八十点
僕の脳みそは一時停止した。
「なぜに紳一郎さん?」
「やあ、私は小宮山君に頼まれて」
「小宮山君。何者なんだ」
「かつて私が助けた空手部のスターだよ。最高に強くて最高におっさん。私よりも見た目はおっさんだ。何せ赤ん坊の頃、おじいさんのような顔で生まれてきたらしい」
「逆行しているのか!」
なんて恐ろしい。老人の時はベイビィフェイスか。
「ここへは皓人だけでか? ダナ」
「遅れて空美も来ているはずなんだが」
「なら赤雪姫も」
「ああ。しかし赤雪姫は眠たいらしい」
「役には立たないのダナ?」
紳一郎さんは考え込む。
「役に立つかどうかは赤雪姫次第だけど」
「ところで君の背後の少女は」
「由貴音と言って……律ちゃんの妹……」
由貴音は顔色を変え、突然僕の喉首を掴んだ。
「ふはははは。ついに赤雪姫の子孫を捕まえた」
「由貴音ちゃん?」
僕は勢いよく咳き込んだ。
「捕まえた。捕まえた。白雪姫を捕まえた。子孫を捕まえた」
「由貴音ちゃん」
紳一郎さんが顔色を変えた。
「その子は乗っ取られている。その子の頭の中に鏡の魔女が住んでいるんダナ」
「由貴音ちゃんの中に魔女が。どうしてそんなことがわかる?」
「律男君に相談されたんダナ」
僕は黒鋼を振りかぶった。
「間の者だけを切る刀」
僕は回転した刃を由貴音ちゃんに埋める。
由貴音ちゃんの体の中から黒鋼を咥えた魔女が飛び出してきた。
「なかなかえげつない刀を持っているようだな。少年。私は鏡の魔女。赤雪姫を地獄に落とすためやってきたそんな輩だ。ふはははは。あの女は魔女たちの仇。許さぬ」
鏡の魔女は颯爽と一本杉の上に立った。
黒のロングドレスは地面を引きずるほどの長さだった。前向きになんということだ。
「美しい!」
鏡の魔女はハンと叫んだ。
「私が美しいのは当たり前だ。当然至極のことだ」
僕は感動する。なんて長さだ。
「本当にきれいだ。なんて綺麗さなんだ」
「お前、敵である私をなぜ褒める? 気持ち悪い。貴様は至極オカシイ!!」
「何を言う。君が綺麗だからだよ。本当に素晴らしいね。なんて美しさだ。うっとりする」
「そ、そんな」
よろめく鏡の魔女。
紳一郎さんは拍手した。
「さすが想定外だよ、皓人。君って奴は。なんかもう私の思考の範疇を超えているんダナ」
「そうか。僕は最高だ!」
自画自賛。完全に浮かれる僕。紳一郎さんに褒められることなんてめったにないから調子に乗る。
「ところでこの卵はなんなんだ」
「鏡の魔女の生まれ直しだ。由貴音君を使って違う魔女になろうとしている。生まれ変わりの儀式をここでするために君たちを待っていたんだろう」
「どうしてそんなことを。お前はそこにいる、それだけで美しいのに! 余計なことはするな!」
鏡の魔女はよろめいた。
「そ、そんな」
そこに赤雪姫が現れた。顔を真っ赤にして怒っている。
「空美キックですわ! とう!」
「なんだ。それは赤雪姫!! お前もどうかしたか! そこの小僧はなんなのだ」
動揺する鏡の魔女。赤雪姫は鼻を鳴らした。ふふん。
「空美キックに決まっているわ。何か腹が立つのですわ」
そこには間違いなく怒れる赤雪姫が立っていた。赤雪姫はそのままの表情で空美に入れ替わる。
「皓人。赤雪姫が怒っているっス。鏡の魔女は赤雪姫の大切な妖精を消した女っスよ!」
「それは本当か。鏡の魔女」
僕は静かに黒鋼を構えた。
鏡の魔女は刀をべっと吐き出した。空美は由貴音ちゃんを抱き上げた。
「何やっているっスか。皓人。敵に夢中になるなんて。信じられないっす!!」
「つまりどういうことだ? 僕には状況が読めないんだが」
空美がお姉さんらしく腕を組んだ。
「私が説明してあげるっス。皓人。律ちゃんは鏡の魔女のとりつかれた由貴音さんを助けるために紳一郎さんに依頼したんっス。魔女に律ちゃんが連れていかれた話は嘘。魔女にとりつかれたのは由貴音ちゃん方だった。律ちゃんは異変に気付いた。兄妹だから。すぐ分かったらしいっス。でも鏡の魔女はそれを打ち消したかった。そこで皓人を利用しようと思いついた。私が遅刻したのはその説明を電話で紳一郎さんに受けていたからっス」
「だが、僕が紳一郎さんに会ったらわかると思うんだが」
「もともと勅使河原君が話の大元っス。肝心なところは伝わってないんっスよ。白雪姫の一族だなんて鏡の魔女も最初は気付かなかったっス。だから、助けてって言った。由貴音ちゃんの優しく弱い心を利用したんっス。だけど、鏡の魔女はあなたが白雪姫の一族だと気がついた。だから計画を変更した。二人でつぶし合わせようとした。紳一郎さんと皓人を戦わせようとした。私の推理が確かなら小宮山君は架空の人物っス」
「小宮山君が架空なら由貴音ちゃんは……いったい何に恋をしたって言うんだ」
紳一郎さんは拍手した。
「八十点ダナ」
「紳一郎さん」
僕らは振り返る。
「小宮山君はいるよ。存在する。言っただろう、空手部のスターだって」
茂みの隅には渋そうな青年が倒れていた。