第十一話 エンジョイディナー
夕食は静やかに始まり、しめやかに進んだ。
食器の音だけが響く食事というものは、実に居心地の悪いものである。
「フレア」
キタローがようやく声を発した。
「はい」
「何かしゃべってくれ」
「厳しいですね。上の口はふさがっておりまして」
フレアは淡々と述べたが、キタローに引き下がるつもりはない。
「下の口を使え」
「さすがにそちらで声を発することはできませんので」
「それもそうだ」
つまりはこの沈滞する空気を打開する妙案が浮かばない、ということだな。
キタローはフレアの発言から意図を読み取り、別の方向に話を持っていくことにした。
「アルマ」
「はい……」
アルマは音もなくナイフとフォークを置いた。
「良い話題はあるかな」
「今日も良い天気だったこと、でしょうか」
「天気が悪い日もある?」
「はい。たまに、雨が降ります」
ふーむ、とキタローは言った。
「気象は元の世界と変わらないのか」
「冬には雪、みぞれ、あられ……」
「意外と厳しい気象環境なんだな」
「雪だるまが、作れます」
「雪だるまねぇ」
これ以上ないくらいに典型的な雪だるまの映像が、キタローの脳内に投影された。二つの丸を重ねたような形。上が小さく、下が大きい。ありあわせのもので、目、鼻、口、眉毛を作ってみる。
冬は雪遊びもいいだろう。
キタローは無邪気にそう考えた。
「スリスリすると、気持ちよくて……」
「エロティックだぞ」
フレアの視線が、キタローを射抜く。
「それはご主人様の錯覚ではないでしょうか」
「いいや、絶対にエロい」
キタローもまた主張を取り下げない。
そんな二人に目を向けつつ、アルマが口を開いた。
「雪だるまは……その後に壊します」
「壊すの?」
「力いっぱい、刀で」
「刀!」
キタローの想像の中にいた雪だるまが、ばっさりと両断された。
「アルマは居合の使い手ですよ」
しかも、雪だるまを切り裂いたのは刀を帯びたメイドなのだ。そのメイドはどこか陰気な気配を漂わせながらも、電光石火の早業で何もかもを切断していく。
都市伝説としては充分な素養があった。
「どうしてそんな猛者が配膳メイドなんかやってるんだ」
「平衡感覚に優れているのと、なんとなくそれが面白そうだったからです」
「おいおい」
フレアの任用基準は、思った以上にアバウトなのかもしれなかった。
「安心して、ください」
アルマが言った。
「ご主人様は、私以上に強い、です」
「そうかぁ?」
居合を使うメイド異常に強いかと問われたら、キタローはさすがに大言壮語を作れなかった。
「念じてみてください。何か、出て欲しいものを」
「出て欲しいものって言われても」
「イメージです。強くイメージを」
「出て欲しいとなると、むーん、むーん」
欲望の赴くままに、欲しいものに関してイメージを強める。
目の前に、何かがひらりと舞い降りてきた。
「出ました……」
それは女物の下着だった。赤い。勝負下着としては最適だろう。
「ご主人様、いくら欲しいと言っても、下着を呼び出すのはどうかと思います」
「しかも、赤」
「ホントに出るとはびっくりするな!」
「この通り、天佑館においては、ご主人様の意志は絶対……です」
「物理法則も捻じ曲げられるってわけだ」
このメイド空間が、天佑館が、キタローを絶対者として認めている。問答無用のチートコードを手に入れたようなものだった。
「待てよ。そうすると、試してみたいことがある」
「何をなさる気ですか? 私、猛烈に嫌な予感を覚えているのですが」
「さすがフレアだ。良い勘をしている。だが、やめるわけにはいかないな。これはテストだ。本当に思い通りかどうか、試してみなければならない」
「いったい何を……はうっ」
フレアに異変が起きた。
突然に言葉を切って、視線を中空にさまよわせている。
腰を折って屈むような姿勢になり、必死に耐えているようでもある。
「メイド長、どうか、されましたか?」
「やばい、やばいっ、来てる! これ来てる!」
「え、いったい何が……」
「おしっこ、おしっこ漏れる!」
これまでのフレアからは考えられない、切ない声が飛び出てきた。
「うん、メイドは排泄しないって聞いてたけど、そのルールさえも俺は打ち破れるわけだ」
強力な切り札である。
ルールを設定できるということは、名君にも暴君にもなれるわけだ。たとえテーブルの上の料理をすべてひっくり返しても、元に戻れと念じれば戻ってしまうのだから、やりたい放題である。
「ご主人様、これ、シャレにならないです! 早く止めてください!」
「漏れそうだったら、トイレへ行けばいいじゃない」
先ほど出現した下着を手でもてあそびながら、キタローは残酷に言ってやった。
「動いたらやばいんです!」
フレアの顔色があからさまに変化していた。
「ひふっ」
「あ、出た?」
「なんのこれしき……!」
どうやら一つの波を乗り越えたようである。
「我慢してたら尿毒症になるぞ」
「ご主人様、ご主人様。メイド長、苦しそうです……」
アルマが立ち上がり、それなのに肩身の狭そうな姿勢をして、懇願するように言ってきた。
「そうだな。少し遊びすぎた」
こうなると、キタローも罪悪感が勝ってくる。
「戻れ戻れ、尿意よ戻れ」
間に合うかどうかはわからないが、フレアの尿意が収まり、元のルールに沿うように願った。
「はーっ、はーっ」
当のフレアはかなり消耗したようだが、間に合ったようである。
「めっちゃ冷や汗かいてる」
「顔を洗ったみたい、です」
「ご主人様、お戯れが過ぎますよ!」
「すまん、反省してる」
「お顔がどう見ても反省してるように見えません!」
「今日はいろいろやり込められたからな。感謝も兼ねたお返しさ」
キタローはにたりにたりと笑った。
「いやあ、かわいい顔が見れたよ」
「かわいいって……」
「メイド長、照れて、ます」
アルマに指摘され、フレアは強めに首を振る。
「照れではありません! 苦痛から解放されたので、少し興奮しただけです」
「大丈夫か?」
実際に痛かったのかもしれないと思い、キタローは悪いことをした気になってきた。
思うまでもなく悪い真似はしたのだが、想像以上にダメージが残っていたら悪いと感じたのである。
「かなりヤバかったです。内臓が噴き出るかと思いました」
「俺はすごい能力を持ってるんだな」
キタローはまじまじと自分の手を見つめた。別に手から願いの力が放たれているわけでもなかろうが、何かを成し遂げるというイメージはそこから湧き出ていたのだ。
「その通りです。天佑館においては、まさしくご主人様がルール」
フレアは立ち上がり、かかとを揃え、恭しく礼をした。
「どうか、善きことにお使いください」
「だけど、服を脱いで俺に抱かれてはくれないようだ」
「そこだけは、私たちメイドに最後の選択権が委ねられています」
「メイドの一分、です」
アルマもフレアに倣い、我が主人に向かって礼を見せた。
少女たちはよくよく仕えていてくれる。
しかし、己の全存在を預けるに足る相手であることを見極めるまでは、身も心も最後の扉を開かないと決めているのだろう。
キタローはそのことを強く理解した。
「わかった。さあて、食事だ。つい余興を楽しみすぎだ」
「余興でお漏らしを共用される方の身にもなってください」
「新しいプレイに目覚めるかもよ?」
「特殊性癖……」
「アルマ!」
フレアがアルマを叱咤した。
「申し訳、ございません」
「フレア、彼女を怒らないでやってくれ」
「肩をお持ちになるんですね」
ここでもフレアが意外と食い下がってきた。
想像以上に独占欲が強いのか、はたまたメイド長としての職分に踏み込んで欲しくないのか。
キタローはフレアの心奥を掴みかねた。
「ご主人様、私は、気にして、いませんから」
アルマのとりなしが、返って健気に響く。
「それならいいが」
キタローは椅子に座り直しつつ、一つため息をついた。
「なあ、フレアよ。あまり俺を独占できるなんて思わないでくれ」
「私にもメイド長としての矜持があります。いざとなれば、ディルドーで喉を突いて死にますから」
「最低な死に様だな、おい」
「かなり苦しみそうですよね。冗談で言ってみてから、ゾッとしました」
あの、とアルマが言った。
「刀を、貸します」
「結構よ。アルマなら本当に貸しそうだから怖くて」
「介錯がうまそうだ」
死ぬ時はメイドに首を刎ねられるのも悪くない。
そんな縁起でもない想像を抱いてしまう程度には、魅力的で悪魔的に聞こえた。
だとすれば、今、席をともにしているメイドたちは、自分に人生の終わりを告げる死の天使か。
キタローはそんなことを一人思い、口元にうっすらと笑みを浮かべた。
それから周りに目を配ってみれば、やはりフレアとアルマも同じような笑みを浮かべているように見えた。
だが、錯覚だった。二人とも各々の顔をしていた。
もしかしたら、すべてが錯覚、泡沫の夢に過ぎないのかもしれないとまで考えた。今日という日が終われば、何もかもが消えてなくなるのだ。
夢オチなんて最低だぜ。
キタローは自らに重ねて言い聞かせ、夕食の続きに取り掛かるのだった。




