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変態オオカミと忘れた君 ラストワンダーランド  作者: 新藤 愛巳
第三章 旧校舎ときつねの物語
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八尾比丘尼(やおびくに)

 暗闇に沈み込む。富士の氷室の中に。氷室の中は水で満たされていた。

 辛い。塩辛い。海の水みたいだ。海の水。


 これでは休み休み息を止められない。長時間は持たない。

 短期決戦じゃないと勝てない。勝つ気でいるのか。地球掃除機相手に。


 勝つきでいる。

 負ける気がしない。


「たとえ、海美が狐に乗っ取られていたとしても、勝てないはずがない」


 僕は息を止めて黒鋼くろはがねを抜いた。

 チャンスは一瞬。


 海美は狐のお面をしていた。着物を着ている。

 長い帯を身に纏っていた。

 海美は刀を抜いた。その切っ先を僕に向ける。


「皓人!! なぜ、来た」


 冷たい視線が僕を射抜く。


「海美!」


 僕は水の上に顔を出し叫んだ。


 海美は美しかった。長い帯が綺麗だった。いつものネクタイがアンバランスだ。


「皓人! そこをどけ!」


「どけるものか。お前を連れて帰る!」


 海美は静かに僕の隣に現れた。瞬間移動。刀を抜く。


「そうはさせるものか。帰るものか。私様は地球を吸い取る」


「なぜだ。何があった! 帰ってこいよ!」


「何もない。ただ、意味のない物なら壊れてしまえ。そう言う境地にたどり着いただけだ」


「なぜ意味がない。僕らは地球のこの上で生をむさぼっているのに」


「意味はないよ。手始めに私様たちの町、生田を吸い取る」


「なぜそんなことを!!」


「憎いから。赤雪姫が憎いから。赤雪姫が守るものが憎いからだ」


 鬼気迫る形相。ピンクの唇がゆがむ。


「それはお前の気持ちじゃないだろう。狐の気持ちだ」


「狐」


 海美は静かに息をした。深呼吸をする。


「私様の気持ちも狐の気持ちも皓人にはわからないよ……」


 うなだれる海美。こんな海美、最近は見たことがなかったのに。


「わかる。理解する。理解してみせる。理解しなければこの道を進めないのなら僕は城壁ですら通すよ」


「理解できない。いくら親父殿が狐だって、皓人は私様たちを理解できない!」


「どうして!」


「皓人は空美が好きだからだよ」


 僕は泳ぎ損ねて水を飲んだ。


 辛い。


「自分の心を誤魔化さないで。皓人は空美が好き」


 ともにいた。半身のように。いいなずけ。


「あなたは好きだったんだよ。私様は知っている!」


 恋焦がれた。婚約を解消してからも。


「お前が俺の何を知っているっていうんだ」


「空美が赤雪姫になって一番苦しんだのは、皓人だからだよ」


 狐のお面から涙が流れる。


 頭が殴られたようだった。苦しかった。あの時は本当に後悔した。

 僕は空美を好きだった。愛していた。大好きだった。だった?


 今はそんな風な心でいるのか?

 もう、だったと言えるのか。それを海美は責めているのか。


「皓人は空美が好きだった。私様はそんな皓人が好きだったんだ!!」


「好きだったって」


「心変わりしたんでしょう。長い物好きになって、長い物が好きになって空美の事を忘れたんでしょう! 空美は今もあなたを好きなのに。大好きなのに! 心変わりをした。裏切ったんだ!」


「それはどういう」


 あいつの気持ちを僕は知らない。爽やかな奴。そんなイメージだった。


「私様は日記を渡したはずだ」


 日記。


「僕はまだ中身を読み切っていない」


「読め。空美は本気であなたが好きだったんだ」


「ならなんで地球を吸い取るんだ。空美の為か? だとしたらお前は!」


 空美のことしか考えていない。


「海美、お前は空美に捕らわれているんだ!」


 海美は顔をゆがめた。


「違うよ。吸い取るのは私様のためだよ。世界をリセットするの。全部リセットするの」


「リセット」


「全部吸い取れば、狐のおなかの中で全部一つになれる。苦しむこともないし悩むこともない。みんな一つ。暖かく幸せな気持ちでいられる。そんな幸福他にはないよ。そんな幸せ他にはないよ」


「海美、お前は洗脳されているんだ。狐に。それは狐の意志だ! お前の心じゃないんだ!」


「私様の心だ! これは私様のものだ!」


 海美は僕の手を振り払った。


「されてないよ。洗脳なんてされていない。私様は至極真面目に、一つになりたいと思っている。皓人と一つになりたい。赤雪姫を倒し、姉と、皓人と一つになろうと思っている」


「お前どうしたんだ、海美。前向きにお前らしくないぞ!」


 どうしてしまったんだ!


「だって、一緒なら争わないでいいもの。空美と争わないでいい。私様はね、空美がずっと邪魔だったの。何でもできて愛されて。私様はいつも見てもらえない。それを見てくれたのが皓人だった。励ましてくれたし怒ってくれたし、私様はあなたが大好きだった。なのに、あなたは空美が好きだった。私様の絶望がわかる? やっと見つけた宝物は空美の物だったの。空美のために準備されていたものだったの。私のものは何一つなかった。世界は空美が幸せになるように作られていた。空美なんていなくなれ。私様はいつしかそう願うようになった」


 狐のお面の両眼から海よりも塩辛い涙が流れる。


「そしてそれは叶ってしまった」


 叶ってしまった。少女の願いは叶ってしまった。


「どうして叶ってしまったの」


 血を吐くような声。哀しい声。


「そしてそれは地獄の始まりだった。私様が手に入れた事実は皓人が空美を本当に好きだったというそれだけだった。それだけ。私様は愛されていなかった。気にかけていてくれた皓人にも愛されてさえいなかった。愛してもらえなかった。私様は……」


「海美!」


「私様は誰からも愛されない。私様の心は八尾比丘尼のように醜い」


 八尾比丘尼。なんだ、それは。辺りを紳一郎さんの領域が満ちている。僕は小さな本のような領域を張った。ワンダーランドの記憶を探る。確か。


『皓人くん。漁師の家庭に育ち、人魚の肉を食い出家した尼の名前だよ。死ぬこともなくどこにも行く当てがなく世界中をさまよったらしい。哀しい話だね。八尾比丘尼の話は』


 頼光さんの声が耳元でする。


 八尾比丘尼、人魚の肉とはなんだ。嫉妬か?

 死ぬこともなく、何の隠喩だ?


 人魚、人魚。海。水。キーワードはなんだ。

 だけどこれだけは言える。


「海美。僕はその気持ちは受け取れない。残念だが」


「知っている。空美がいなくなって私様はほっとした」


「海美」


「私様は綱子が許せない。お姉ちゃんの居場所を奪った」


「綱子ちゃんは関係ない。あの子は生田に現れただけだ」


「関係ある。私様は綱子を許さない。空美が皓人の一番だったのに。許さない」


「綱子ちゃんは悪くない。悪くないんだ! あの子は寒くて震えていたんだ。大事な人を失って!」

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