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05

 一刻ほど、経っただろうか。

 男のひゅうひゅうと苦しげに繰り返されていた呼吸は、落ち着いてきたように思う。

 死んでしまったんじゃないか、と不安になって身体に耳をくっつければ、確かに心臓が鼓動を打っているのが聞こえた。鎧に包まれた巨躯をどうにかこうにかひっくり返し、仰向けにする。衝撃でぐ、と男の口から声が漏れたのに心の中で謝罪した。鎧はきっと脱がせた方がいいに違いないと思ったのだが、一体どういう作りになっているのか、こういう西洋の甲冑の類は未だかつて見た事が無いので脱がせ方が皆目見当もつかない。日本の戦国武将の鎧だったら、ドラマで見た事があるからなんとか分かるのに。留め金でもあるのではないか、と手を這わすと、脇の下、脇腹の辺りに突起が並んでいるのに気付く。ぐいぐい押しても外れないからただの装飾かと思ったのだが、そうこうしているとばちん、と音がして外れた。どうやら固かっただけのようだ。残りの留め金も外して、肩の上にあるベルトを外せば、鎧の胴の部分が外れる。思っていたより細身の身体がのぞいた。刺し貫かれた胸部の傷はまだ塞がってはいないようだったが、出血は完全に止まっているように見える。身体に触れると体温が凄く高い。

 自分の左手を見ると、傷は既に塞がって、引き攣れたようになっていた。ああ、なんていうか、本当に人間とかけ離れてしまったのだなあ…。

 ずっと横で我関せず、と言った風にそっぽを向いていたシロが私の左手を見下ろし、眉間のあたりにしわを寄せた。

————教会で祝福された剣だったのだろう。本来ならば痕すら残らぬものを。

 穢らわしいものでも見るような視線を近くに転がっている剣に向ける。おお、なるほどこれが聖剣というやつか。もしや、これで斬りつけられると我々は死んでしまうのだろうか。

————心臓を突かれれば修復が出来ない。そうでなくても治癒にも時間がかかる。

 ふん、と鼻を鳴らして剣を足で蹴っ飛ばした。からん、と音がして遠くに転がる剣を目で追って、その剣で刺された男を見下ろす。

「この人はなんで刺されたの?」

 私には彼らの言葉がわからなかったが、シロはきっと分かっていた。しかしシロはそっぽを向いてしまう。

————さあな。どうでもいい。

 さっきからとんでもなく機嫌が悪い。イライラとしている風を隠しもせず、血まみれの男を見下ろしながらぐるるる、と獰猛なうなり声を上げている。

「ごめん」

————謝罪には気持ちが伴わなければ何の意味もなさぬのだぞ。

 ……気持ちは込めていると思うが。男を助けた事に対する謝罪の気持ちがこもっていない事をシロは見抜いてそう言ったのかもしれない。こちらを見ない獣の首に抱きついて、その毛に顔を埋める。

「シロは私を助けてくれた。私も誰かを助けたいと思った」

 それはいけないことなのだろうか。

 シロは結局何も言わなかったが、獣のくせにまた人間みたいに嘆息した。


 ここは、血の臭いが充満している。埋葬してやりたいが、死体に触れるというのは自分の中の本能的な恐怖に触れる行為だった。腕を斬り落とされたもの、兜が真っ二つになっているもの。暗くても夜目がきくせいではっきりと見えてしまい、それ以上確認する気になれず、すぐに目をそらした。

 あまりここに長居したくない。そう言うとシロも同意見だったのか、私を背中に乗せて、近くの水場の近くまで男を引きずっていってくれた。しかし、なんというか、酷くぞんざいな扱いである。男の右腕を咥えて(しかもよく見たら若干血がにじんでいた)ずるずると引きずるのである。背中に乗せてやれと頼んでみたのだが完全に無視された。木陰に男を放り投げて、我関せずと別の木の下に身を横たえてしまう。よくよく見れば自分は大木の木陰に横たわっているが、男は葉の少ない低木の木陰である。あれでは起き上がったら低木の茂みに顔を突っ込んでしまうのではなかろうか。ま、まあ、木陰においてやっただけでもよしとしよう……。

 ふかふかしたシロのお腹の毛に顔を埋めて、おつかれさま、となでなでする。そういえばあとで撫でてやる!とか言っていたのを思い出して、両手で更にもふもふもふと撫で回したのだが、やめろ、と一喝されたのですぐに止めた。

 男の方を見ると、木に身を預けたまま死んだようにぴくりとも動かない。大丈夫だろうか、と不安に思って近寄ろうかと思ったがシロに止められる。甲冑も胴の部分を外しただけで、結局顔面も兜に包まれたままだ。呼吸は苦しくないだろうか。

————いいか、優、奴は聖騎士だ。聖騎士は魔物を狩る。目が覚めた後に襲われて殺されても文句は言えぬのだぞ!

「でも助けたからには…」

————うるさい!こちらにはこちらの道理がある!異世界人がわめくな!

「なによ!シロちゃんの馬鹿!頑固者!」

————頑固者はどちらだ!それにシロちゃんはやめろと言っただろう!子供の形であやつから一人で逃げられると思っているのか愚か者!!

「誰が子供だ!そこになおれ!これでも成人してるわ!!」

————ふん、小さすぎて幼子かと見まごうたわ!

「なんだと!!日本じゃあ平均身長より高めなんだぞ!!」

 ぎゃあぎゃあ押し問答をしている(端から見たら一方的に私が怒鳴っているのだろう)と、微かなうなり声が聞こえたような気がした。シロの鋭い視線がすぐ近くの低木へと向けられる。ぴん、と一気に張りつめる空気。男が身じろぎして、微かに身を起こした。目を覚ましたのか!

『な…』

 掠れた、小さな声。動揺は一瞬だった。はっと息を吸い込み腰の辺りに手をやる。剣が無い事に気がつき、ちっと小さく舌打ちをする。先ほどの場所に剣は置いてきたままだ。その姿を見て、シロがすう、と気配を鋭くしていくのに気がついた。呼吸が苦しくなる。先ほど兵士に囲まれたときと空気が似ている…これが殺気とか言うものなのだろうか。

「シロ」

 小さく名前を呼ぶ。びくりと身体を震わせて、男がこちらを見た。

『…お前、何者だ』

 絞り出すような、苦しげな声。無理して喋らなくていいのに。

 相変わらず言葉は分からぬままだ。魔物の血に染まっていても、そういうところは都合良く話が進んでくれないらしい。黙ったまま視線を返すと、兜の向こう側で僅かに目を細めたのが見える。こちらが襲いかかってこないのを見て、どうやら自分の状況に意識が向いたらしい。鎧が外されており、下衣が血みどろになっているのを目の端で確認したようだ。ぐわっ、と殺気が膨張する。ビリビリした空気に驚いて、思わずシロの毛にしがみつく。

『おのれ…、おのれ、おのれ!カスケード……!』

 掠れた声のまま、何か呟いている。押さえ込んだ感情があふれてくるような、ひどく揺れた声音。ぎりぎり、と歯ぎしりをする。しかし自分の胸に手をやり、傷口が塞がっている事に気がついたらしい。愕然としたように刺された辺りをまさぐる。そうしてこちらにゆっくりと視線を戻した。兜の中で、目を見開いているのが見える。

『なにを…』

 なにをした。

 すう、とシロが目を細める。

————血をやった。見物だな、聖騎士が魔物の血で生きながらえるなど。

 口元を歪ませる魔獣を見て、呆然と自身の身体に触れる。

『なんて…ことを…』

 ぼそぼそと呟く。不安になって見ていると、男はがばっと顔を上げた。

『なんてことをしてくれたのだ!!!』

 怒りと、苦しみと、絶望と。言葉がわからなくとも、顔が見えなくとも、目が雄弁に感情を語る。先ほどの比ではない殺気に身をすくませる。

 男はがしゃん、と兜を脱ぎ捨てる。見事な金髪と思っていたよりずっとずっと若い男の顔が現れた。

『貴様、貴様だけは許さぬ!』

 怒りをあらわにする男。感謝されたくて助けたのではない。助けたいから、助けた。それが自分にとって正しい事であると、そうあらねばならぬと、そう思ったから。しかし男の顔を見て、心が揺らぐのを感じる。

————血をやったのはこやつだ。私ではない。恨むのならこやつを恨め。

 シロが激昂してこちらに這うように向かってくる男に言う。男の動きが止まる。意味が分からぬと言った風で、男がこちらを見た。思わず縮こまってしまう。訳が分からぬまま、「ごめんなさい」と謝罪の言葉が口をつく。先ほど気持ちのこもっていない謝罪など意味が無い、と言われたばかりなのに、心の中でごめんなさい、ごめんなさい、と謝罪を繰り返してしまう。何に対して謝っているのか、何を赦されたいのか。それは、彼を助けた事か。正しい事をしたという意志と、それに対する謝罪と。心の内に矛盾を抱え込んで、しかし混乱する脳はその矛盾にすら気付かない。しがみつく私をシロが一瞥する。だから反対したのだ、と言われている気がした。

『どういう、ことだ』

 目を見開いてこちらを見る顔には、驚愕の表情が浮かんでいる。何を言われているのか分からず、男から目を離さぬままシロの毛を引っ張る。シロは男に視線を戻し、滔々と語る。

————死にかけたこやつに私の血を注いで命をつないだ。こやつがお前にそれと同じ事をしたのだ。間接的ではあるが、お前の身体に私の血が流れたという事になる。意思の疎通が出来ているだろう。

『……』

 男は無言になって、暫くじっとしていたが、結局そのまま何も言わず、その場に座り込んで、顔を覆ってしまった。一瞬、泣いているのかと思った。

『なぜ、血を注いだ』

 呟くような言葉。誰に向けた言葉なのか、それすら分からず黙っていると、私の方に視線を向ける。泣いてはいなかったけれど、泣きそうな顔だと思った。月明かりの下、血がべっとりとこびりついたその顔は、少し前の自分を思わせた。

 男は黙ったままの私を見ていたが、気力が尽きた、というようにその場で倒れ込んでしまう。

「あっ…」

 びっくりして駆け寄って見ると、真っ青な顔で目をつぶっている男の顔が見えた。どうやら意識を失ってしまったらしい。のそのそとシロがこちらの方に歩いてくる。

————後悔しているか。

 見ると、想像より静かな眼差しと目が合った。

 後悔はしていない。後悔はしていないが、素直に助かってよかったとそう喜べる気にもならなかった。

「ねえ、シロはどうして私を助けたの」

 過去に一度聞いて、答えが得られなかった問いをもう一度投げかける。しかし獣はその問いに対する答えをまたくれなかった。

————もうじき日が昇る。陰に入って身を休めろ。

 すっと目を伏せて、男の腕を咥える。今度は血がにじまぬ程度に加減しているようだった。私もまた血を流してしまったせいで、気を向けると少しフラフラしているのに気付いた。一緒に大木の木陰に入り、横たわる。どうやらシロは男をもう危険ではないと判断したらしい、と思ったのだが、男の腹を顎の下に敷いて、身動きを封じている。険しい男の顔を見て少し哀れだと思った。

「シロ、ごめんね」

 迷惑をかけた事と、手間をかけさせてしまった事。魔獣として長く生きてきたシロは、きっと酷い目に遭わされた事だってあるだろう。それを私の勝手な…エゴで、不快な思いをさせてしまったに違いない。

————もう、いい。

 シロは優しい。お腹に頬を乗せて、毛並みを撫でる。目を瞑れば、すぐさま睡魔が忍び寄ってきた。ありがとう、と夢現で呟いた声は果たしてシロに届いただろうか。喉を鳴らす音が聞こえて、しかし直後に意識を手放してしまった。 


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