知識毒
「嘘はつかないよ。嘘をついても仕方がない。僕は嘘をつくことはもうやめたんだ。君には」
「嘘をついていたのですか?」
「嘘をつきたくなったんだ。君を守るために」
「嘘で守られた世界ですか?」
「いけないかい?」
「赤雪姫の世界と変わりませんね。あの人は嘘つきです」
「優しい嘘か?」
「わかりません。ですが、赤雪姫は嘘つきです。みんなあの人が敵だと思っていました」
「確かにそうだが」
「損な人です」
「確かに」
「鏡の魔女は敵です。赤雪姫はどんな世界を滅ぼすのでしょう」
「わからないな。僕は何とも言えないよ」
「魔女に育てられたものは、魔女になる。この世界を滅ぼすものなら、私が赤雪姫を切り捨てます。たとえ空美でも私、覚悟は出来ています」
「君は空美と仲良くなるべきだ」
「それでも私はあの人を切れますよ」
「それでもいい。仲良くなってくれ。頼むから」
「あなたがそこまで言うなら仲良くなります」
綱子ちゃんの目の中には嵐があった。この前、限界と戦ってからだ。
僕は綱子ちゃんを抱きしめた。
「これ以上、壊れないでくれ」
「綱は壊れていますか」
「壊れてないよ」
僕は綱子ちゃんを抱きしめた。
そこに空美が通り掛かる。
「はっ。さては鯖折りゲームっスか?」
「そんなゲームはない!」
「良かったっス」
綱子ちゃんは空美を見つめた。
「空美。赤雪姫は嘘つきですか?」
「自分の都合のいい嘘はつかないよ。安心して」
「そうですか。ならばよいのですが」
空美は呟いた。
「綱子ちゃんは限界に影響を受けやすい性格をしているね。助けてあげないと駄目だよ」
「解っている」
綱子ちゃんはよろめいた。
「私の心配もするのですか、空美。なんていい人なんでしょう。それを私は、私の馬鹿、馬鹿。サウンドパックで殴られても仕方ありません」
「それは音しか出ていない!!」
空美は小さく笑った。
「今までにいなかったタイプだね。綱子ちゃん」
「お前もそこそこに特殊だよ」
「そうかな」
綱子ちゃんは微笑んだ。
「あなたは空色。晴れたように明るい人です。羨ましいです」
「そうかな。私は綱子ちゃんが羨ましいな。皓人は本当に好きな人じゃないと鯖折りにしないんだよ」
「皓人、鯖寿司は好きですか?」
「折ったんじゃない。抱きしめたんだよ」
僕は閉口した。
「とにかく。空美。七人妖精ってなんだ?」
「神様の使いだよ。どこの神様の使いか知らないけど、白雪は憧れていた」
「騙されていたってことはないか?」
「ないよ。あの人たちも可哀想な生い立ちだったからね。肉体を無くしたんだ。敵に騙されてね」
「敵って」
「落ちた神だよ。水神様が落ちたでしょう。あんな風に腐れ神に肉体を奪われたんだって」
そう言えば最大の疑問だ。
「僕らの祖先は」
「光と白雪姫だよ」
「光に肉はなかったんだろう?」
「なんかいろいろあったみたいだよ。大人の事情で話せないけど」
「どんな事情だよ!」
「肉体を借りたんじゃなかったかな」
赤雪姫が空美を殴った。というか、空美が空美を殴った。痛そうだ。赤雪姫は自身の顔面を抑えた。
「転生したのですわ。光は」
僕は沈黙した。
「生まれ変われたのか?」
「七人が合体して一人の男性になったのですわ」
「それはややこしい存在だったんだな」
「そうでもしないと、一つの魂になることもできないほど、あの人たちは疲弊していたのですわ」
「もう会えないのか?」
「一度きりです。会えたのは」
「それで鏡の魔女を恨んでいる」
「ええ。本気で愛した人たちでしたもの」
それで赤雪か。
「そういえばあなたはあの方に似ていましたわね。子孫だから当然ですが」
「似ているのか」
「とてもよく」
赤雪姫は少女のように笑った。
「ですが、鏡の魔女の長さに気を取られるようではまだまだ甘い。わたくし、鍛えて差し上げますわ」
「お手柔らかに」
愛する人を失った赤雪姫。どんな気持ちだったのだろう。
僕には七人も好きな人がいないが、その全員を失ったとしたら、悲しいだろう。
きっと悲しい。真っ赤に染まった白雪姫は清楚なお姫様ではなく、魔女に近い存在なのかもしれない。
世界を滅ぼす。愛した人と別れた姫。たくさんの子孫を作り、その血の中で溺れる白雪姫。
「あんたは世界を滅ぼすのか?」
「わかりませんわ。愛する者がいなくなれば、わたくしはまた暴れるのかもしれませんわね」
「暴れてもいい事なんてないぞ」
「そうですわね。もう潮時かもしれませんわね」
「消えるのか?」
「まさか。あなたたちを置いて消えることなどできませんわ」
赤雪姫は赤い唇を震わせた。かなり眠そうだ。
僕も眠い。この前限界の攻撃を受けてからずっと眠い。
矢尻の攻撃を受けてから。
本当に眠い。
「わたくし眠りますわ」
赤雪姫は目を閉じる。溺れていく。眠りに。
「赤雪姫はどこかでリンゴの毒を食らったのかもしれないっス」
いったいどこで。
「知識毒か」
毒々しい毒。
僕はあまりの眠さにあくびをした。
鏡の魔女は赤雪姫を追い詰めようとしている。
どうやって。不安だけ心の端にあった。