が高いから、ヤリづらそうだ」
もちろん、主たるキタローも負けてはいない。
「『前略、道の上より』すればいいんです」
「ん? あそこにいるのは誰だ?」
キタローは彼方に佇む何かを見つけた。メイド服を着ているようだが、微動だにしていない。
「ただのカカシですよ」
この言葉に、キタローは映画コマンドーを思い出したが、口には出さなかった。まさかフレアがそれを意識しているとは思えなかったからだ。
「本当か? ちょっと近づいてみたい」
畑の中に入り、メイド服を着た何者かの傍までやってくる。
「ほら、この通り」
フレアが指差す先には、なるほど着飾った巻藁があるばかりだった。
「本当だ。メイド姿のカカシってシュールだな」
キタローはこのメイドまみれの世界にすっかり順応していて、それ以上の感想を持たなかった。
「よし、次に行こう」
カカシから離れ、元の道を行く。
途中から見えていた建物の近くまでやってくると、ほのかに花の香りがした。どういう花のものかはわからないが、芳香剤のように強烈すぎるものではない。安らぎを与えてくれる、不思議な香りだった。
「ここは厩舎です」
「馬!」
そう、馬がいた。
花の香りの発信源は、この馬だった。寝藁の方からも別の香りが漂ってくる。
つまり、馬の野性味あふれる匂いや馬糞の臭みなどが、すべて花の香りに変換されているのだ。
そうでもなければ、都会っ子のキタローは顔をしかめていただろう。これも彼が心の奥底で「臭いのは御免だ」と考えていたからかもしれなかった。
「乗ることもできますよ」
「俺は馬に乗ったことはないからなぁ」
「もうお忘れですか? 天佑館においては、ご主人様のなすがままです。馬を御するなど造作もないこと」
「館の外でも有効なんだ?」
早起きの馬を撫でてみて、その大人しさに驚きながら、キタローは言った。
「てっきりあの中だけかと思ってた」
「天佑館とはあの館であり、この世界そのものです。力の範囲はどこまでも及びます」
「信じる心さえあれば、どこででも何でもできるってわけだ」
「はい。もしかしたら、牝馬相手に一戦交えることだってできるかも」
「獣姦の趣味はない」
馬から手を離し、厩舎の中を歩いていく。
「一部では馬との情交はありふれたものですよ?」
「俺はマジョリティであって、そんなマイノリティに属しちゃいない」
「他人との差別化が大切なんです。そうして保守的になりすぎていると、幸運の女神の前髪を掴み損ねます」
「その時は体を抱きしめてでも止めてやるさ」
「わー、すごーい、かっこいー」
厩舎を抜けた。フレアの棒読みが、わざとらしい無表情が、明るくなりつつある空に映える。
「俺はお前にビンタを食らわせてもいいのかな? 水木しげるが描いているみたいなシビビビって効果音のビンタを」
「やはり、ご主人様はお名前通りに水木ワールドのご出身だったんですね」
「違う。強いて言うなら山田風太郎ワールドの出身になりたい」
再び道の先に行こうとして、キタローは足を止めた。
「ん?」
「いかがなさいました?」
「あのカカシ、変じゃないか?」
キタローが指差す先には、やはり一体のカカシがあった。もちろんメイド服を着けている。ただ、それだけではないようだ。何やら棒状のものを背負っている風に見受けられる。
「どれでしょう」
キタローの指すものを見つけつつ、フレアが頷いた。
「わかりました。あれですね?」
「そう」
「近づけばわかります。あれはカカシではありませんから」
「なぬ?」
フレアの言う通り、近づいてみる。
「うおっ、本物のメイドだ! ショットガンを背負ったメイド!」
まさしくメイドだった。浅黒い肌を持ち、くっきりと大きな目を持ち、近づくものは容赦なく射殺するとばかりに、微動だにせず地面に立っていた。
「サティカ。ご主人様がいらっしゃっています」
大きな目がひゅるっと動いて、キタローを見た。
「ご機嫌麗しゅう」
サティカと呼ばれたカカシメイドは、やはり少しも動くことなくあいさつをしてきた。
「ん、ああ、麗しゅう」
「彼女は農業担当です」
「カカシの真似をしているだけじゃないか!」
「太陽が昇ってから行動を開始して、太陽が沈むとカカシになるんです」
「それはまた新しいタイプで来たな。説話集の中に出てくる妖怪みたいだ……」
どういう考えがあってそんな奇行に走っているのか、キタローは根掘り葉掘り聞き出したくなった。
「妖怪だけに、何か用かい?」
彼の考えは即座に訂正された。そのしょうもないだじゃれを臆面もなく言えることについて、はっきりと問い詰めたかった。
「いや、特に用はない。外の様子を見て回っているだけだ。邪魔をしたな」
「いえいえ、どうぞお気をつけて」
だが、サティカは一応の礼節を持っているようで、言葉の優しさにそれが表れていた。もっとも、最後までぴくりとも体は動かず、目と口だけで会話するという奇妙なものではあったが。
「世の中、いろんなメイドがいるもんだ」
サティカから離れ、元の道に戻りながら、キタローは疑念を持った。
「しかし、なぜショットガンを背負っているんだ?」
「それは畑を荒らされないようにするためでしょう」
「イノシシでも出るのか」
「ドラゴンが出ます」
「は?」
耳がおかしくなったかと思った。左右の耳の穴に指を突っ込んでほじくり、もう一度尋ねる。
「ドラゴンが出ます」
答えは同じだった。
「ブルース・リーっぽい畑荒らしが出るってことを言いたいのか?」
「違います。悠然と天空を飛び回り、大地の者たちを震撼させる巨竜です」
おいおい、とキタローは言った。
「理想郷だと思ってたのに、実はとんでもないところだったぞ、天佑館。これじゃジュラシック・パークじゃないか」
「ご存知の通り、メイドは死んでも翌日にはよみがえりますので」
「ご存知じゃない! 処女膜が元に戻るのは聞いたが、死んでも復活するとは初耳だ」
「私との初夜を忘れただけでなく、翌日復活の話も忘却されたのですか?」
「いいや、これは俺のすべてのプライドにかけて断言する。ドラゴンも復活も初耳だ。何より初夜をいただいていない!」
「となると、私の責任ですね。自決します」
フレアが立ち止まり、自分のこめかみに指で作った銃を突きつける仕草をした。
ええい、何をやっているんだ。
キタローはそう思い、言語野が彼の主張を言葉にした。
「自決するくらいなら自慰をしろ!」
フレアの目が、明らかに感情の変化を伝えていた。
「ご主人様……名言のように熱く語っていますが、観測史上最低とも言えるご発言ですよ」
「だが、撤回しない。俺はなんという名言を生み出してしまったんだ。『同情するなら金をくれ』に勝るとも劣らないぞ。『自殺するなら自慰をしろ』だ。これで現代日本の恐るべき自殺者数を減らすことができる」
「テクノブレイクが増えるだけのような気もしますが」
「そこまでは責任が持てん」
キタローとフレアは、再び道を歩き出した。
「ともかく、天佑館には時折ドラゴンがやってきます。私たちはその飛来に備え、日夜鍛錬を欠かしません。それでも、その暴威には圧倒されてしまうことが多々ですが……」
「そりゃそうだろう。何が悲しくてアッシマー以上の装甲を持ってそうな化物相手に、散弾で挑まにゃならんのだ」
「私の心配は今や完璧に解消されています。何しろ、今はご主人様がいらっしゃいますので」
「俺が?」
恐ろしいことを言い出すメイドである。ドラゴン退治の戦いに、館の主までも担ぎ出すつもりらしい。
「その通りです。ご主人様の力を持ってすれば、ドラゴンだろうが核ミサイルだろうが旧支配者だろうが指先一つで弾き飛ばせるでしょう」
「うーむ」
フレアの言うことにも一理あった。
もし、真に世界に順応した全能者ならば、たとえ相手が何であろうとも、五角以上に渡り合えるはずだ。
否、むしろ圧勝できなければならない。
「天佑館もまた破壊と創造を繰り返す世界です。その先に新しい未来があると思えば、何やら楽しい気分になってきませんか?」
「そう言われると、楽しみではある。俺が本当にすごい強さを持っているのかどうか疑わしいが、何もないところにショーツを呼び出し、完璧なメイドに失禁地獄を味わわせることができた」
キタローの中で認識が変化し、突然の侵入者が生活の刺激になるのだという思いが強くなった。
「やれるかもしれないな」
「その意気です」
フレアが肘を差し出してきたので、キタローはそれに肘を突き合わせることで答えてやった。
空はいつしか青みを取り戻しつつあり、朝日が黄金の大地を美しく魅せんとしていた。
朝がやってくる。




