甦れ
「眠ってもらおうと思ってね。君か海美ちゃんに」
海美は必死に殺生刀を振りかざし、英雄の矢尻に刀を向ける。そして矢尻を叩き割った。
「大丈夫か、皓人!」
「さあ、最後の戦いは、皓人くんだけで挑むんだったっけ? そうだったよね」
「あんた、性格悪いよ。平賀限界」
「悪くて結構。僕は僕を楽しめているよ、皓人くん。あははは」
僕は黒鋼を杖にして立ちあがった。
「最後の敵はなんだ」
その時、黒い影が現れた。
長いツインテール。空色の衣装。空美が、そこに立っていた。
僕は言葉を失った。
「空美?」
空美はふわりと浮いた。千牙刀のレプリカを持っている。
「相手は空美君の霊体だよ。頑張ってね」
空美の霊体は僕らの前に突っ立っていた。
「空美」
「お姉ちゃん」
あの頃の空美がそこに立っていた。
「あれが空美ですか?」
綱子ちゃんはその美しさにため息を吐いた。
空美は叫んだ。
「予告するっス。私は今から満月狼を倒すっス」
海美が顔色を変えた。
「お姉ちゃん!」
そこに手を差し出す限界。
「手出し無用!」
限界は叫んだ。
「手出し無用だよ。空美ちゃんは強力な間の者にとりつかれている。果たして倒せるかな」
なんだと。
「お前もしかして」
「糸を編んだんだよ。糸を編んで仕上げたんだ。他に何も言うことがないだろう?」
限界は笑いながら姿を消した。
「なんて奴だ」
僕は眠気を堪えて立ち上がる。
「手伝いますか? 皓人」
綱子ちゃんが僕の脇を固め、海美が走る。
「手伝ったら、空美は帰ってこない。あいつが出した条件はそれだ」
僕は頭を振った。
この眠気を紛らわすには……。
「僕が真里菜ちゃんを数珠で縛るしかない!! そして頭皮をもませろ!」
「あなたはパラフィリアか!」
海美が僕を掴んだ。
綱子ちゃんがぼーっとしたまま、僕を殴った。真里菜ちゃんが数珠で僕を縛り上げた。
「先輩、目は覚めましたかっ?」
笑顔の真里菜ちゃん。
「すみません。覚めました」
僕は憑き物の取れたような顔で空美と向かい合う。
空美の体は水でびっしょり濡れていた。
「ひょっとして水の間の者か?」
そう思ったのは一瞬だった。荘厳な声が響いた。
『私は元水神だ。今はこの子を祟っている。私を払うというなら、それもよかろう。しかし、全力でお相手する』
全力で。神の全力。
学校の周りに水柱が吹きあがる。
その水柱の雫を浴びながら僕らは走った。綱子ちゃんたちは雫をよける。
僕はそのシャワーの中を前に突進した。
「黒鋼ぇぇぇ」
黒鋼は起動している。格差があればあるほど力を発揮する特別な刀。
刃は途中で止まった。力の差があればあるほど力を発揮する刀。
綱子ちゃんが口を押えた。
「ひょっとして、皓人を鍛えすぎましたか?」
「違う。相手が神だからだ!」
僕は刀を構えた。どんな困難でも戦って勝つ。
まともになった構えで、必死に剣を振るう。
水神がとりついた空美はすべてをかわす。霞と相手をしているみたいだ。
「満月狼、殺す」
「穏やかじゃないね」
僕は回転しながら突っ込む。
「空美。勝つ。絶対勝つ!」
空美はものすごく強かった。剣を振り回し、僕に突っ込んでくる。
君を救うんだ。あれは恋だったような気がする。陽だまりに空美と海美、三人で毎日笑った。
だけど、赤雪姫はなぜ僕の頭に領域を張ったんだ。
何かまだ隠しておきたいことがあるのか?
空美と僕のことで。
まだ何かあったのか?
それとも、僕の不安を慮ってのことなのか?
水神は口を開く。
『私はお前を殺せばあの男に復活させてもらえるのだよ』
「そんな条件を出されているのか」
僕は蒼白になった。
神の復活だなんてそんなこと、どうしていいかわからないのに!!
どうしよう。いいアイディアが浮かばない。将棋で詰んだときみたいだ。
「先輩はあきらめない人でしょう?」
真里菜ちゃんが叫ぶ。
海美も綱子ちゃんも僕を見ていた。
空美を思い出す。子供の頃、お祭りの帰り道で、空美は僕に言った。
「ずっとこのまま一緒なら幸せっス」
「ずっと一緒に居よう。明日も明後日もその先だってずっと一緒に居よう」
一族が決めたいいなずけ。僕はどう思っていたのだろう。守りたいと思っていた。
守ってやりたいと、そう思っていた。
本気で好きだった。胸がドキドキして眠れないこともあった。
空美は良い奴だ。僕にはもったいない。そう思ってあきらめた。
「何があっても私は皓人を助けるっス」
そんな恥ずかしいことを平気で言う奴だった。
「そんなこと言わずに自分を大切にするんだ。良いね」
「うん」
僕らは手を繋いで夜道をずっと歩いた。幸せだった。
プールのシャワーで頭皮を洗ってやったこともあった。
「【あさぼらけ シャンプーも揉みこむ 水の音】」
「芭蕉先生を侮辱っスか!!」
「いや。リスペクトだ!」
そんな楽しい関係だった。
僕はやれる。勇気よ。湧け!
糸よ、来い。僕は空美にとりついた水神の糸を探る。
水神の黒い糸が辺りに押し寄せる。
空美の空色の糸が水神の黒い糸の中心に見え隠れする。
ゆらゆら見えている。
問題はどうやったら僕が水神を生かせるかだが。
限界は神の力を使って水神を復活させるらしい。
満月狼。オオ、カミ。神の力。
オオカミの力を使えば確かに分離はできる。問題はそこからなんだ。
「神を助けるにはえびす様の力が必要不可欠。でも」
それをすると。
「今度は空美が助けられない」
神を殺すか、空美を助けるか。
この二択しかない。他に方法は。
僕は自分のワンダーランドを開いた。
ここで僕の領域、ワンダーランドが攻撃されても仕方がない。
今は知識を読み漁ることしかできない。何か本を読むんだ。本を読んで方法を。
その時、僕のワンダーランドから手が伸びた。大人の男の人の手だった。
『力を貸そう。佐伯君』
その手は。
「頼光さん!」
頼光さんが僕の領域を超えて体を伸ばす。
「あなたは死ぬ一分前で止まっているんだ。外に出たりなんかしたら!」
『僕が森海を張る。その中で水神を助けるんだ。森海は回復の領域だからね。神だって癒せる』
「頼光さん! 駄目だ!」
辺りを森海の光がつつむ。
僕は走った森海が張られた瞬間に水神と空美の糸を分断した。
霊体である空美を必死で受け止める。
水神はごろごろ転がった。森海の光の中で徐々に回復していく。
頼光さんは少し苦しそうに綱子ちゃんの方を見た。
『綱子』
「そこにいらしたのですね。お姿が拝見できただけでも綱は幸せ者です」
綱子ちゃんは両眼から大粒の涙を流し、頼光さんは優しく微笑んだ。
『うん。それでいい』
なんて大きな愛なんだ。もう会えないのに。
頼光さん。あなたは僕を助けてくれるのか。焼きもちすら焼いた僕に。
僕は校舎から飛び降りた。黒鋼を地面に突き立て勢いで地面を割る。
そこに水神が使っていた水が崩れて大量に降ってきた。
あっという間に泉ができる。僕は叫んだ。
「来い! 水神!」
水神は叫んだ。
『私を消すつもりかあぁぁぁぁぁぁぁ!』
「狼の力で浄化する!」
僕は黒い糸をすべて引き剥く。
真っ白になった水神は泉の水の中でたゆたった。
元のきれいな水の神になった水神は泉を漂った。
「なんということだ。ありがとう。人の子よ」
「これでもう、あんたは腐り神なんかじゃない。ただの神だ……」
僕は全身をかきむしった。地獄の筋肉痛だ。頼光さんの時よりもひどい。
「ああああああああぁっぁぁっぁぁっぁぁっぁっぁっぁぁあっぁっぁっぁあ」
グランドを転がる僕。綱子ちゃんが校舎から跳び降りた。
「頼光様!」
綱子ちゃんは僕を抱きしめた。
「しっかりしてください。しっかり!」
やっぱり、綱子ちゃんは壊れている。相変わらずだ。
「空美、空美の糸は」
空色の糸は海美が握りしめていた。
「ここにあるぞ。皓人」
帰ろう。家に帰ろう。空美。
僕は綱子ちゃんを強く抱きしめた。
「平気だ。綱。帰ろう」
「はい」
僕は家に帰るまで何も言えなかった。何を言う気力もなかった。
真里菜ちゃんが心配げに僕の体をさすってくれた。
僕はただ辛くて呻くことしかできなかった。頼光さんを消してしまったかもしれない。
僕の所為だ。僕が弱いせいだ。綱子ちゃんは僕にしがみついてじっとしていた。




