何も言えない
僕は綱子ちゃんの高層長屋を訪ねた。
「綱子ちゃん」
「なによ。コンコンコン」
「狐にとりつかれているのか?」
「いいえ、これは風邪よ。コンコンクシャン」
「大丈夫なのか?」
「私に用なのね。最近出番がなかったから悲しいと思ってきたわ」
「それは気の毒に」
「しかし、気がついたの。出番がある時は辛いことや哀しいことが多い」
「確かにそうだ」
「そこで、あまり関わらず、遠くから見守る姐ポジションを確立しようと思って、今に至るの」
「もっとでてこいやー」
「そんな。活躍しろだなんて。皓人は私のマフラーが好きです」
「好きだよ」
「そんなものが活躍したらどうなりますか」
「どうなるんだい」
「皓人の精神が喜びで崩壊してしまいます」
「そんなに軟じゃないよ」
「本当?」
「本当だよ」
「解りました。同行します。海美が危ないのでしょう?」
「どうしてそれを」
「紳一郎です。皓人が私を迎えに来ると言いました。助けましょう」
「だから苦手なんだ、紳一郎さんは」
「でもそのおかげで私はあなたに同行できます。喜んでください」
「感謝するよ」
「皓人、私、本当について行ってもいいの?」
「どうして」
「これから行くところは修羅場だそうじゃありませんか」
頬がつやつやしている綱子ちゃん。
「うきうきしてはいけないよ。綱子」
「私、皓人の役に立ちたいの。役に立てるなら何でもいい」
「頼めるかな」
「もちろんです」
「綱子ちゃん、ところで頼光さんの事なんだけど」
「ええ。どうしたのですか、皓人様。なんでしょう。頼光様がどうされましたか? どうかされたんですか?」
綱子ちゃんが生き生きと目を輝かせた。
「お元気ですか? 食事はおとりになられていますか?」
「そうだね。よく本を読んでいるよ。書を書くこともあるみたいだ」
「書を。素敵ですね」
うっとりする綱子ちゃん。
「皓人様も書を書きませんか?」
いい感じに壊れている君。わかる。君は今でも頼光さんが好きなんだ。
だから僕は何も言えなくなる。
「いや、なんでもない。今すぐ行こう。蒸気新幹線に乗って。さあ出かけよう」
僕らは支度を整えて、蒸気新幹線に飛び乗った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
富士のふもとには紳一郎さんが待っていた。
「待っていたんダナ。皓人」
「また、紳一郎さんの手のひらの上かよ」
「皓人はそんな言葉づかいをなさいません」
「ごめん、ごめん。手のひらの上だね」
思わず言い直す。
「それで、今回のことも仕切っているんだね。紳一郎さん」
「解っているくせにダナ」
「お給料は出るんだろうね」
「成功すればそれ相応の物を出すよ。今回は無形が役に立つ」
「無形が」
綱子ちゃんは何度もうなずいている。
僕が綱子ちゃんを連れてくるのも計算のうちか。
「僕等は状況がまだうまく呑み込めていない。海美はどこに」
「この先にいる。私でも近づけない。しかし、お前なら、きっとたどり着けるんダナ」
「僕なら」
どうして。
「積み重ねてきたものがあるからだよ」
積み重ねてきたもの。
「友情か?」
「愛情もあるだろうね」
「家族愛か?」
「君って奴は」
頭を振る紳一郎さん。
「本当に……そこが、そこだけが計算外なんだが」
「どういう意味だ」
綱子ちゃんは悲しそうな顔をした。
「あなたはあなたのことがわかっていません」
そんな悲しいことを言うな。
「綱子ちゃんだって僕のことが解っていない」
「私はわかっています!」
「君は!!」
「そこまで」
紳一郎さんは僕らを止めた。
「そこまでだよ。そこまで。いがみ合っていては勝てるものにも勝てない。簡単に勝てる勝負だったはずなんだけどね」
「海美を犠牲にしてか」
「そうだね。それしか道がなかったんだよ」
許せない。
「そんな道なんて僕がぶっ潰してやる!」
綱子ちゃんは目を輝かせた。
「それでこそ皓人です。ぶっ潰しましょう!」
「綱子ちゃん」
僕は深呼吸して満月狼の力を使うことにした。
「まずは息を止めて、相手の出方を伺い、防御の姿勢を取って僕のワンダーランドで説得する」
綱子ちゃんは僕の手を握った。
「御武運を」
「ああ。ありがとう。行ってくる」
強く手を握る。アンバランスな心で、君を想う。それだけで僕は救われる。
救われるんだ。