富士の下で
「あなたは」
「俺は西洲斎写楽。まったくやんなるよな、こんな辺境の地で。俺はあんたの絵を描かなきゃならない」
「皓人の今の父親か。それはどういうことだ? 私様は王子様だぞ」
「絵なら描かれ慣れているか。でもこの絵は一味違うぜ。あんたと殺生刀を封じるための絵さ。海美ちゃん。哀しいね。こんな再会になるなんて」
「封じられれば私様は」
「ぺらっぺらの紙になる運命だ。皓人は俺を許さないだろうな」
「どうしてそんな」
「赤雪姫の命令だよ。俺は昔、再来にこっぴどくやられてね。それ以来、仕事を手伝っているのさ。特にあいつには逆らえない。赤雪姫の能力は催眠だ。解っちゃいる。解っちゃいても逆らえない。だって、催眠だぜ。解んないようにかけられているんだ。俺たちはただ、ホイホイわかりましたと動くだけなんだよ。お嬢ちゃん」
「そんな馬鹿な」
「馬鹿で結構ほら吹くほど俺も安くない。あんたも俺も使い捨てカイロだよ。哀しいね」
「姉はそんなことは」
「赤雪姫はあんたの姉じゃない。あんた自身もよくわかっているはずだ。血の中に生まれる英雄。あんたの姉は綱引きで負けたんだ。負けちまったんだよ。何もかも全部遅い」
「遅い……そうだろうな。私様はいつも遅いんだ。私様が戦っていれば皓人も、満月狼にならずに済んだのに。だけど私様はほっとしたんだ。お姉ちゃんと皓人が、いいなづけじゃなくなってほっとしたんだ。だからこれは罪で罰だ。笑ってくれ」
私は王子様なんかじゃない。魔女だ。
「お前後悔してきたのか。後悔なんてろくなもんじゃねえ。明るい夢を見ろよ。良い夢みてりゃこんなことにならなかったのによ。残念だな。折角の美人が。薄運ってか」
「あなたは再来に会ってどんなひどい目に遭った?」
「放浪しなけりゃならなくなった。放浪しなけりゃしんじまう。再来は俺の敵であり、俺の命綱を握っている化け物だ」
「再来は化け者なものか。皆を守っているのに」
「本当に?」
写楽は笑った。
「心の中ではあんたも葛藤しているはずだ。そうだろう。海美ちゃん」
私様の中で脳内会議が始まる。
『やっぱり赤雪は化け者なんだよ。怖い』
『世界を守っているんだよ』
『人間の中に化け物が住んでいるんだ』
『化け物が人を救うの?』
『狂っているんだ』
『そんなものが人を救うの?』
『オカシイよ』
『何万年も生きてきて、狂ってないはずがないんだよ。狂ったらそれはもう間の者だよ』
「あああああああぁぁぁあ」
私様は頭を抱えた。
「考えるな。お嬢ちゃん。考えてはいけないと命令されているんだ。だからよけい混乱する。あいつは人の精神を操る。目的のためには手段を択ばない」
「そんな」
「あいつらは何回も生きている。何万回も積み重ねて生きているんだ。その質量は俺たちの比じゃない。あいつらは重い。重い奴らだ。あいつらみんな化け物だよ」
「どうしてあなたはその化け物に従う?」
「俺の娘を守ってくれるからかな」
「どうして放浪する羽目になった」
「弱みを握られているんだよ。俺の娘たちは、人じゃない。間の者だ。ただしまだ狂っちゃいない」
「そんな馬鹿な。狂わずに間の者が存在できるはずがない」
「それが俺の場合、ちょっと事情が違うんだ」
「どう違う」
「当然の結果だよ。俺は狂わなかった間の者なんだ。安倍清明、知っているか。あれの生まれ変わりなんだよ。再来なんだよ。俺もリフレインなんだよ。まだ数回しか生まれ変わっていない。その上、主体は人の俺にある。俺は狐の間の者と人間のハーフだ。おかげで狂わなかったが、生まれ変わって、初めて惚れた女に産ませた子供が間の者の血をひいていたんだ。俺は軽く絶望したね」
「それであなたは」
「再来たちにこき使われる身を選んだんだ。俺とてもとはハーフだ。あまりよくは思われていなかった。反目することさえあった。それがこうしてこき使われているんだから俺も丸くなったもんだ。だから皓人には同情する。あいつの精神力の強さは鋼だ。だから、間の者になっても折れない。そいつがダメージを食らうことがあるとしたら、精神にだろう。あんたにあいつのことを頼みたかったが、そうもいかなくなった。紳一郎、銃マスターの領域、絶海ではこの殺生刀を拒絶できない。出来るのは変化の領域を持つ、海美ちゃんあんただけなんだ。だから、あんたを紙にしてこれを封じる。残酷なようだが、今はこれしかすべがない。紙にしたあんたを燃やさないだけましだと思ってくれ」
「どうしてそこまでしゃべった?」
「放浪しているからね。誰かに話を聞いてほしかったのさ。一つ所にとどまれないってのは寂しいもんさ。休める羽根を持たない鳥ってのはどこにとまりゃあいんだろうね。俺の翼はもうくたくただよ」
私様は考える。
「西洲斎写楽。あんたは私様たちに陣営なのだな」
「そうだよ。君たちの陣にいる。君たちの陣で君たちのために動く存在だ」
「ならこの日記を皓人に」
「これは?」
「私様の姉が付けた日記だ」
「お姉ちゃんの日記か。預かっておこう。伝言はあるかい?」
「『見ればわかる』それだけでいい」
「死ぬまで封じるか。そんなことを手伝わなきゃならない俺は罪悪感満載だけどね。だけど、だからこそ、この作戦は成功させなきゃならない。悪く思うなよ。お嬢ちゃんは恋をしたことはあるか?」
「ある」
ただ一人、皓人に。
私様は心が弱かったから。憧れた。折れない精神強い心。憧れてああなりたかった。それがこじれて王子様。本当の私様は弱い。本当の私様は皓人が大好きだ。綱子のように甘えたいがそうできないでいる。
甘く柔らかい心を持っているのに、その態度を表に出せないでいる。
私様の生き残は鎧だ。甲冑を背負った乙女。
『皓人のことが私様は好きだ』
最初の記憶は子供の頃。愛犬を無くした時だ。
「いいか、海美。こいつはまだ死んでない。生きてもいないけど、ずっとお前の傍にいるから。お前の成長を見守ってくれているから。だからもう泣くなよ! 馬鹿野郎!」
「泣いてないよぉ」
「泣いているだろうがよ! こいつは悲しいのがわかるんだよ」
そう言って皓人は号泣した。私様はさらに泣いた。
「ねえ、なんであなたも泣いているのぉ、皓人?」
「うるさい、海美。僕が泣いているんじゃない。犬が泣いているんだ! お前が泣いているからだよ。解んないのかよ!」
「私様が?」
「お前が泣くと犬は悲しいんだよ。犬は空気になって世界を巡るんだよ。お前のところにだって遊びに来るんだ。だってずっと一緒だったんだろ。哀しむなよ。楽しかったこと思い出せよ。その方が犬も笑えるんだ。お前と一緒にいて本当によかったって。大好きだったって笑えるんだ。だからたのむ。もう泣くなよ。僕はお前が泣くのを見るのがつらい」
「皓人」
大好きだよ。大好き。あなたが好き。優しくて強くて。私様はあなたが好き。
「空美と喧嘩したんだって?」
「だって、お姉ちゃんは何でもできるの。私様はうまく出来ないから喧嘩になっちゃうよ。しょうがないでしょう?」
「それはお前が悪いな、海美」
「どうして?」
「だって、お姉ちゃんはお前より一年、年上なんだぞ。一年分何でもできるんだ。比べるっておかしな話だぜ」
「でも、才能が、私様には攻撃の才能がないの……」
「お前の才能は別にあるだろ? 空美に当たるのは間違いだ。お前、守りが上手じゃないか。守れよ。みんなを守れよ」
「みんなを?」
「それでいっぱいの人間を笑顔にするんだ。良いだろう。お前が守れば天下無敵だぜ!! そうなれよ。約束だ!」
「皓人」
皓人はいつも私様に気付かせてくれる。新しい道を示してくれる。
あれは三年前の冬だ。