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04

 目が覚めても、辺りは真っ暗なままだった。

 体中に走っていた痛みはだいぶ軽くなっている。結構長い時間眠っていたのだろうか…数時間どころか、もしかしたら丸一日以上寝ていたのかもしれない。

 もふもふの毛皮は私に寄り添ったままで、しかし何の言葉も発さず、規則的に身体を上下させている。眠っているのだろうか。

 洞窟の中からちらりと外を見ると、以前は気付かなかったが、月が2つ見えた。大きい方の月は赤みがかっていて、小さい方の月は黄色い。なんていうか、全く違う世界に来てしまったのだと実感する。衛星の数まで違うのか…もしかしたら異世界というよりも別の惑星、というのに近いのかもしれない。でも魔獣が生息しているのだからそれも怪しい限りである。

 あーあ、これからどうしよう。

 何かしら人生に目的があるわけでもないし、このまま無為に森で時間を過ごし、老いて死んでいくのか。そうなるともしや原始人みたいな生活スタイルを送る事になるのだろうか。獣…シロちゃんの話だと、人間にあまり関わらない方がいいらしい。「狩られる」とかなんとか言っていたけど、つまりは魔物だとバレたら問答無用で殺されるってことだろうか。納得がいかない。納得がいかないけどきっと私にはどうしようもないことなのだろう。

 結局この世界はどのような世界なのか。取り敢えず魔獣と人間は居るらしいが、それくらいしかわからない。どの程度文化は進んでいるのか。私が今まで生活していた日本に比べてどの程度のものなのだろう。車はあるのだろうか。飛行機が飛んでいたり、地面がアスファルトで出来ていたり、高層ビルのジャングルがあったりするのだろうか。


 じっとしていても、思考に全く進展はない。それはそうだ、考えたって答えが分かるわけじゃないんだから。数式みたいに、ここがこうならこうである、ってはっきりわかればいいのに。

 シロが起きたら質問攻めにする事になりそうだ。

 痛む身体を起こして、よいしょ、よいしょ、とちょっとずつ這うようにして移動する。洞窟の出口まできて、ちょうど出口になっている部分の横にあった岩に手をかけて立ち上がる。おそらく寝たきりになっていたのはほんの数日の間だったのだろうが、ひどく久しぶりに立ち上がった気がした。膝ががくがくと震えているのを一発手でぶん殴って押さえつける。歩けるだろうか、と不安に思ったが杞憂だったようで、多少ふらつきはしたがちゃんと足は動いた。初めはずきずきと痛んでいた身体も、月明かりの下ゆっくり歩いていると痛みが治まってくるように思う。

 フラフラ洞窟の前でうろついていると、ガサガサ、と草の根をかき分ける音が聞こえた。

 獣だろうか。安全なのか?

 ふっと後ろを振り向いてシロの方を確認すると、いつから起きていたのか、視線を洞窟の外の一点に集中させて、じっとしている。

「シロちゃん?」

 小声でそう呼ぶと、何やら嫌そうな表情で一瞬こちらを見たが、すぐに険しい顔で視線を戻した。

————人間のにおいがする。

 吐き捨てるような声。ぴくりと小さな耳を動かす。ガサガサ、という音は確実にこちらに近付いているようだった。

————優、しかも一人ではないようだ。複数で、おそらく騎士である可能性が高い。これは魔物狩りだ。ここにいるのはまずい、移動する。

 音を立てずに起き上がって、こちらに背を向ける。乗れ、という言葉に頷いて、その大きな背に跨がり、ふかふかの毛皮にしがみついた。しっかり捕まっていろ、と言われて毛を掴み直す前に、身体がぐんと後ろに引っ張られる感覚。慌ててそのまま身体を倒して、全身でしがみついた。そうでもしないと一瞬で落っことされそうだった。

 速い、速い、速い!!

 ぐんぐん周りの景色が後ろに流れていく。すごい、まるでバイクに乗ってるみたいだ!しかもこんなに速いのに振動が殆どない。流れるように走る。すごい!すごいね!と誉め称えたいが(しかも残念ながら語彙力が貧困である!)、舌を噛みそうで口に出来ない。だが意識が繋がっているらしいから言いたい事が伝わったのか、全身から誇らし気な感情が立ち上る。可愛いな!このやろう!!あとで撫でてあげる!

 しかし、シロは何かに気付いたのか、突然立ち止まった。ぐるるるる、と獰猛なうなり声を上げる。しがみついている毛がぶわりと逆立った。

「シロ…?」

『かかったな』

 耳慣れない言葉。

 ガサガサ、と草をかき分ける音。木々の後ろに隠れていたのか、ぞろぞろと鎧を身にまとった人間達が現れる。1、2、3……全部でおそらく10人程度か。無骨な剣を腰に下げ、皆一様にこちらを睨みつけている。兜までかぶっているから見分けがつかないが、二人だけマントの色が違うし、鎧も凝っているように見える。真ん中に立って指示をしているのを見ると隊長格のようだ。呆然としている間にどうやら囲まれてしまったらしい。

『さて、どうやら報告を受けていたよりも高位の獣であるようだ。しかも子供までつれているとはな。人間は殺さぬよう気をつけろ。心してかかれ!』

 真ん中に立っている、多分最初に何か言った男が怒号を上げる。

 頭の後ろ側で危険信号が発せられている。しかし足がすくんで動けない。ガクガク震えてシロの背中にしがみついているのがやっとである。

 うおおおおおお、と周囲の兵士が大声を上げる。命の危機である。

 が、

 何の冗談か、目の前にいた————おそらく隊長格である男が、もう一人の声を上げていた隊長格の男を、背中から剣で貫いたのである。

『な、』

 男が言葉を発する前に、ずるりと身体から剣を引き抜く。男ががくりと膝をついて、がはっ、と咳とともにぼとぼと口から血を吐き出した。甲冑の隙間からどんどんと血が流れ、地面に吸い込まれていく。まるで時間が止まってしまったかのような、空気。

『貴様ぁ!!!』

 私たちの後ろにいた兵士が、血まみれの剣を引っさげた裏切り者に切りかかる。しかし、その剣が男に届く前に、他の兵士が腕ごと切り落とした。剣が落ちて、がしゃんと石にぶつかる音が響く。呆然とするその兵士をまた他の兵士が斬り殺した。同じように、自分の周りで兵士が兵士に切りかかっている。不意を突かれたせいなのか、片方が一方的に斬られている。

 ほんの数秒の出来事だったと思う。兵士は半分に減り、目の前で背中からぶっすり刺された男は、ひゅうひゅうと息をしながら、必死に立ち上がろうとしているようだった。

『アーノルド、無理しないでいいんだよ』

 くすくす、と嗤う声。裏切り者が斬った男に話しかける。相変わらず何を言っているのか分からないが、思っていたよりもずっとずっと若い声だった。

『肺を貫いたから。長くは生きられ無いんじゃないかなあ』

 妙に間延びした話し方だと思った。この場にそぐわない、のんびりとした喋り方。ふふふ、とまた嗤う。

『き、さま、どういうつもり、だ』

 ごほ、とまた大量の血液を吐きながら、男がしぼりだすように声を出す。

『だって邪魔だったんだもの。君みたいな殿下の私兵はさ。戦力は少ない方がいいからね。君が死んで彼が少しでも心を乱してくれるといいんだけど…まあそれはどっちでもいいや』

 そう楽しそうに語る。刺された方の男は自分の剣を支えにして立ち上がろうとしていたが、自分の血で滑ったのか、前に倒れ込んでしまった。ぎり、と歯ぎしりが聞こえる。この状況に全く理解が及ばず、ぽかんとした顔で凝視していると、その男の視線がこちらに向いた。

『ああ、君高位の魔獣だろう。こんな少人数じゃこっちの犠牲が多くなっちゃうし、別にいいよ。殺さないでいてあげる。まあ僕の目的は果たされたわけだし、最初から君には用は無いんでね』

 シロはすっと目を細めて、男を見つめている。背中が強ばったままで、男が何を言ったのかは知らないが、未だ臨戦態勢を解いていないようだった。

『君も、』

 今度はこちらに視線を向ける。

『今ここでこの魔獣を殺されたら困るんだろう?』

「……」

 何を言われたのかは分からない。語尾が上がっている事から、何かを問われたらしい、という事は分かるのだが。無言で見つめていると、『まあいいか』と何か呟いて、またシロに視線を戻した。

『この森に配置してる兵は全て退却するから。本当だよ、何なら僕はここに剣を置いていってもいい。こいつは魔獣と相打ちになったってことにしとくから。こんな辺鄙な土地に調査に来る人間なんていないから問題ないよ。君らだって都合がいいんじゃないかな?』

 そう何事か言って、右手に下げていた血まみれの剣を放った。シロは結局終始無言で、男の一挙一動を見逃さぬという風に視線を外す事は無かった。

『さて、みんな、帰ろうか』

 そんなシロからあっさりと視線を外し、男は周りに立っていた部下らしき兵士達に短く声をかける。すると、兵士達は皆一様に剣を鞘に納め、男のあとに付き従う。

 完全にその姿が見えなくなっても、シロは張りつめた空気のままだった。


 人が殺されるところなど、初めて見た。

 無縁な世界だと思っていた。こういうものは、テレビの向こう側の世界だと。シロの背中から降りて、周囲に目を向ける。血まみれの死体。むせ返るような血のにおい。————死の、におい。

 う、と嘔吐く。吐き気をこらえて、その場にしゃがみ込んだ。ここから離れたい。こんな場所にいたくない。生理的な涙が頬を伝う。しかしそうして、自分が生きているのだと激しく実感した。おそらく数分前まで、私は死ぬ側の人間だった。くすくす嗤った男の目を思い出す。兜の隙間から覗いた、感情の読み取れない眼差し。今になって、身体が震えるのを抑えられない。

 その時、咳き込むような音を耳が拾う。

 視線を向ければ、最初にあいつに刺された男がいる。まだ、息があるようだった。注意を向けて耳を澄ませば、微かなひゅう、ひゅうという呼吸音がする。

 殆ど這うように近寄って、肩に触れると、ぴくり、と反応があった。

「シロちゃん」

 私が何を考えたのか察したらしいシロが、険しい顔を向ける。

「助けられるなら、助けたい」

————面倒ごとは御免だ。

「シロ!」

————そもそも魔獣の血は人間にはなじまぬ。無駄な足搔きだ。

「じゃあ私はなんで」

————お前はこの世界の人間では無いだろう。いいから諦めろというのだ、優!

 嫌だ、だってこの人は生きているのに。

「じゃあ、私の血なら」

 人間の血と、魔物の血が混ざり合った私の血なら。

 ぴく、とシロが身じろぐ。気配を感じてそちらを見れば、ひどく怒った様子のシロと目が合った。

「助けられる可能性があるなら助けたい」

 ダメだと言われても引く気は無い。このままでは彼は死ぬだろう。でももしかしたら助かるかもしれない。あの男が放った剣を拾い、自分の掌に乗せる。ずっしりと重い。命を奪うものの重さ。

 えい、と気合いを入れて刃を握り込む、ずきんと痛みが走って、左手から血が流れた。ずきずきと痛む手を倒れている男の背中の傷の上にかざす。ぼと、ぼと、と血が男の傷に吸い込まれていく。

 地面を踏む足音がする。シロはその青い目に苛立ちを乗せながら、こちら側に歩いてきた。ちらりと目が合ったが、私の顔を見てあきれたように息をつく。頑固者だと罵られようとこれだけは譲れないと思った。沢山の死を目の当たりにしてしまったからだろうか。もう目の前で人が死んでいくのは見たくないと思った。助けたいと思った。それではいけないのか。

 私の心の内を読み取ったのか、獣は結局何も言わず、私のすぐ横に身を置く。

 あんなに嫌がっていたのに申し訳ないな、と思ってこつん、とシロの肩に頭をつける。


 ぎゅっと握った拳からは、血が止めどなく流れていた。


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