何もない日々
僕と赤雪姫は戦った。
何度も戦った。赤雪姫はいつも言った。
『わたくしたちが戦うことに意味はありません』
どうしてそんなことを言うんだ。僕はお前が憎くて仕方がないというのに。
『その気持ちは作られたものです』
誰が作ったというんだ。
赤雪姫、まさかお前が。
『わたくしはわたくしのやりたいようにするだけですわ』
その言葉に嘘も偽りもないのだろう。ただすべては水平線の彼方だ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
突然始めた受験勉強がつらい。
僕はなぜ今まで受験勉強をしなかったのか。
それは生活のためのバイトをしていたからだ。
失せ物捜し、情報集め、雑用。
生きていくにはそれなりに先立つものがいる。
親父は放浪するしかない理由があっても、母はどこで何をしているのか。
面倒事に巻き込まれないといいが。
そんなこんなでいろんな物事がひと段落して僕はこれから受験勉強に入る。
こんなに何もないのは久方ぶりだ。
紳一郎さんが気を使ってくれているとしか思えない。
そしてそれは実際そうなのだろう。自分ひとりで処理しているのだろう。
僕はみんなに支えられて受験勉強に手を伸ばした。
つもりだったんだが。傍らにあるこの日記が、僕の指を呼んでいる。
読めばきっと懐かしい気持ちになるだろう。
壊れてしまった女の子の日記。
僕はこれを読み終わった後どんな気持ちになるのだろう。
そう思うと、この本のページをめくれない僕がいる。
いるのだが、学園の勉強と言うものが川柳以外苦手な僕はため息を吐いた。
前回の事件、忙しくて川柳が読めなかった。地球掃除機と戦って本当に困った。
余裕がなかった。僕は親戚が好きだ。あの事件でそれをさらに実感したような気がする。
僕はどうやら海美の王子様でもあったようだ。王子様か。悪くない。でも、あの子はどうだったのだろう。
あの子は僕をどう思っていたのだろう。空美。僕は日記を開いた。懐かしい気持ちとほろ苦い気持ちが胸いっぱいになって僕はゆっくりとページをめくった。
『オッス。私、空美だよ!! 強さは五千万デシベルだよ。アンセムと一緒っす。最高っス』
日記はそんな文章で始まっていた。
僕の緊張感が五万デシベル抜けた。
「アンセムって何」
『私の好きなケーキ屋アンセムのチョコケーキのうまさはが五千万デシベルッス』
「だからなぜ騒音なんだよ」
『良いライブとは総じて騒音っス』
「ライブは騒音じゃない。魂だ!」
ページをめくる手が止まる。懐かしさに胸がいっぱいになる。
あの頃の僕らを思い出そう。あの事件は人柱の事件だった。
「人が柱になるって話知っているか?」
そんな話をしていたのは確か。勅使河原君だったと思う。
中学二年生。秋の事だった。
その頃の僕らは顔見知りではあっても特に親しくはなかった。
原因は僕にある。一本線を置いていたのだ。ぎりぎりで心を開かなかった。
親戚以外とは親しくしたくなかった。守るものが増えると首が回らなくなる。僕は情報しか扱えない。 守れる者には数限りがある。
そのことを僕は知っていた。自分を知っていた。許容量を越えると正常に働けないと思っていた。心の省エネだ。エコ活動だ。
妹たちと母親と、空美と海美さえ守れればあとはどうでもいいというのがその頃の僕のスタンスだったからだ。
一歳年上の空美は当時、僕と同じ学園にいた。
「ここは最強の学校っス。なぜなら私が守っているからっス。海美が中央第一を守って私がここを守ると最強の構えっス。海美と空美、リボンとレースの構えっス」
「そこは龍虎だろう!!」
「確かに!」
空美は年上なのにそんなことを感じさせない性格だった。気さくで憎めない性格。
「でも、お前、そんなこと言っていていいのか? 空美」
「何がっスか?」
「何がって、お前が守っていても、海美のいる中央第一の方が守りの要なんだろう。あっちの方が重要なんじゃないか?」
「ノンノンノン。あっちを守ると見せかけてこっちを守る。それが今回の作戦の肝。私をここにさりげなく配置したのも、紳一郎さんのなせる業っス」
「そんな大事なことを僕に言ってもいいのか。僕は満月狼だぞ。今は」
「いいよ。皓人がばらしても大したことにはならないっス」
「失礼な奴だな」
「みんなに負担を駆けたくないんスよ。出来ることは自分で全部したい。それだけっス。だから協力して、皓人」
「お前、無理するなよな」
「別に無理なんてしいないよ、するわけないよ」
時々、見せる可愛い顔がいつも僕をどきりとさせた。心臓を震わせた。
「無理なんてしないよ」
「うん。ならいい」
「えへへ」
空美は可愛かった。他のどんな女の子よりも。
「空美。変な噂が広まっているな」
「変な噂?」
「人間が柱になるとかならないとか」
「ううん。そうだねえ。困ったねえ」
空美は天を見上げた。
「まあ、そんなもの私が何とかするけどね」
「何とかできるのか? 柱なんて」
「出来るよ。今潜入捜査をしているっス」
「潜入捜査? どんな?」
「秘密っス」
確か、そんな感じだった。そんな会話をした。あの頃の記憶は果てしなく遠い。
空美の日記を開く。
『友達を作ったっス。とっても楽しいっす』
良かったな空美。よかった。
仕事上、友達を作れなかった空美。
その使命ゆえに。
友達は僕だけだったんじゃないだろうか。
友達が出来ても、仕事上、次々と別れなければいけなかった空美。
どこへでも潜入して、どんな親しい人とも別れてきた空美。
彼女の孤独を僕は知らない。
日記をめくる。
そこには彼女の真実があった。




