蛇ににらまれた
空美の衣装が真っ赤に染まる。あの時の僕、佐伯皓人は絶望を胸に目を開いた。
赤雪姫が叫ぶ。
「行くわよ! 限界」
辺りを赤い雪が降る。
赤雪姫の赤い雪の降る領域だ。
三つ編みがほどけて長い髪が風に揺れる。
赤雪姫は池に立った。
「限界」
「君と戦うのは分が悪い」
「それでも戦ってもらうわ。赤雪姫の名に懸けて敵は逃さない。行きますわよ」
赤雪姫が走る。
限界は両腕をクロスした。
「来い。僕の領域!」
平賀限界の領域は神殿の姿をしていた。
「お前、神を食ったと言ったわね」
「食ったよ。美味しかった」
「守るべきものを食うなんて許せないわ」
「どう思ってもらっても構わない。しかし、それが僕のやり方だよ。勝てるかな?」
神殿は大きく膨れ上がり爆発する。
あの時の僕は見ていることしかできなかった。それほどまでに凄まじい戦いだった。
赤雪姫は駆け抜けた。爆発する神殿の脇を駆け抜け、千牙刀で限界と切り結ぶ。
赤雪姫に限界が肉薄する。限界の刀が鈍く光る。
限界の刀が千牙刀と一瞬、クロスする。火花が飛び散り森林が燃えあがる。
轟音と熱風。
限界は身を捻った赤雪姫から赤い糸を引き抜いた。
「どれどれ。読んでやろう!」
「あら、読まれてもわたくし何も困りませんのよ」
赤い糸は弾け跳んだ。限界は唸る。
「隙がないね」
「あなたこそ」
僕はその戦いの中で右往左往するしかなかった。
「ならこれはどうかな」
限界は衝撃で先ほどからしびれて動けない僕の首根っこを掴んだ。
体中から糸を引きずり出す。
「こいつの体に満月狼の糸だけ残したらどうなるかなあ」
「おやめなさい」
最速の女は躊躇った。限界は隙の出来た赤雪姫の懐に拳を捻じ込む。拳ではなかった。
指で何かを引っ張った。
「なら空美さんの糸はいただいて行く」
「限界!」
赤雪姫の悲鳴が響く。
僕はただ、もがくことしかできなかった。赤雪姫の体から空色の糸が抜かれる。
完全なる敗北だった。
残ったのは柱と、怪我した僕と赤雪姫だった。
だからあの後、僕は赤雪姫に何度も戦いを挑んだのだ。限界に挑戦させてくれ。
空美の糸を取り戻しに行こうと共闘を依頼した。
僕が強いところを見せるからと。しかし、申し出はすべて断られた。
お前では未熟すぎる。そう言われて、脳内に領域を張られた。
二度と思い出さないように。
僕は結局、いろんな人に助けられて何一つなせないままで。
そんな僕は日記を閉じた。
何もかも悲しくなった。
「僕の所為だったのか。空美。僕が突っ込んでいったから」
「誰の所為でもないわ。あの男の前では何もかも玩具なのよ。誰でも勝てないわ。あの男には」
「だけど」
「そこで反省したらあいつの思う壺よ。わたくし弱い男は嫌いですわ」
「だけど!」
「あの男の行方は私が捜しています。あなたは受験をなさい。受からねばそれ相応のお仕置きをします。それでは」
赤雪姫は僕の額に手を当てた。暗闇の中、静かに去って行く。
眼の端に赤い光が残った。
僕は椅子に崩れ落ちた。空美。空美、どうして僕に相談しなかったんだ。
強く手を握りしめる。
それでも今は勉強を。
空美の日記を閉じる。
僕は悲しくなった。空美はあんなにいい奴なのに。平賀限界、許せない。
「呼んだ?」
僕は絶句した。僕の家に張られた赤雪姫の加護をカーテンのように割って、平賀限界がそこにいた。
「人の盲点を突くと人はそこに何も存在していないように感じる。僕はそうやってこの近辺をうろうろしてきたわけだが」
「お前!」
「おや。声を荒げない方がいい。妹さんたちが、困るんじゃないかな? 巻き込まれて」
どうしたらいいんだ。戦いたいと思っていた男がここにいるのに、家族は巻き込めない。
「空美の糸を返せ」
「いいよ、返しても」
「本当か?」
疑う。
「でもさ、ただ返すのはつまらないよね」
「なんだと!」
限界は笑った。
「そう怒らないでよ。皓人くん。短気は損気だよ。あの頼光さんだってもっとのんびりしているんじゃないの。それじゃあ、綱子ちゃんに好かれないよ」
「お前」
「綱子ちゃんには何もしていないよ。するわけないじゃないか。ただ、近くで御挨拶しただけだよ。こんにちはって」
どうしたらいいんだろう。こんな強い奴を相手に。僕は綱子ちゃんを守れるのか。
僕は綱子ちゃんに蒸気電話をかけた。
「綱子ちゃん!」
「なんでしょう、皓人」
「何かあったか?」
「何もありません」
「変な人に挨拶されたとか。たとえば平賀限界と名乗る男に」
「そんな人会ったこともありませんが、どうかしたのですか」
「いや。いい。ありがとう」
僕は脱力した。
「限界。あんたは人が悪い」
「僕自身いい人を見たことがないけどね。君はどんな人なの。一度お話ししてみたかったんだよね」
薄い目で笑う限界。
「なんであんたはそんな風に」
「僕等は似たような力を偶然持っている。だけど使い方が違うね。君は人を助けるために。僕はこの世の中を面白くするために。それってどっちが強いのかな。戦ってみない?」
「どっちがって。あんたは神を飲み干している。あんたが強いに決まっている」
勝つことはない。
「皓人くん。そこで、ハンデをあげようと思う。ここに空美ちゃんの糸がある。これをある間の者に食わせる。消化するまでに助けられたら御の字だよね」
「なんでそんなことを」
「だって、君は僕相手じゃ戦わないだろう。拳が震えているよ」
「震えていない」
「歯の根だってかみ合っていないよ」
「かみ合っている」
「本当は怖くて、怖くて仕方がないんだ。君は僕に勝てないって知っている」
図星だ。力の差がわかりすぎる。このままでは勝てない。
「かといって空美さんの糸がかかっているんだ。君は僕を放っておけない。そこでゲームだ」
限界は両腕を広げた。
「僕は今から四匹の間の者を呼び出す。それを順に倒してくれ。ただし、一回に一人の力しか借りられない」
「それは」
「女の子の力を借りてもいいって言っているんだよ。彼女たち、強いよね。ただし、一つにつき一人。君を慕う女の子は三人、間の者は四匹、君は一匹を自分で倒さなくてはならない。そして、そのどれに空美さんの糸が入っているかわからない。せいぜい頑張りたまえ」
限界は笑いながら走り去って行く。悪寒がした。蛇に睨まれたようないやな感じがした。




