思い出は雪のように
昔の夢を見る。昔の記憶を見る。
天を雲が這う。良い天気の日だった。
日よけの麦わら帽をかぶり、長い三つ編みの空美は微笑んだ。
あの時、僕は草原に立っていた。
「約束しよう。皓人。私はどんな時もお前を守るっス」
「なんだよ。僕だってお前を守るよ」
「皓人は弱いんだから、私に守られていればいいっスよ」
「僕はお前を守りたい」
「いいから、いいから」
長い黒髪、黒いニーソックスの空美は大笑いした。
「私に任せるッス。なんでも私に任せていればいいっス。皓人は私のお姫様っス」
「それは全力で否定するぞ!」
「ははは! めげない、揺るがない、動じないっス!」
明るかった、空美。元気だった、空美。
お前が何かに悩んでいるなんて気づかなかった。僕は馬鹿だ。
【戻せない 時の流れと 後悔は】
空美は赤雪姫に乗っ取られた。
僕は赤雪姫に戦いを挑んだ。赤雪姫の赤い糸を根元から断ち切ろうとした。しかし、赤雪姫の攻撃ですぐに弾かれて彼女を取り戻せなかった。
その戦いに海美をつきあわせたことを僕は今でも後悔している。
僕は狂った赤雪姫が嫌いで赤雪姫も僕らのことが嫌いだ。
僕らはずっと憎みあう。空美を取りかえせば、赤雪姫は存在できないだろう。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
転がり出るように元の世界に帰ってきた。
旧校舎は燃えている。ああ。
どうすればいいんだ。
『危なかったね』
僕の図書館の中から頼光さんが呟く。
『赤雪姫は狂っている。君たちは彼女を相当怒らせたんだね』
「そうですよ。怒らせてしまったんです」
『綱出は赤雪姫と仲が良かった。どうなるかわからないね』
それは気が重い。
「あなたとはどうだったんですか? 頼光さん、あなたとは」
『そうだね。それなりに仲は良かったけど、今の僕が何を言っても無駄だろうね』
「どうしてですか?」
『思考の嵐を感じるからだ。彼女の想いを感じる。頑なな何かを。それはもしかしたら、前世に関係するものかもしれないね』
「どのみち、僕には関係のない事です」
『そうつれないことは言わないでくれ。僕にとっては彼女も大切な仲間の一人なんだから』
英雄は総じて群である。人格を宿していても、群である。一つの意志である。
『僕らは世界を救うという意思を持っている。その意志しか持っていない。世界を救うためならなんだってするのが英雄と言う人格だ。神のために働き、神のために生きるのが英雄の生き様だ。そこに個人の生死は含まれない。かすんでしまう。君がいくら友達を助けたくても、英雄は世界を救うためなら、なんだってする。世界の為なら他人を切り離してしまえる。それが英雄なんだよ。君の友達はあきらめてくれないか』
「頼光さん。あなたは綱子ちゃんのことがどうでもいいんですか?」
意見をすり替えている。僕はずるい。
『そうは言っていない。あの子は僕の大切な守るべき子だ。それにね。僕は……』
「なんですか」
頼光さんは笑った。
『僕は君たちのためなら頑張れるんだよ。困ったことがあったら言いなさい。赤雪姫関連以外なら助けてあげられるよ。源頼光はこう見えて意外と頼りになる男だよ』
「どうして」
『僕も英雄だからね。赤雪姫の気持ちもわかるんだ。もちろん君たちの気持ちも。だから僕はいつでも中立だよ』
「それならいっそ前向きに突き放された方がましです」
『我が儘を言わないでくれ。君は聡明な少年だろう? 綱子の事はもちろん大事だが、神を守ることも大切なんだ。稚日女尊を大事に思っている君ならそれがわかるだろう』
「頭では分かっているつもりです」
『それ以上のことを赤雪姫が君たちに何かするつもりなら僕だって黙っていないよ』
「それを聞いて安心しました」
『僕はね。みんなが笑っていられる夜を作りたかったんだ。だから、間の者とだって必死に戦った。後悔はしていないよ』
「そこにあなたの幸せはあったんですか?」
『僕は家族を置き去りにしたからね。家族は僕を恨んでいるかな』
「家族がいたんですか?」
『僕も人の子だよ。細胞分裂で生まれたとでも思っていたかい?』
「いいえ。でも、厳密に言えば細胞分裂でしょうね」
『そうだね。君と話していると時間を忘れそうだ』
頼光さんは楽しそうに笑った。
『あはは。楽しいなあ』
「何がですか」
『こうして君としゃべることは非常に楽しいよ』
頼光さんは嬉しそうだった。
『君は優しいね』
「優しいは優柔不断と同じですよ」
『それを超えて君は何かをなす人だと信じているよ』
「前向きに買いかぶりすぎじゃないですか?」
『僕は綱子を任せたんだよ。君にはしっかりしてもらわないと困るよ』
「ありがとうございます」
素直な気持ちで思う。僕は頼光さんに感謝する。
この人はいつも僕の心を解きほぐしてくれる。
気がつくと海美が起き上がっていた。
「暢気におしゃべりか、皓人。私様の危機に」
「危機だからだよ。危機だから心をほぐしてもらったんだ。旧校舎は」
「燃えたよ。後も残らない」
気がつくと山之上紗枝さんの妄執は光輝いていた。
『ありがとう。これでやっと帰れる』
「礼を言うのはこっちの方だ。前向きに気がついてくれてありがとう。緒方さんによろしく」
『うん。壊れているって言われて目が覚めたの。ありがとう』
妄執は光輝きながら飛んでいく。
『さようなら。お姉さんに会えるといいわね。海美ちゃん』
僕等は深呼吸する。
「海美、あの時の気持ちは演技じゃないんだろ」
「そうだな。本音はいつだって帰ってきてほしいんだ。私は姉に」
そう。空美のあの事件は僕らが担当した中でも、前代未聞の事件だった。
そして最悪の事件だった。町中を巻き込んだ人柱の事件だった。
そのことを語る舌を今の僕は持たない。




