旅立ちの秋
大事だった。僕の元許嫁。大事じゃないはずがない。
海美は空白な顔をした。その顔は青白かった。
「いろいろ思うところがあってな。姉は死んだものだと思おうと思っている。お前も割り切った方がいい、皓人」
そんな。
「何があった。この前とまるで意見が変わっているじゃないか」
「何も」
思わずため息を吐く。
「割り切れたら、ときどき赤雪姫と戦ったりしないんだよ。割り切れてないのはお前のほうだと思っていたよ」
僕が遠慮しているのは海美に怪我をさせたからだ。それ以来、赤雪姫に戦いを挑んでいない。
「あなたが思い出したように横志摩邸に戦いに来たりするから、赤雪姫はお前を憎んでいる。だから今回の件でもあんな目に遭ったんだ。私様的には迷惑だ!」
「大切な友達だったんだ。助けられるものなら助けたいと思って当然だろう」
「だけど、姉さんは! 姉さんがそれを望んでいないかも知れない……」
「そんなことわかるわけがないだろう」
僕らは草原に座り込む。ここは川縁の公園で子供らがジェットローラースケートに興じている。平和だ。
「皓人。みんな間の者のことを知らない」
「そうだね」
「私様はこんな風景なんてどうでもいいと思ってきた」
「海美」
「私は世界を守ろうと思う」
「どうしてだ。どうでもいいって言っていたじゃないか。俗世なんて」
「確かにそう言った。しかし、私様は守るしか能がない。綱子と出会って気がついた。自分の戦闘力のなさに。あいつの戦闘力が五千デシベルなら、私の戦闘力は五十デシベルだ」
「なぜに騒音の単位!」
「綱子は爆音。私様は消音だ!」
「お前だって爆音だよ!」
海美はふっと笑った。
「ともかくだ、皓人。お前が前と違って手いっぱいになってきているのがわかるんだよ」
「どういう意味だ」
「今までお前は親戚しか好きじゃなかった。しかしその交際範囲が変わってきているんだよ」
綱子ちゃんが笑って真里菜ちゃんが笑って妹たちが笑って、この後、勅使河原君たちも来る。
「前向きになんと!」
「あなたさ。あれも守るこれも守るで、とんでもないことになっていないか」
「そうは言っても、今のところは平気だけど」
「そう、皓人。現状では問題ないかもしれない。だけどこれからきっとお前は守るを口にする機会が増え、それにつれて仲間が増えて、仲間の危機も増えていく。守るべきものをちゃんと守れ。私様が言えるのはそれくらいだ」
「ありがとう。海美。お前は良い奴だな。どうしたんだ改まって」
「なに。いつかまた会えるさ。それだけのことだよ。あなたにも私にも、何の英雄も棲まなかった。英雄の子孫なのに。それが幸か不幸かわからないが、やるべきことがあるというのは幸せなことだと私様は思うよ」
「どうした。今日は饒舌だな」
「近しい物としての忠告だ。さて、今日はお前の妹のハムスターで飽きるほど遊ぶか」
「いい加減に飽きろよ」
「ハムケツは癒し」
「癒しなもんか。着せ替えばかりしやがって」
「着せ替えはハムの命」
「お前の命だよ」
勅使河原君に琴ちゃんに柳瀬君が野菜を持ってくる。
「佐伯、天然シイタケ持ってきたぞ。ホイル焼きにしよう。醤油を落とすと旨いぞ~」
「長い櫛を差してくれ」
「仕方ない奴だ。何本刺してほしい」
「美しく一本」
「わかった。解った。海美ちゃんも食べよう。佐伯も早く」
「今行く。ともかく。帰ってからお前とは話し合うからな」
「あまり期待せずに待っていろ」
僕の妹たちが叫んでいる。
「牛肉ってなんて美味しいの」
「にいに」
「それは幻の肉だ。滅多にこの世にあらわれない貴重品だ」
「いっぱい食べる」
「味わって食べる」
双子の妹たちは必死だ。他のメンバーを押しどけて食べている。
「妹たちよ。人が変わったようだ。誰がお前たちをこんなに夢中に」
「皓人よね。皓人の仕業よね」
綱子ちゃんのツッコミが響く。
勅使河原君が手を振った。
「凄いことを考えたぞ、佐伯。これからゲームをしよう」
「何のゲームだ」
「玉ねぎを最後までむいて涙を流さない奴が景品を貰うのはどうだ」
「何のゲームだ、勅使河原君」
「涙腺が強い奴を定める企画だ」
「勅使河原君、そんな企画何の意味が。みじん切りの方が泣けるぞ」
「じゃあ、みじん切りで。佐伯、手始めに中務真里菜を泣かす」
「それでどうする」
「写真を撮ってスタンプにして売る」
「あれは絵じゃないと駄目だろうが」
「そうなのか」
「しかし、なぜ真里菜ちゃん」
「中務は天使だ。人気もある」
「確かに。ならば綱子ちゃんは」
「切り込み隊長だ」
「海美は」
「ゆがんだお嬢様」
心なしか勅使河原君の頬が緩んでいた。そうか、そう言うことか。
「よし、誰が泣かないか勝負だ」
「商品は私の物よ、皓人。もちろん、うどんですよね」
「グラタンはどうした」
「グラタンなの?」
「勅使河原君、商品はなんだ?」
勅使河原君は大きな紙袋を掲げた。
「クマのぬいぐるみだけど。どうだ、可愛いだろう?」
ユーモラスな顔をしている。
「琴の発案なんだ。良いだろう」
綱子ちゃんが真っ直ぐ手を上げる。
「それを売ればうどんが食べられるわ!」
「誰に売るんだ」
「もちろん。皓人」
妹たちは喜んだ。
「綱子ちゃん、頑張れ」
「綱子ちゃん、素敵。カッコいい!!」
「君たちも参加するか?」
勅使河原君は頬を緩める。
「五歳にみじん切りは無理」
「なら、佐伯にみじん切りにしてもらえ」
こうして女子全員で泣かない我慢大会を行った。
行ったが、綱子ちゃんのたまねぎのむき方が滅茶苦茶だ。
破滅的に不器用だ。皮が辺りに飛び散っている。どうやったらそうなる。
「皓人、これは玉ねぎじゃないの。爆発生物です」
「玉ねぎだよ」
「宇宙から来た謎の生物です」
「玉ねぎだよ」
僕の隣で真里菜ちゃんは笑顔だった。
「先輩。任せてください」
真里菜ちゃんは玉ねぎに慣れていた。料理の天才か。魔法のようにみじん切りが出来ていく。
「得意なんですっ」
肩を落とす勅使河原君。
「中務の泣き顔は売れると思ったのに」
「勅使河原君、前向きに肖像権忘れているよ。法律に引っかかるぞ」
その隣で海美は叫んだ。
「私様の包丁の切れ味は天下一品!」
素早いみじん切り。涙の出る暇もない。何てことだ、こんな包丁さばきがあったとは。
まるで刀を振り回しているようだ。
結果、一番泣かないのは海美だった。
「演劇部の勝利だな」
「いや、武道の勝利だ」
対して一番よく泣いたのはうちの妹たちだった。綱子ちゃんよりうちの妹たちの方が玉ねぎの皮むきは得意だったという恐ろしい事実を残して。
「認めません、断じて」
「認めてくれ。間違いないよ」
妹たちはうわんと泣いた。
「商品欲しかった」
「景品欲しかった」
「にいに」
「お兄ちゃん」
「買って、買って」
「クリスマスにな!」
出来ない約束をする僕だった。
僕らは結局、大人数でバーベキューを楽しんで家路についた。
綱子ちゃんは神妙な顔をしていた。
「海美、早く済ませて帰って来て」
「必ず帰ってきてくださいねっ」
真里菜ちゃんは笑顔だ。綱子ちゃんと真里菜ちゃんはいつの間にか仲直りしていた。前向きに何があったんだろう。
「チャットファイトです」
「嘘をつけ」
「キャットファイトです」
「それも嘘だろう」
「秘密よ」
「教える気がないのかい!」
「ドックカフェよ!」
「それは癒されるな!」
海美は遠くで手をふった。
「どこかにいくの? 海美ちゃん」
双子の妹たちが心配する。
勅使河原君は不安そうな顔をした。琴ちゃんと柳瀬君が見守っている。
「私様は必ずここに返ってくるから待っていてほしい。約束だ」
海美はそう言い残して旅立って行った。
今年の秋の事だった。




