表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
変態オオカミと忘れた君 ラストワンダーランド  作者: 新藤 愛巳
第三章 旧校舎ときつねの物語
44/141

妄執

 私様は海美だ。あれから三日ほど経った。

ひょんなことから、私様は皓人と二人っきりになった。


 ここは旧校舎で長い廊下を現在歩いている。別にどうってことはない。こんな長い廊下など意味はない。その廊下を歩いて隣でうっとりしている男のことなどどうでもいい。忘れよう。この男の長い物好きは異常だ。


二人で歩いていると理科室の前、目の前に人体模型が現れた。フラダンスを踊っている。

 私様はこういう物が苦手だ。叫びそうになったところで皓人は私様の腕を握った。


「大丈夫か? こっち歩けよ」


 皓人は不気味な人体模型から私を遠ざける。

 なんだろう。ドキドキしてきた。


 こういう時はいつも私様的脳内会議が始まるのだ。


『皓人は私様にいつか床ドンをするかもしれない』


『はっ、駄目よ。海美。床ドンだなんてはしたない。床に追い詰められてドンだなんて。私様らしくないわ』


『何をいっている。皓人を追い詰めればいいんだよ。追いつめてドキドキさせよう』


『無理、無理。私様、そんなこと出来ない』


『できる。お前ならできる、海美。お前ならやれるはずだ。やってしまおう』


『だめよ。無理! 出来ないっ』


「どうした、海美」


 気がつけば皓人が私様を覗き込んでいた。


「別に」


「今人格変わってなかったか?」


「変わるわけがないだろう。私様は王子様だぞ」


「そうだったな。昔は可愛かったのにな。間の者なんて怖くて倒せませんって」


 昔の私様は弱かった。でも満月狼の事件があった。あれから私様は変わった。


「強くなってはいけないか?」


「いけなくはないけど。無理はするなよ。僕だって頼りにしろ。僕もお前を頼るから」


「皓人」


「【前向きに 持ちつ持たれつ 持たれっぱなし】」


「それ川柳じゃないだろう! 皓人」


「海美。五、七、五にこだわるってなんだ。五七五ってなんだ。なんなんだ」


「それが川柳だろう」


「五七五ってなんだろう。美しい、あまりにも美しい旋律だ。しかし、これをわざと崩した時も、その音の美しさが非常に美しく心に響く……これが……字余りの美しさ。最近僕は字余りにはまっている」


「もう、もういいよ、皓人」


 私様はあきれた。私様はハムスターが好きだが皓人の趣味にはついて行けない。


「変態め」


「悪かったなあ、変態で」


 私様たちの会話はそこで終わる。


 私様は皓人に負い目がある。しかしそれを差し引いて対等でいたいことに変わりはない。


「皓人。私様たちの仕事は常に死と隣り合わせだ」


「ああ」


「だから、今回の件で命を落としても所詮、私様がそれだけだったということだ」


「ああ」


「だから、この件で私様がどうなったとしても問題はない」


「そうはいかない」


 皓人は私様の手を掴んだ。顔が熱くなる。

 おかしいな、また人体模型が廊下の真ん中で笑っている。


「そうはいかない」


 胸が苦しくなった。皓人が誰を好きでも空美にはかないはしないのに。

 そんなことを考えて立ち止まる。


 残された教室を一つ一つ調査していく。

 この校舎はマンモス校だった。教室の数も多い。私様はひとつひとつの教室を見て回る。


『帰って来てよ』


 私様は立ち止った。


「皓人なんか言ったか?」


「何も」


『帰って来てよ』


 気がつくと天井までいっぱいのフンドシの狐が私様たちに迫って来ていた。

 細い狐の目がにこりと笑ってバルーンのように膨らむ。


「皓人。前だ。前を見ろ」


「え?」


 気がつくと隣にいたはずの皓人がいなくなっていた。大きな狐が降ってくる。

 狐の領域。


『帰って来てよ!!』


 私様は感知系ではない。何が起こっているのかわからない。

 私様は大きな狐の下で訳が分からなくなった。圧倒的質量に押しつぶされる。

 助けて。


     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆


 佐伯皓人であるところの僕は静かに立ち止まった。


 隣から海美の気配が消えた。


「海美?」


 何も感じなかった。ただ、海美だけがすっと消えた。


「海美」


 周りを探す。空間を読む。いない。どこにもいない。


 敵の領域もない。


「海美!」


 僕は床から糸を召喚した。たくさんの糸が僕に絡みつく。痛い。思わず、叫び声をあげる。


「フンドシの狐はどこだ!」


 黄色い糸が暴れまわる。僕が掴んで糸は僕の指から暴れ出て逆に僕を締め上げた。ぎりぎりする。


『帰って来てよ。帰って来てよ』


「誰に!!」


 何もない教室に大きな狐の影が伸びる。


『だいじょうぶ。もう帰ってきたよ』


 その一言を残し、黄色い糸は去って行った。海美。

 僕は必死で走る。暴れる黄色い糸を握りしめて、走る。


 教室を抜け、美術室に糸は向かっていく。


 僕は美術室のドアを開ける。旧校舎の美術室には押しピンで貼られたベートーベンの隣にある肖像画が飾られていた。


 海美そっくりのその肖像画の題名は。


「山之上由里の肖像」


 柔軟で優しいタッチで描かれている。


『帰って来てよ。由里。帰って来てよ、由里』


 黒い影が絵を描いている。それはフンドシをした狐の絵だった。黒い影はクロッキーデッサンで大きな、狐を仕上げていく。


『帰ってきて。帰って来てよ。由里!』


 僕はその影の隣に並んだ。言うんだ。言うんだ。


「お取込み中のところ、ちょっといいですか。山之上紗枝やまのうえさえさん。いいえ、緒方紗枝おがたさえさん。あなたを今から呼びます。海美を連れて行くのは少し待ってくれませんか?」


 黒い影は振り返った。顔をぎちぎちと回す。


『緒方って誰? 私を呼ぶ? どういう意味よ。教えなさいよ』


 影はわんわん吠えた。


「だからあなたを呼ぶんです。旧姓、山之上紗枝さんを。そして本当のあなたを呼ぶんです」


『何を言っているの? 私はここよ』


「あなたはここです。でも、あなたは同時にサヌキにもいます。存在します」


『どういう意味?』


 うまく説明できるだろうか。僕に。


「昨日の晩、サヌキに電話をしておきました。そんなに狐の絵を描いてもあなたの妹さんはもう帰ってきませんよ。幽霊はやっぱりいないんです」


 顔の前で衝撃が弾ける。


『何を言っているの?』


 黒い影は天井まで伸びた。ゆらゆら揺れる。


『あなたは私の何を知っているのおおぉぉぉぉぉ』


 影は美術室いっぱいの大きさになった。

 僕は幽霊を見たことがない。幽霊はいない。


 今回の事件に関するいろんな資料を見る際、常に黄色い糸が絡んできた。黄色い糸は妄執の色だ。人間の凝り固まった魂の色だ。


 幽霊じゃない。間の者ではない。では何であるのか。人の意志。


「あなたの思いがこの旧校舎をループさせゆがめているんです。海美を返してください」


 そう、長い廊下ではなかった。同じところを回っていたんだ。僕らは。


『何を言っているのか意味がわからないぃぃぃぃっ』


 僕は真実を言わなければならないと思った。


 蒸気携帯をある場所にかける。


「もうすぐこっちにつくそうです。緒方紗枝さんが」


『だから何を言って!』


「あなたの正体は緒方紗枝さんです」


 瞬間、影は爆発した。中から恨めしそうな顔をした少女が現れる。


『私は山之内紗枝よ』


「そう。あなたは山之上由里さんの姉の紗枝さんです。紗枝さんの妄執です」


 そう。話は簡単なことだ。


「山之上由里さんは海美のように王子様タイプの少女で登山が好きだった。しかし、ある日、遭難して家に帰って来なくなった」


「黙れ!」


「緒方さんに聞きましたよ。妹さんは子供の頃、狐の絵ばかり描いていた。あなたは妹さんにフンドシをした狐のキャラクターを書いてあげた」


『ええ、そうよ』


 山之上紗枝さんは僕を見上げた。


『妹は死ぬ一週間前に狐を見たと言った。フンドシの狐の妖怪。それがこの校舎で暴れた』


「あなたはこの絵を描き続ければいつか妹が帰ってくるのではないかとそう思った」


『帰ってきたわ。妹は今日、帰ってきたじゃない』


 うっとりする紗枝さん。


「それは妹じゃない! あなたの妹じゃないんです!」


 僕は海美を助ける。妄執なんかに渡さない。


「彼女は僕の従妹です。あなたはここに訪れた自分の妹に似た人たちに狐の幻を見せた。本物の妹を捜すためです。君は妹によく似た人を求めてさまよっている、それだけなんだ。海美を解放してください。みんなが死んだのは偶然だ」


『この子は絶対に渡さない。渡さないわ。だって帰って来てくれたんですもの。私のところにいいいいいいいいいいぃぃぃ』


 辺りの空間がゆがんでサイケデリックな異空間に変わっていく。前向きに困ったぞ。


 どうしたらいいんだ。人間の妄執なんて倒したことがないぞ。


「くそ。退治するしかないのか!」


 僕はこの空間に領域を張った。領域をつなげて異空間の中にドアを作る。ワンダーランドへの道を作るのと同じ要領だ。同じ原理を使って異空間化した美術室にドアを作った。外へと通じるそのドアを。


「僕の領域でこの空間にドアを作った。今すぐ海美を返せ。早く!」


『どうして。折角帰ってきたのに。折角。どうしてダメなの?』


 話が通じない。こうなったら妄執を倒す。僕が黒鋼に力を込めた時だった。

 赤雪姫の狂った声がこの空間全体に響いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ