第十話 アルマの沈黙
フレアの顔を見て、キタローは思わず安心感を覚えてしまった。
迷子がようやく母親を見つけたような気持ち。
安堵のため息が肺の奥から飛び出るような感覚。
恥ずかしいので、とても口にできるものではなかった。
フレアと合流したのは、食堂で夕食の準備を眺めている時のことだった。これで時間つぶしに困ることはなさそうである。
「ただいま戻りました」
「お疲れさん」
「私がいない間、寂しかったですか?」
「いや、まったく。むしろ静かになったと思っていた」
時として、素直になりきれないこともあるのである。
それに、新しいメイドとの出会いを堪能していた点から考えても、半分は事実だった。
「会わない間に、ご主人様は冷たくなってしまわれたのですね。まるで魔王のようです。そのような邪悪な魂はお捨てください。いつか滅殺豪波動される日がやってきます」
「ツッコミどころが多すぎて、どこから指摘したらいいのかわからんわ」
「女には少なくとも三つほどツッコミどころがありますので」
フレアは三本の指を立てた。
「そう言うんなら、ヤらせろ」
「ダメです。視界の右上に出ていませんか? 『成功率0%』という文字が」
今度は親指と人差し指で〇を作っている。
「出とらんわ! 俺の目はそんな素敵機能を備えていない」
もしも出ていたとしたら、それはきっとゲームに脳髄を支配されてしまったに違いない。コンピュータを様付けで崇め、レーザーガンを手放さない毎日に繰り出すことになるのだ。
「焦ってはいけません。はい、深呼吸。吸ってー」
「すぅ……」
「吸ってー、吸ってー、吸ってー、ああんそこぉ」
「真顔かつ棒読みでベタなネタをするのはやめような」
「奇遇ですね。私もそう感じていたところです」
夫婦漫才のような安定感を醸し出す、一連のやり取りである。キタローはもはやフレアとの距離感を見事に我が物にしていた。
キタローはビシッとフレアを指差す。
「いいか。エッチにはエモーションが必要なんだ。もっとこう、パッションをエクスプロージョンさせていかないといけないんだよ!」
「ルー語ですか」
「いつかベッドでトゥギャザーしようぜ!」
フレアは答えず、受け流す。受け流した先には誰もおらず、渾身のベッドイン宣言は空振りに終わる。
いや、いた。
配膳中のメイドが、いそいそと出て行くところだった。
「ギャザがマジック・ザ・ギャザリングなら、それが好きなメイドもおりますが」
「多趣味だなっていうか、どこから仕入れるんだ、それ」
「天佑館に、ひいてはメイド空間に不可能はないのです。時空の一つや二つはおやつ感覚で歪めてみせます」
「メイドすげぇ」
つまりは外の世界に通販することも可能なのかもしれない。イントラネットも整備されていることも鑑みると、天佑館はその古風な佇まいとは裏腹に、しっかり現代化を果たしているといえよう。
もっとも、戦車格納庫のような謎設備がある時点で、近代だろうが現代だろうが関係ないのだが。
「もっと讃えてください。私が気持ちよくなります」
「ディナーを平らげた後のデザートにとっておくとしよう」
キタローは戻ってきた配膳担当のメイドを見つけた。
「ああ、そこの君」
「私、でしょうか……」
彼女は立ち止まる。
冷静というより、頼りなく見える佇まいだった。背丈はフレアとほぼ同じ。目が自信なさげにタレている。特筆すべきは爪だ。神経質なのかうっかりなのかはわからないが、深爪をしてしまっていた。
「そうだ。君の名前はアルマか?」
「はい。アルマと申します」
マリーから聞いた配膳担当のメイドとは、まさしくこのアルマだった。
「良かった。やっと会えたよ。昼もありがとう。もちろん、今も。仕事中に呼び止めて悪いが、どうしても聞いておきたかったんだ」
「……ありがとう、ございます。私などを、気にかけていただいて」
テンポは独特だが、声はハッキリと届いてくる。そこはメイドとしての仕事に関わる部分なので、頑張って出しているのかもしれない。
「ご主人様。正妻が見ている前で浮気とは、英雄的な肝の太さですね」
「アソコも太いぞ」
フレアがそっぽを向いた。
あまりにもオヤジチックすぎたかと、キタローは少しだけ反省した。
「というか、正妻ってなんだ。俺はフレアと結婚したのか」
「あんなに激しく愛しあったではありませんか」
「断られてしかいないが」
「前世で」
「アイタタ系に持って行くな!」
しかし、異世界にあるメイドだけの洋館にやってきたわけだから、前世があってもおかしくないとは言える。
キタローは考えを改めようかと思案した。
そうは言っても、やはりアーンでイヤーンなことを現世でしてないので、悩むだけ無駄であった。現世利益が大切なお年頃なのである。
「あの、もう行っても……?」
「うん。引き続き料理を頼む」
アルマは深く頭を下げ、食堂を出て行った。また厨房に向かったのであろう。
「楽しそうですね、ご主人様」
フレアの言葉通り、キタローはにわかにウキウキし始めていた。
「楽しいさ。フレアに言われた通り、メイドたちのことが少しずつわかってきた。初めはみんな同じような完璧さだと思ってたけど、話してみると個性にあふれてる。いいね。すごくいい。人と話すのがこんなに楽しいとは思わなかった」
「お気に召していただけたようで、何よりです」
やがて料理は出揃った。格式高いコース式でないことは、キタローの好みに沿ったものだった。
「さあ、食事にしよう」
キタローはフレアを見た。
「フレア、お前も座るんだ」
「ご主人様と同席など。メイドの領分を超えてしまいます」
「俺の正妻なんだろう? 夫の横に妻がいたって、何もおかしくはないさ」
「それは……あくまで冗談でしたので」
フレアは困惑している様子だ。彼女にしては歯切れが悪い。
また、腕を組んだり離したりして、落ち着かなかった。
「いいや、俺は本気と受け取ったね。食事も大いに楽しませてくれ。もっともっと料理がおいしくなるように」
そう言われてから数秒ほど、沈黙が続いた。職務には忠実であろうこのメイド長が、沈思黙考に励んでいるのだった。
「では、僭越ながら、座らせていただきます」
「よろしい」
キタローはフレアの決断に満足した。
だが、まだ十全ではない。
「アルマ、君も座ってくれ」
フレアよりもさらに遠いところに控えるアルマへ呼びかけた。
「いえ、私は、ご主人様に陰からご奉仕を……」
「いいんだよ。必要な時は立って動いてもらう」
立って動くってどことなくいやらしいな、とキタローはしょうもないことを思った。
「アルマもなんですね」
フレアの声音にトゲがあった。
「嫉妬かな?」
「違います」
違わないだろうと思いつつ、キタローの目線は再度アルマに向けられる。
「大勢で食べた方がいいんだ。俺だって心細いところがある。何せこの高級な雰囲気に慣れていない。いくら自分の好き勝手に振る舞っていいと念じていても、どうにも落ち着かない。庶民の貧乏性ってやつだな」
キタローは自分の腹を叩いた。
「というわけで、アルマも落ち着かない俺を落ち着かせる意味で座って欲しい」
「アルマ、そういうことだから」
フレアからも援護射撃があった。メイド長としての威厳に満ちた声だった。
「ご主人様の、ご命令ということでしたら……」
アルマはようやく座った。
まだ心理的な壁があるな、とキタローは推測する。
ご厚意などではなくご命令というからには、自分の意志には反しているということだろう。
とはいえ、ここで「イヤならいいんだ」と跳ね返ってしまえば、それまでである。
せっかくにも楽しい食事になるのだ。ゆったりと話なりともしながら、アルマの人となりを解き明かしていきたかった。




