第十二話 自由の先に
夜が去り、朝がやってくる。
そのサイクルは天佑館でも同じであるらしい。
キタローは早々に目覚めていた。はっきりと熟睡した後には何もかもが消え去って、無人の野原が広がるばかりではないかと危惧していたが、相変わらず天蓋つきのベッドのままだった。元の世界の安いベッドに戻る気配も、今のところはない。
太陽がまだ昇りきっていないからか、外は暗みを帯びているようだ。カーテンの向こうの光は弱々しく、寝室はなおも暗黒を保っている。
「夢オチじゃなかったか」
起きる。
体の調子は良好だった。
マリーが作った料理には、精力増強の効果もあるのではないか。
そんなことを考えてしまう程度には、体が自由自在に動いた。
寝室から、隣の部屋に移動する。
そこは館の主としての私室になっている。
フレアが椅子に座り、背筋を伸ばして机で書物をしていた。
「おはようございます」
キタローの姿を認めると、彼女は立ち上がって礼をした。
「おはよう。早いな」
「ご主人様がいつ起きられてもいいように、私は常に待機しておりますので」
常に、という部分が引っかかった。
「ずっと起きてたのか!」
「はい」
フレアの表情には疲労の跡は見えない。天佑館のメイドが生理機能を大幅に排除しているのならば、疲れない体を手に入れているとも考えられるが……。
どんな機械でもメンテナンスが必要なのである。連続で稼働し続ければ、いつかは壊れる。
キタローは中学校のころの話を思い出した。学校が空調の常時活動をケチったところ、実習で使うパソコンが次々とダメになってしまったのである。精密であればあるほど、定期的なケアが必要なのだ。
「ダメだぞ、寝ないと。いっしょに寝るか?」
「その件は保留とさせていただきましょうか」
「先送りは癖になるぞ」
「婉曲的に断っているつもりだったのですが」
ずばり言ってくれる。
キタローはそう思いながらも、両手を前に突き出して、フレアに向かって念じる。
「……眠れっ、添い寝しろっ」
欲望だらけの朝である。
「何をやっているんですか」
フレアが呆れた様子だった。よくよく見ると、彼女のその表情をわずかに変えているのだ。たった一日二日でのことであるが、キタローはその事実を看破していた。
「いや、尿意を催すくらいだから、念じれば眠るかと思ったんだ」
「それは対象外のようですね」
「ようですね、って他人事みたいに」
「ご主人様によって違うのです。正直に申し上げれば、ご主人様ほど天佑館に愛されている方はいないと思いますわ。あんな、漏らしそうになったのは初めてでしたから」
フレアの声色に恥じらいが混じっていた。
「適性があるんだな。何だか自信が湧いてきた」
「でも、二度とやらないでくださいね」
「反省してます」
キタローは素直に頭を垂れた。
悪いことをしたとは思っているのだ。大小どちらにしても同じだが、我慢を強いられている時ほどつらいことはない。生まれてきた事象そのものを呪いたくなるほどの苦しみが、足先から頭のてっぺんまで駆け抜けていく。
そんな目に遭わされながらも、少なくとも表面上は主を立てようとしているのだから、メイドというものは大した人格者だった。
「おわかりいただければ、私としても幸いです」
「普段は排尿しないから、余計に辛いんだろうな」
「そうですね」
フレアは言った。
「本日はいかがなさいますか?」
「んー、そうだなぁ。何をやってもいいんだろう?」
「はい。屋敷の中を見て回るもよし、外に出て新しいことに取り組むもよし。もちろん、何もしなくても構いません。ご主人様は全能者でいらっしゃいますから、その気になればいかようにでも」
全能者というほど何でも有りでないことは、いくつかの制約に表れていた。
キタローとしてはまだるっこしいことを抜きにして、一足飛びにメイドハーレムを築きあげたい欲望もあったのだ。もっとも、実現したら実現したで、生活が味気なくなる可能性も否定できなかった。
ふと思いついたことがある。
「メイドを二つのチームに分けて、戦争ごっこをさせたりもできるのか」
「可能です。ゴア表現も自由自在です」
「ゲームならともかく、リアルで女の子が吹き飛ぶところは見たくないからなぁ」
血湧き肉躍る展開はフィクションだけで充分だった。
「もしかして、あの戦車ってそういう時のために置いてあるの?」
「他の用途もあるとは思いますが、メインではあるでしょうね」
戦車をどのように使うのだろう、とキタローは思った。まさか一人エッチには使えまい。
「こう言っちゃなんだが、昔の彼氏感がにじみ出てるぞ。オラついている感じの」
「私たちとしては、今のご主人様に誠心誠意でお仕えするつもりです。お望みとあらば、大規模な『模様替え』も可能ですし」
「天佑館の構造まで変えられるのか!」
そうなると、タワーディフェンスゲームのように、罠だらけの洋館に仕立てあげるのも可能なわけだ。メイド空間に侵入者がいるのかどうかはまだわからないが、そういう遊びもできると考えると、たちまち可能性の翼が広がるのを感じる。
「愉快な話でしょう?」
「なんでもできるってのも困った話だよ。お前たちが長い年月をかけて積み重ねてきたものを、一瞬で奪い去ってしまう」
「それほどに、ご主人様の存在というものは大きいのです。ご主人様あっての私たちですから、いかような結果を招こうとも、ご主人様をお恨みなど致しません」
素直に恨まれないことの方がつらいこともある。
キタローは遠い昔の友人にひどい仕打ちをした思い出を反芻しつつ、そう思った。
ピンポーン、とフレアが言った。
「さて、問題です。私はご主人様が先ほどお目覚めになってから、何回ご主人様と発言したでしょうか?」
「えらいところでえらい問題をぶっこんできやがった」
「なお、私も答えがわかりません」
「おい」
「それだけご主人様に夢中というわけです。イイハナシダナー」
「言ってくれるよ」
キタローの中で意識が固まってきた。
「よし、今日は外に出てみる」
「お供致します」
「きびだんごをやろう」
「ももたろうさん、くさいですよ!」
「放屁と同じ扱いをするな!」
「常温放置のきびだんごですからね?」
フレアは前の方で手を組んだ。
「それに、本当は怖い日本昔話として考えると、きびだんごが何かの隠喩に聞こえてなりません」
例えば、鬼とは何を指しているのか、鬼ヶ島で暮らしていただけの彼らはなぜ成敗されたのか……。
そうした部分を指しているのだろう。
民俗学的に考えれば、いかような解釈も可能に思えた。
ともあれ、話をした効果もあって、キタローは完全に目が冴えた。
「着替えを用意してくれ」
「今後も制服でよろしいですか?」
「ああ」
フレアが話しながらも、キタローの制服をクローゼットから取り出している。
「では、お手伝い致します」
「王侯貴族みたいだな。いいよ。自分で着替える」
「かしこまりました。ご主人様の仰せのままに」
「本音は?」
「そそり立つモノで驚かずに済みますので、ラッキーです」
「感想をどうもありがとう」
ぐっすり寝たせいか、また朝と言うには早いからか、キタローの息子は平常心を保っていた。
パジャマを脱ぎ、制服に着替える。スリッパからスニーカーに履き替えることも忘れない。
「行こうか」
「本日も良い陽気になるとのことですが、午後から天気が崩れる可能性があるそうです。気をつけて参りましょう」
メイドにも天気予報士がいるのか。
キタローはそんな疑問を抱きつつも、それを即座に問い質しはしなかった。必要があれば、折を見て尋ねれば良いのだ。
窓の外の宵闇は次第に駆逐されつつあり、朝の誕生が間近となっている。




