08
夢を見た。
私は、少しばかり浮かれていた。
4つの脚で、飛び跳ねるように森の中を駆け抜ける。あいつのにおいがする。
いつもの水場の近く。見覚えのある蒼い目の少女が私の姿を確認する。少女は私に気付いて、あの花が綻ぶような笑みを向けてくる。私は少女のこの笑顔が気に入っていた。一人と一匹。森の中で戯れながら歩く。そうだ、今は北の方の草原の花が見頃なのだ。少女の瞳によく似た、綺麗な蒼い花。名前など知らぬが、この少女は気に入ってくれるだろうか。
瞬きをすると、少女は少しずつ成長する。一度、二度、三度。少女は妙齢の女性になっていた。美しい女に成長した少女は、あの綺麗な笑顔を浮かべて、とても嬉しそうに何かを語る。成長していく彼女に比べて、私の視線の高さは全く変わらない。四度目の瞬きで、彼女のお腹が大きくなっているのに気がつく。ああ、結婚して子供を授かったのだ。幸せそうに微笑む姿に、私の心も形容しがたいあたたかな感情で満たされるのを感じる。大きなお腹を撫でる彼女は、なんだかいつもと違う顔になっていた。彼女はふといたずらっ子のような笑顔をこちらに向けて、私の前脚を掴む。なんだ、ときょとんとしていると、彼女の大きなお腹に当てる。なんだろう、とじっとしていると、手の内に小さな振動。う、動いた!びっくりして彼女を見上げると、ふふふ、と照れたように笑った。お腹に視線を戻して、意識を集中させれば鼓動の音。新しい命が、ここに宿っているのか。家族は知らぬが、女の表情を見ていると、それはとても…いいもののように思えた。
また、瞬きを一つ。
女は赤子を抱いて、またここに来た。子供が産まれたらしい。誇らしそうに私を見て、赤子を見せてくる。女の髪は綺麗な黒髪だったが、赤子は茶色の髪をしていた。今は静かに眠っているが、目を開けたら彼女と同じ蒼い目なのだろうか。そうだといい。とても素敵だ。
本当に、幸せそうに笑う。大輪の花のような笑顔。あの大きな蒼い目を細めて、彼女は赤子をあやす。羨ましいと思って、しかしそう思った自分にひどく動揺した。
もう一度、瞬き。女はどうやら今日は一人らしい。籠を持って、何をするのかと思えば、足下の花を摘み始めた。綺麗な蒼い、彼女の瞳によく似た花。彼女は私の教えたこの花がお気に入りらしい。
いつものように、一人と一匹、喉の渇きを癒そうと、あの出会った川へいこうか。平穏な日々は、いつまでも続いていく。
そう思っていたが、今日はいつもと違った。
川辺には、見たことの無い男の姿があった。
鎧に身を包み、腰に剣を下げた男。どうやら水を飲んでいたらしい男は、こちらを見て、はっと驚いた顔をする。しかし驚愕の顔を見せたのは一瞬で、すぐに険しい顔で腰の剣を抜く。横にいた女が何事か叫びながら私の前に立ちふさがる。男は構わず何事か喚き、彼女の肩を掴んで横に突き飛ばした。剣を振り上げ、私の身体に向かって振り下ろす。後ろに避けようとしたが、私が動く前に彼女が私を突き飛ばす。
振り下ろされた剣は、彼女の肩から腰にかけて、大きな傷を作った。
血を流して倒れ込む彼女に、頭が真っ白になる。何が起こったのか理解する前に身体が動いた。激しい怒りと、憎しみ。呆然と女を見下ろす男に飛びかかり、剥き出しの首元にその鋭い牙を突き立て、その皮膚を破り、肉を裂き、骨を砕いた。男は断末魔の悲鳴を上げ、剣を振り回し、私を振りほどこうとする。男の息の根が完全に止まるまで、顎の力を緩めなかった。
やがて動かなくなった男の首からやっと牙を抜いて、うつぶせになったまま動かぬ女の下に駆け寄る。まだ息がある、助かるかもしれない。村まではそう遠くない。まだ小さな私の力では時間がかかるかもしれないが、引っ張っていけば、なんとかなる。
女は服を引っ張る私の方を見て、ふっと笑う。こんなときまで綺麗に笑う。小さく何か呟いて、力つきたように目を閉じてしまった。
やめてくれ。頼むから、諦めないでくれ。あの昼間の空のような蒼い目をまた見せてくれ。必死に言葉をかけても種族の違う彼女には通じないと解っている、しかし止められなかった。お願いだ、目を開けてくれ。
彼女はふう、と最期の息を吐き出して、事切れた。
瞬きをする。
私は、高い丘の上から小さな村を見ていた。茶色い髪の、蒼い目の少女が駆け回っている。どうやら蝶を追いかけ回しているらしい。そのとき、石につまずいたのか、ばったり転んでしまった。思わず身体が動く。しかしすぐ後から父親らしき男がとんできて、少女を助け起こす。がみがみとしかる父親に、しゅんとした顔の少女。でもひとしきり叱られた後、手をつないで家に帰る少女は、柔らかく笑っていた。その顔に母親の面影を重ねて、私は…
また、瞬きをする。瞬きをするたび、季節が移り変わっていくようだった。
少女が大人になって、子供を産んで、おばあさんになって、そしてまたその子供が大きくなって。魔獣である私にとって、人間の一生はあまりに短いものだった。彼女の子供の子供、そのまた子供。彼女の子孫の、その生を見守り続けた。
陽のあたる丘で過ごすうち、身体の色は少しずつ抜けていった。私は彼女の最期の子孫が息を引き取るのを見届けて、丘から降りていった。