3
辺りが冷たい領域に包まれた。この周りをすべて拒絶する感じは綱子ちゃんの領域バニッシング。冷たい人払いの領域だ。
「下がって!」
「呼んでいないのに前向きに来てくれたんだね。綱子ちゃん」
やっぱり君は素敵だ。カッコいい。カッコいい良いマフラーだ。
綱子ちゃんが校舎の窓を足掛かりにして僕の前に舞い降りていた。僕と真里菜ちゃんは身を寄せ合った。彼女は天女のように帯を翻らせた。黒い刀を引き抜く。
「変態。鬼を引き寄せるなんて何をしていたの? まるで素人みたいね」
ぼーっとした彼女は刀を構える。
「特には何も」
「もしかして鬼の噂をした? 変態」
ちょっと待て。
「誰が変態だ。なんで変態だ」
「変態が変態を否定するの? 何が起きたの?」
「何も起きないよ!」
刀に手をかける綱子ちゃん。その切っ先を僕に向ける。どうすればいいんだ。
「……僕はうどんとマフラーが好きなだけだ」
「うどんとマフラーが好きな変態?」
「首を傾げるな。疑問形にもするな。僕は従妹のような変人では……ない」
あれ、おかしな会話が弾んでいる。
「なら何をしていたの?」
「何って……前向きに逃げていたんだよ。当然だ。痛いのは嫌だから。従妹の領域が破壊されたんだ」
「それは懸命ね。下がって」
僕は後退しながらワンダーランドから本を取り出した。作りかけの鬼の本を広げる。
「あれは鬼の影だけど元の位が高いから後始末が大変だ。綱子ちゃん、気を付けて!」
ぼーっとしたまんまの綱子ちゃんは大太刀を引き抜いた。そして鋭い動きで刀をインクにねじ込んだ。
鬼は辺りに黒い石を散らす。綱子ちゃんはとても強い。信じられないくらいに。インクの鬼は石をばらまく。薬石。石は生命の象徴だ。石になった時、鬼は消える。汚い物を僕らは嫌いだ。
僕はそのインクの鬼に対する興味をもう失い始めていた。綱子ちゃんはその石も粉々に破壊する。汚らわしいと言わんばかりだ。
「変態。こんなこんな雑魚にてこずっていたの?」
「悪かったな。僕は戦闘向きじゃないんだよ」
綱子ちゃんはかかとを踏みならし、踏み込んだ。分裂したインクの鬼たちに鋭く切りつける。インクの鬼たちは暴れ狂った。こうなればあと一息だ。
「行け、綱子ちゃん! マフラーがカッコいいぞ!」
綱子ちゃんは当然のように石を切り刻んだ。相変わらずぼーっとしている。
「素敵ですね。クールでカッコイイですっ」
「攻撃が派手だ。綱子ちゃんは」
「ちゃん付けなんですね。意外ですっ」
「僕は誰にもちゃん付けだ」
悪い教育を受けたんだ。紳一郎さんから。
気がつくと綱子ちゃんは立ち止ってこっちを見ていた。
「変態、私のことは綱と呼びなさい!」
いつもより少し一生懸命な綱子ちゃん。
「なんでそんな風に?」
「別にいいでしょう?」
綱か。カッコいい感じがするな。かっこよすぎて呼べないな。綱だなんて。僕は照れくさくなって下を向いた。僕は王子様になり損ねたが、ヒーローに救われるなら本望だ。
真里菜ちゃんが僕を思いやる。
「先輩、背中が痛みますか? 保健室へ行きましょう」
「うん、でも……綱子ちゃんを放っておけないそれに」
僕は背中に力を込めた。
黒インクの様な鬼の爪がぽろぽろと落ちる。
「先輩これは……?」
僕の背中はカチカチになっていた。
「硬化。僕の特能だよ。ああ、痛い。前向きに涙が出そうだ」
息を止めている間だけ、僕は身体を固くする事ができる。硬化とワンダーランド、力が二つあるのはあまり嬉しくない僕の僕なりの事情があるわけなんだが。
「無理しないでください。心配しましたよ」
真里菜ちゃんは泣いていた。
「うん。ごめん。もうしない」
「解ればいいんです。これから手当てしますね」
僕は前向きに床に倒れ伏す。さっきの爪に毒が塗ってあったようだ。目がかすむ。
カッコ悪い……。意識が遠くなる。
綱子ちゃんはそんな僕らのやり取りを不思議そうな顔で見ている。
「変態。体は大丈夫?」
心細そうな彼女。そんな彼女が可愛く見えた。
「うん。平気だ」
「褒美はうどんでいいから」
「君は僕の財布が目当てか」
「その中身、すべてうどんにするから」
鬼だ。鬼がいる!
その時、隣の部屋に顧問の先生が現れた。
「佐伯~~~。なにやっている~~~」
どういうことだ。綱子ちゃんの不可侵領域はどうなっているんだ。
窓ガラスは壊れ、風がダイレクトに入ってきている。しまった。
「綱子ちゃん。バニッシングは」
「疲れたからもうやめたの」
「あきらめるな」
あきらめないでくれ。もう少し頑張ってくれ。
「私が戦っているのにそこでラブシーンをしている人に疲れたの」
「ラブシーンなんてしていない」
綱子ちゃんは真っ直ぐに真里菜ちゃんを指差した。
「その娘はどこも長くないわ」
「気が長いんだ。気持ちが長いんだ」
「私のマフラーとどっちが長いの?」
「どうやって比べたらいいんだ!」
「お前は粗忽者?」
僕は身の危険を感じた。綱子ちゃんの鬼を狩り殺す刀が僕に迫る。
「ちょっと待て、ちょっと待て」
「待てない」
なんで前向きに修羅場になっているんだ。何が起こったんだ。
真里菜ちゃんは僕の腕の中でにこにこしていた。
「先輩。彼女ですか?」
僕は綱子ちゃんと目を合わせた。えっと。そうだったのか、いろいろ通り越してマフラー少女が僕の彼女だったとは。前向きに幸せだ。嬉しいな。
「君は僕の彼女ですか?」
「違います」
冷静な刀が僕の頬をなでる。いきなり何をするんだ。
「真里菜ちゃん、違ったよ」
「違いますね」
しみじみうなずく真里菜ちゃん。僕は軽く混乱した。
「ならなんで粗忽者なんだよ! そそっかしい者なんだよ」
一瞬、喜んだ僕が馬鹿みたいじゃないか。
顧問の先生が叫んだ。
「なるほど、佐伯の女が乗り込んできたのか。浮気現場を取り押さえるために」
綱子ちゃんはきりきりと身を引き絞った。
「どんどん人が集まってくるわ。止めを刺すにはどうしたらいいの?」
そう言ってじっと僕を見た。
僕に止めじゃないよな!
「早くバニッシングを使ってくれ。そして前向きに影鬼の影を倒すんだ。綱子ちゃん、早く人払いを」
「バニッシングはもう使えない」
「まさかさっきの攻撃でどこかにダメージを」
「お腹が空いたから使えないの」
もしかして君。粗忽だのなんだの言っているけど。
「本当はうどんを食べに来ただけとか」
綱子ちゃんはこくりとうなずいた。
「そうよ。うどんを食べに来たの」
やっぱり。
綱子ちゃんは刀で僕を指し示す。
「早く鬼を倒しなさい。あなたならできるはずなの」
「無茶言うなよ!」
部活のみんなが不審げな顔で僕を見ている。
綱子ちゃんはぼーっとした目で僕の方を見た。
「お前は私のマフラー姿が好きだと言ったわ。これが粗忽でなくて何が粗忽なの?」
「僕はマフラーが好きだと言ったんだ」
綱子ちゃんは僕を見た。迫ってくる。
「もしかして変態?」
高速で舞った刀が部室の個室を舞う。なにも傷つかない。これが達人の業。
僕の書いた川柳の紙が宙を舞う。
【マフラーよ どうしてお前は 美しい】
みんなが気の毒そうな顔で僕を見ていた。
「僕の趣味は僕の物だ!」
虚しさが駆け抜けた。先生は僕の隣でうなずく。
「佐伯、いつかこんな日が来ると思っていた」
「思っていたのかよ」
なんだろう。みんなの視線が痛い。まさかみんな僕のことをずっと変態と!
「どんな生徒でどんな先生だよ。前向きにショックだ」
「仕方ないわ。変態はしょせん変態だもの」
綱子ちゃんは素早く刀を振るう。
その様子を真里菜ちゃんがにこにこ眺めている。
「先輩モテモテですね」
「君は状況をよく見ろ」
僕は脱力した。とはいってもお腹を空かせた子をほおっておくのは可愛そうだ。
「綱子ちゃん。うどん奢るから、だから変態と言うのはやめてくれ。お願いだ」
「それは約束できないわ。その代りトイレットペーパーを水に流すから」
「当たり前の行動だよ!」
「冗談よ」
「冗談じゃない!」
その時、インクの鬼が伸びあがった。ものすごい勢いで僕の首筋に迫る。
綱子ちゃんは大太刀を振り回した。インクの鬼に最後の止めを刺す。
鮮やかだ。
みんなに見えないインクの鬼はのた打ち回って辺りを真っ黒に汚し、動きを止めた。
「何をした、佐伯の女」
「佐伯の女じゃないわ。私は邪魔なものを片付けただけよ」
「その場合、邪魔なものは佐伯だと思うが?」
「変態は邪魔にもならないわ」
「前向きにあんまりだ!」
綱子ちゃんは先生に手を振った。
「行くわよ、うどん」
「僕の名前がうどんになっている……あんまりだ」
「佐伯の女。窓ガラスまで破壊して困った奴だな。お前、そんな刀まで振りまわして演劇部か?」
鬼は完全に石になった。綱子ちゃんはそれを粉々に打ち砕く。
そうなっても先生は現状に気付かない。先生は笑顔になった。
「佐伯、後でガラス代払っとけよ。期待しているから」
「前向きに僕の懐が泣きそうだよ」
僕は小銭が鳴く財布を手にうどん屋に走ったのだった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
放課後の蕎麦屋は混んでいた。長い行列だった。学徒たちが列になっていた。
うっとりする僕。ああ、なんて美しい列だ。綱子ちゃんはその先頭で必死にうどんを食べている。
その時、道端の木陰で女子中学生が緑の目を開いた。
目元を隠していた本は漫画だった。女の子がハムスターの王子に恋をする少女漫画だった。
制服は中央の第一の制服。エリート学校の制服だ。顔もかっこいい。男よりも男らしい美人さんだ。そんな僕の従妹、海美は目を瞬かせ僕を見た。
「佐伯皓人。残念な奴だ。随分ひどい目に遭ったようだな」
「誰の所為だよ。近寄るな」
「まあ、そう身内の癖に私様を恥ずかしがるな」
「今更、ハムケツがブームの人に僕の人生をひっかき回されたくありませんが、なにか」
「すべての道はハムケツに通じると昔、ローマ人も言ったそうじゃないか」
「そんなローマ人いないよ!」
黙っていればかっこいいのに残念な従妹だ。
「あなただって人のことを言えないだろう?」
「僕の場合は長い恰好をした女子が好きなだけで……今のブームはそうだな、マフラーと着物の帯と黒タイツがあったら他に何も要らない! 前向きに!」
遠くから綱子ちゃんの箸が飛んできた。痛い。
綱子ちゃんは必死でうどんを飲んでいる。空腹だったらしい。
僕らは高速で蕎麦屋を離れた。
「で、アホ従妹。なんだって、こんなところに来たんだ。何かあったのか?」
僕の従妹、横志摩海美は厳しい顔をした。
「実は真里菜の父親が……紳一郎が消えたよ……」
「紳一郎さんが? この前みたいに東の方にチョコレートケーキを買いに行ったんじゃないのか? あの人、とことん気まぐれだから」
いざという時に頼れる人間は普段は役に立たないことの方が多い。僕の持論である。
「まずはそう思って……」
「思ったのかよ……」
「あの人の遊びそうな場所を捜索したが、見つからなかったよ」
うーん。
「領域支配者がいなくなるなんて事、今までに……」
「赤雪姫もお怒りだよ。あの人の趣味は旅行だから、結構な頻度でいなくなる」
「いなくなるのかよ」
「真里菜には言えないな。あのハムケツのような顔が曇るのを私様は見たくない」
「あんた、人の友達の顔をハムケツだなんてひどすぎる」
「何を言う。ハムケツほどこの世に可愛い物は無いよ!」
「そんな事を断言されると、僕の平常心が揺らぎそうだよ!」
海美はにニヒルに頬を撫でた。
「ともかく、紳一郎さんを見つけたら連絡してくれ。そして、あなたの飼っているハムスターを見かけたら……斜め四十五度から隠し撮りしてこの私様に渡せ!」
「泣くぞ、妹たちが……! うちのハムの円形脱毛症はすべてお前の所為だ」
僕は従妹を地面に押しつけて頬をぐにょんぐにょん引っ張っていた。残念だ。
残念な美形だ。うちの従妹は。劇団の男役に入れそうなのに。
「僕んちの平穏を返せ」
防御に長けた海美は素人の僕の攻撃をすべてそらしながら両手を広げた。
「ちょっと待て、皓人。こんな時だからこそ話がある。あそこでうどんを食べている梔子綱子のことだが」
「なにかわかったのか?」
「やはり彼女はえびすの使いだ。六年前からえびすのところで戦っている」
やっぱりそうなのか。
最初に彼女を調べて欲しいと頼んだ時、海美は幽霊じゃないかと疑った。
調べ物が得意な僕が調べられない人間など、そうでしかあり得ないとそう言われた。
近寄れなかったのだと僕は即答した。旧校舎の屋上なんて鍵がかかっていて普通の生徒の僕には登れない。彼女は僕のワンダーランドに引っかからない何かだと予感した。
「確かに僕は幽霊のデータを持っていない、けど、あの子はそんなんじゃない。だって、マフラーを愛する子に悪い子はいないんだ!」
四月にマフラー。どれほど彼女がマフラーを愛しているか僕にはわかる。他のだれにもまねできないことだ。
そう言い張って僕は彼女のことを調べてもらった。
ただ単にマフラー少女の歌声が綺麗だと思ったのだ。僕の壊れて軋んだ心が洗われるくらい。歌っている内容はおとぎ話みたいで、その続きが気になった。かの者は誰だろう。
かの者はどうして一人になってしまったのだろう。
彼女と会って話がしたいと思った。川柳の読み手として歌の題材の話をしたかった。
運動神経抜群の海美は立ち食い蕎麦屋を眺める。
「梔子綱子。渾名は疫病神。傍にいる男を破滅させる運命の女だそうだよ」
運命の女。いいな。壊れる前の女の子は大好きだ。壊れる前の物は好きだ。はかない少女は好きだ。大好きだ。
「それは誰が調べたんだ?」
僕でさえわからなかったのに。
「紳一郎さんだ。あの少女、なにか危ない者かもしれない。行方不明になる前、紳一郎さんは彼女の写真を転送して二秒で返答してきた。きな臭過ぎる。私様たちにとって間の物より人間の方が百倍恐い。わかっているよな。人間は現実をむしばむ毒だよ」
そう言った海美の表情は重く暗く、僕は何も言えなくなって口をつぐんだ。
「紳一郎さんはどこに行ってしまったんだ?」
「解らない。普通に考えれば、稚日女尊の所だろうが……」
「ヒルメちゃんの?」
彼らは播磨中央に隠されたヒルメちゃんの神殿を守っている。
「稚日女尊様の所に行けば、あるいは彼女は何か知っているかもしれないよ」
「じゃあ、連絡を入れてくれ。ヒルメちゃんに会いに行く」
「皓人。制服が破れている」
海美は乱暴に僕の背中を掴んだ。何をやっていたんだと叱る。
ああそうかインクの鬼と戦った時に背中が破れたんだっけ。
「あまり怪我をするな。資格が無いと言われたとはいえ、あなたは私様の一族だ。自分を粗末にするな。 今度怪我をしてみろ、私様は怒るよ」
「うん。気をつけるよ」
「ヒルメとは夕方、待ち合わせだ。あとで迎えに行くよ」
綱子ちゃんはうどんを飲んでいる。蕎麦屋の親父が笑顔で僕に手を振った。
「知らなかったよ。ヒロちゃんって変態だったんだな」
「その名前で呼ばないで……」
前向きに脱力する僕だった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ここで、ヒルメちゃん。稚日女尊について説明しておこうと思う。
ヒルメちゃんは播磨の国、中央に住まう祭神である。
天照大御神の妹。性格は幼くて可愛くて護ってあげたいタイプで……なぜか獰猛。
乱暴なプレーリードックのような女の子である。可愛いけど本当に獰猛だ。
「よく来たのじゃな。ヒロやん」
ヒルメちゃんは抱きつくなり一回転して僕の頭を撫でた。
「ヒロやん、おんし、今日は何して遊ぶのじゃ? 俳句か? 川柳か? ヒロやんは歌に目がないものな。大好きじゃものな」
嬉しいことを言ってくれるな。
「ヒルメちゃん紳一郎さんはどこかな」
「ああ、あの男なら私の使いで遠国に行ってもらったぞ」
「遠国?」
「伊勢の大社の姉さまの所にプレゼント届ける仕事じゃ。わらわの織物を持っていってもらったわ。赤い糸を入れ忘れた奴じゃが……うわ~ん」
そう言うと、ヒルメちゃんは泣いた。
「よしよし。大丈夫だ。次で気を付ければいいんだ」
僕は彼女の頭を撫でた。変化していない時の神様の頭を撫でるなんて、恐れ多いうえに生命が燃え尽きる危険もあるから緊張するけど、泣いている女の子を放っておけない。
「元気出せ、ヒルメちゃん」
僕が力強く呟くとヒルメちゃんは身体をゆすって僕の懐に潜り込んだ。
「ととと取り乱してすまんかったのう、ヒロやん」
「気にしなくていいよ。そう言えば、海美が、紳一郎さんと連絡が取れないって」
「この街を出れば海美にも捜せんじゃろう。ヒロやんは立場上、知らんかったじゃろうが……領域支配者が領域から出るときは普通の人間に見えるように細工して出て行くものじゃよ。じゃから、屋上の少女が原因ではないのじゃ。おんしは責任を感じるなーなのじゃ」
僕は胸をなでおろす。よかった。本当によかった。うどんを美味しそうに食べた綱子ちゃん。嬉しそうだった綱子ちゃん。
「紳一郎さんが変な事に巻き込まれてなくてよかったよ」
ヒルメちゃんは頬を撫でながら僕を見た。
「しかし、連絡が取れんのは本当でな。奴はわらわにはマメな性格。何処でどうしておるのか……」
ヒルメちゃんは僕に赤いマフラーを投げた。
「そうじゃ、ヒロやん。使え。おんしの為に織った物じゃ今すぐ身につけよ! 暖かいぞ! えへん」
僕は嬉しくて手を伸ばした。神様からの贈り物。貰いたくても貰える物じゃない。
すごくうれしいけど。
「もうすぐ夏が来るよ」
「夏でもそれを巻け、わらわのマフラーじゃぞ!」
「なら懐に装備しておくよ」
これでもう綱子ちゃんに変態だなんて言わせない。
ヒルメちゃんは僕の頬を両手で挟んだ。頬を寄せて喜ぶ。
「ありがとう、ヒロやん。しかし、惜しかったな。おんしが守人なら、紳一郎と共に行動ができたものを」
「向いてなかったんだよ」
「海美では役不足なのじゃ。顎で使えん」
僕は顎で使いやすいのか……。前向きに最悪だ。
「紳一郎さんは超万能、海美は……」
「ガチガチの防御技術系」
彼女は意味ありげに僕を見た。
「わらわたちは仲良しじゃからな。わらわがピンチの時は」
「必ず行くよ。何を捨てても。大丈夫。約束だろ」
「そうこなくては。わらわもヒロやんのピンチには駆けつけようぞ。なにせ、これからが正念場、えびすとの勝負に負けられんからのう。ヒロやんの情報は役に立つ。落ちてくる情報がランダムなのが玉に傷じゃが。何とかならんのか?」
「どうにもならないと思うよ」
うちの司書はいろんな情報を仕入れてきてくれるからしょうがない。そういえば。
「ヒルメちゃん、鬼退治は進んでいる?」
「悔しい事にえびすの方が優勢じゃ。梔子綱子、えびすの使者め! 強すぎるのじゃ」
ここでえびす様について説明しておこうと思う。えびす様はイザナギとイザナミが生んだ最初の神様で――クジラに乗った義手義足の神様だ。ヒルメちゃんにとって大兄と言うよりも大伯父に近い存在の神様である。彼は事あるごとにヒルメちゃんをからかい、勝負を挑んでくるのである。
「東の祭神が前向きに大人気ない。何やってんだか」
海美の張っていた術が突然解けた。僕の体は自分の家に返還されていた。僕の姿を認めると海美は駆け寄ってきた。
「皓人。綱子は安全なものか?」
「安全だった。えびす様公認みたいだ」
海美もほっとしたようだ。
「なあ、海美。どうして東の祭神はヒルメちゃんにちょっかいをかけるんだ?」
「身内の行く末は気になるものだよ」
それもそうか。家族と言えば家族だよな。血は半分繋がっている。
「それにしても鬼退治か……うーん」
「何か悪いか? 鬼は不浄の生き物。神様がでしゃばるには確かに大仰な感じは否めないが」
「確かに大仰だ。鬼なんて神様の前ではハンマーの前のダイヤモンドみたいなものだ。第一、力が違いすぎるのに……」
「今の神は昔に比べて弱い。崇拝者が少なくなってきている。それに間の者も年々、強力になってきている」
「それでも神様は強いと思うよ」
強すぎる薬のようなものだ。だから世界が壊れないように人間を使うのだが。
「皓人。ダイヤモンドは世界一堅い鉱物ではないのか?」
「知らなかったか? ダイヤモンドはハンマーで叩くと簡単に砕けるんだよ。ガラスみたいに」
女の子とダイヤモンドは似ている。それが僕の持論だ。