忘れていた聖バレンタイン
由貴音ちゃんは嬉しそうな顔で僕と海美のところに来た。教室の入り口で騒ぐ。
「海美ちゃん。私、小宮山君と付き合えることになったよ」
海美は目を丸くした。
「あの歩くローマの彫刻とか?」
「ミケランジェロって感じだよね」
僕は疑問に思った。
「ひょっとして、また出島の知識が出回っていないか?」
海美は渋い顔をした。
「私たち以外に出島の知識が出回っているのは困ったことだ」
「どうしてこまったことなの?」
由貴音ちゃんはのんびり、手巻きずしを握っている。
「この前からおコメさんの力が役に立つそうだから握っているの」
「それは助かるが」
「小宮山君がね、教えてくれたんです。僕はミケランジェロのように美しいって」
「小宮山君の知識か」
小宮山君に会って話す必要がある。彼はもしかしたら平賀限界を知っているかもしれない。
上級生の教室に上がる道すがら僕は律男くんに会った。
「ども。律男だ。由貴音に彼氏が出来たぞ。どうしてくれる」
「僕の所為か。僕の所為なのか」
「あんたの所為だよ。俺が仲人をするはずだったのに」
「仲人、なるほど。妹は可愛いもんな」
「妹なんて可愛くねえよ」
照れる律男くん。
「由貴音ちゃんは可愛いな」
「狙うなよ。四股。お前にだけは渡さん」
「誰が四股だ。誰がそんなことを」
「私です。皓人」
綱子ちゃんが校長の銅像上で腕組みをして立っていた。
「私が律男にすべてを話しました。危険な男がいると」
「誰が危険な男だよ」
「あなたしかいませんが!」
「誰が忠告しているんだ!」
僕は息を切らした。
「四股だなんて心外な」
「妹を入れて六股ですか」
「僕を人でなしにしたいのか」
「変態狼です」
律ちゃんは変な顔で笑った。
「お前、妹がいるのか? どんな妹だ?」
「こんな妹だけど」
僕は蒸気携帯で二人の映像を見せた。
「双子か。可愛いな。どっちも美人になりそうだ」
「うちの親父要素が出てこなければな」
「お前の親父はむさいのか?」
「サムライのようなむささだ」
「いいな。侍は足が速かったそうじゃないか。俺は侍走法でここまで勝ってきた」
「なんと。陸上部のエースが侍走法で!」
「昔の人はなんだかんだ言っていい物をそろえていてくれるんだ。案外技術と言うものも、昔の方が凄かったりするのかもしれないと俺は思うぞ。海外の技術など、くそくらえだ」
話が盛り上がった。
「なら君は小宮山君のことを」
「好きじゃないね。あんなやつ。厄介払いをしに行ったら、命助ける羽目になったんだ」
「イカルガ好きなんだ。律男君。じゃあミケランジェロも」
「嫌いだよ。あんなやつ。お前だって嫌いだ。眼が青い」
「これは生まれつきだからしょうがないし、ミケランジェロも生まれつきだと思うぞ」
律男は黒髪をなびかせた。
「ミケランジェロは作られた美だ。俺の鋼の筋肉こそが美しい」
「律男って頭の中まで筋肉か?」
綱子ちゃんが僕を指さす。
「皓人、大変なことを忘れていました」
「何を忘れていたんだ、綱子ちゃん」
「そのことについては真里菜からお話があるでしょう」
「どんなお話だよ。怖くなってきた」
「怖くなってください。私たちは二月十四日を忘れていたんです」
律男くんが変な顔をする。
「つまりどういうことだ。佐伯」
そこに真里菜ちゃんが走ってきた。
「先輩、間に合いましたか。私は来る日も来る日も明日の四月十四日がくるのを待っていたのですっ。あれから二か月です」
「お前たち、入学式も終わった四月の十四日に何をするつもりだ!」
「私たちは空美さんを助けるために戦いました」
「ああ、そうだ」
「その際にあの大事なイベントを忘れてしまったのです」
「あの大事なイベントとは!」
「そう。まぎれもありません! バレンタインデーですっ」
「ちょっと待て、イカルガにはそんな風習ない。存在しない。貧しい人の靴下に金貨を入れて歩く風習なんて」
「ところがです。去年の二月から、バレンタインデーはすでに始まっていたそうなんです」
「なんだと」
「限界さんが空美さん救出作戦を狂わせようと輸入していたんです」
「あの野郎」
何をたくらんで。
「ところが、私たちはそれに気づかなかった!! それで空美さんは救われたのですっ」
それが本当なら。
「なんだか悲しくなってきたよ」
「解っていただけましたかっ?」
「わかるも何も、靴下に金貨を入れる風習だろう? 聖バレンタイン。どうして空美を助けられなくなるんだ」
真里菜ちゃんは首を振った。
「違います。聖バレンタインデーはイカルガでは、好きな男性にチョコレートを食べさせる日として定着してしまったのですっ」
「なんだと、それは本当か。チョコでないと駄目なのか。うどんにはならないのか?」
「なりません。限界さんの好きな食べ物がチョコレートだったらしくその路線で、企画を立ち上げてしまったそうなんですっ」
「それは僕なんか気がつかないな」
「でしょう。二月に好きな男性に告白してチョコレートをプレゼントする日。素敵ですよね」
「私的だよ。限界は一体何を考えていたんだ」
「あの人もあれであれですから」
「そうなんだろうけど、あんな恐ろしい奴、なかなかいないのに。何を可愛らしいこと計画していたんだよ」
意外過ぎてなんと言っていいモノか。
「全然、可愛らしくないですよ。私たちが各自チョコレートを持って先輩に告白していたらどうなっていたと思いますか?」
「どうなっていたんだ」
なんだか面倒くさくなる僕。