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変態オオカミと忘れた君 ラストワンダーランド  作者: 新藤 愛巳
第二章 うそつき人形と真っ暗オオカミ
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三春の桜

 真里菜ちゃんは真っ赤なキャリーバックを手に僕の旅行についてきた。


「先輩、学園物はどうしたんですかっ。学園から飛び出していますよっ」


「後からやる。今は忙しい」


「私は学園物が好きですよっ」


「僕だって好きだが今回はそうはいかない」


「最終的に学園物になるといいですねっ」


「うん。前向きにそう思う」


 僕らは蒸気電車に飛び乗った。


「忙しいって、桜を見に行くんですよね。季節外れの桜の落ち葉を」


 それが。


「三春桜を探しに行く」


「枝垂桜ですかね?」


「知っているの?」


「有名な桜ですよ。ここ二年ほど元気がないらしいですっ」


「そうなのか?」


「どうしたんでしょうね」


 うーん。関係なかったらどうしよう。

 生活費使って旅行だなんてどうしよう。心臓が爆発しそうだ、前向きに。


「旅費は持ちましょうかっ? 出世払いですっ」


「僕は何に出世するのかな」


「出世すると名前が変わるそうですよっ。そう言えば、最近は変態狼と呼ばれていましたよねっ」


「前向きに忘れてくれ」


 悪気がないって恐ろしい。

 真里菜ちゃんは子犬のような目を僕に向けている。


「旅行楽しいですねっ。駅弁食べますかっ」


「真里菜ちゃん。前向きに君のおごりの北陸の幸弁当がうまい!」


「でしょう、でしょうっ。嬉しさのあまり血の涙を流さないでくださいっ」


 悔しい。


「妹たちに食べさせてやりたかった……」


「そう言えば妹さんたちは誰がお世話をっ」


「海美に頼んできた」


「海美さんに? 大丈夫なんですか?」


「妹たちは大丈夫だ!」


「妹さんのハムスターは……」


「わからない」


 僕は肩を落とす。うちの従妹はハムスター好きだ。妹たちの飼っているハムスターがやつれていくのは忍びないが、他に適任がいなかったのだ。


「いや、適任じゃないかもしれない」


 海美には致命的な欠点がある。


「ひょっとして味音痴ですかっ?」


「逆だ。味のスペシャリストだ。鍋の中に落とされた一滴の醤油の存在を察知する優れた舌で、趣味は料理作りだが」


「だが?」


 真里菜ちゃんは不安そうな顔になる。


「時間がかかるんだよな……」


 ラーメンなんか一週間かけて作るタイプだ。その待ち時間が僕はたまらない。しかし、うちの妹たちは待てない子たちなのだ。


「ああ、なるほど。海美さんはこだわり派なんですねっ。想像できませんっ」


「うん。牛丼ですら三時間。まずは牛から選びに行く」


「想像できますっ」


 手際は悪くないが、妹たちとうまくやっているのかどうかはかなり心配である。


「案ずるより、うん、簡単ですよっ。何とかなりますよっ」


「そんなことわざがあったよな」


 しんみりする僕。


 駅から降りてしばらく歩いてバスに乗る。バスから降りてまたしばらく歩く。こうやって歩いているとデートみたいだ。


 なんだか楽しい。

 綱子ちゃんと僕は止まってしまっているから。僕だけが彼女を好きなのが切ない。


 三春という桜はこの秋に満開だった。


「わあ、見事ですっ」


「綺麗だね。秋に桜か」


 コスモス畑の中に咲く桜。


 その時、桜の木から人が落っこちてきた。


「桜の精か?」


 僕らは身構える。


「あはは。お腹空いちゃったよ。あはは」


 そこには金髪碧眼のロシア美女、クルミ割り人形ことアナスタシアさんが笑っていた。


     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆


 アナスタシアさんは真里菜ちゃんの造ってきたフランスパンのバケットにぱくついている。


「なんでこんなに長いの? このサンドイッチ。フランス式?」


「長くないとサンドイッチじゃないとサンドニッチェ伯爵も言っている」


「それはどこの伯爵ですかっ!」


「三度一致って大変だよね。さすが日本人だよね~。気真面目だね~」


 アナスタシアさんは真里菜ちゃんのおししいサンドイッチをぱくりと食べた。


「卵サンドか。美味しいね~。美味、美味」


 真里菜ちゃんが少し戸惑っている。


「私が先輩のために作ったサンドイッチが謎のロシア人に吸収されていきますっ」


 謎じゃない。


「彼女がクルミ割り人形のリフレイン。アナスタシアさんだ」


 真里菜ちゃんは言葉を失った。呆然と桜の木の前に立ち尽くす。


「この方がアナスタシアさん」


 真里菜ちゃんが外国にまで会いに行きたかった人。真里菜ちゃんは顔をほころばせる。


「あのっ。初めましてっ」


「うん。初めましてだね」


 二人はあっという間に打ち解けた。


「質問です、アナスタシアさん。キャビアはもともとロシアが産地だそうですが、美味しさに差があるの

はなんですかっ?」


「うちのところではイクラって言うよ。あれはチョウザメの種類が違うんだよ~。美味しい種類のチョウ

ザメは高いんだよ~。出来るのに二十年はかかるの。こっちにも入ってくるの? イクラ?」


「出島から賄賂で入ってくるのを父が時々取り寄せてくれるんですっ」


「それは贅沢だねえ」


 取り残される僕。あれ?


 おかしいな。デートみたいだったはずなのに。涙が流れそうだ。


 なんで脇役扱いになっているんだ。もう主役は真里菜ちゃんじゃないか?


 僕はその辺で草でもむしっておこう。アナスタシアさんはにやっと笑った。


「佐伯君。佐伯君は真里菜ちゃんと付き合っているの?」


「付き合っていません」


「付き合えばいいじゃないか。お似合いだよ」


 真里菜ちゃんの作ってきたコロンビアコーヒーをたっぷり飲んで管を巻くアナスタシアさん。何しに来たんだ。この人は。コーヒーで酔っているんじゃないか。


 真里菜ちゃんは木の下で桜の木をじっと見ていた。


「先輩。この木には領域が張ってありますね」


「僕ら領域師の領域か?」


「はい。何かを隔てているんですねっ。この満開の桜は私たちにしか見えないでしょう」


 なんのために。


「おそらく、この桜の木を守るために」


「誰が何のために」


 僕は言葉を切った。アナスタシアさんがほほ笑んでいた。


「これはクルミ割り人形の領域だよ」


「あなたの?」


「うん。そうだね、何から話せばいいかな。何を隠そう真里菜のお母さんと出会ったのがこの木の下だっ

たんだ」


「私のお母さんと……」


 真里菜ちゃんが聞きたくて聞けなかったことをアナスタシアさんは察知したのかもしれない。彼女はポツリポツリと話し始めた。


「十年前にね。ここであの子と出会った。あの子は仕事熱心だったな。人の永遠の別れを嫌う子で人との出会いが好きな子だったよ」


「母は仕事で?」


「うん。ここに強い間の者がいてね、桜を独り占めしていたんだ」


 僕は手を上げる。


「桜の独り占め、それなら何も問題ないんじゃあ」


 僕はもっさりした間の者を想像した。


 アナスタシアさんは凄む。


「強い魔の者の名前は美弥。桜におびき寄せられた人々に毒の酒をふるまい、人々に永遠に覚めない夢を見させる。そんな間の物だった。夢魔だね。季節は春。五百人は眠らされていた。そこに登場したのがあの赤い靴だった」


「母ですか」


 真里菜ちゃんは僕の手を強く握った。僕は強く握り返した。真里菜ちゃんは僕の方を見て嬉しそうな顔をした。アナスタシアさんの言葉に耳を澄ませる。


「五百人の命を救い颯爽と去って行った。かっこよかったね。私は当時、呪われていてね。暴走して危なかったところを救われたというわけさ」


「母が人助けを」


「そうだよ。あの子はね、永遠の別れが本当に嫌いだった。だから、私をあの町までつれて帰るほどのさびしんぼうだったのさ。だけど、強かったね。本当に強かったよ。全盛期だった」


「母が強かったんですかっ? 私はせっている母しか知りません」


 僕は真里菜ちゃんの手を強く握った。


「物事は遠く離れてみないと見えないもんだ。【近くでは わからぬものさ 影法師】」


「はい」


 真里菜ちゃんは下を向いた。


「母は強かったんですね……」


 真里菜ちゃんは心底嬉しそうだった。


 アナスタシアさんは顔を上げる。


「だけど、一つ気になることがある」


「なんですか?」


「ムジナが、この近辺に住んでいたムジナの化け物が姿を消したんだ。弱い間の物だったんだけど、佐伯君と会った時の真っ暗狼が気になってね」


 僕は耳をそばだてた。ムジナ。真っ暗狼。


「あの後どうなったのか気になって旅行がてらにここの領域を見に来たんだよ」


「ムジナ」


 僕は息をのむ。あのムジナはここにいたムジナだ。ここにいたムジナは美弥を復活させようとしている。


 アナスタシアさんは僕を見た。


「解っているよね。佐伯君」


「ああ、もちろんだ」


 美弥は赤い靴を恨みに思っている。今回のことに真里菜ちゃんを巻き込まない。

 僕が解決しないといけない。

 僕がやらなくては。


【本気出す 今しかないと 心得る】


 僕は静かに深呼吸した。ムジナを倒す。僕には綱子ちゃんの分剣、黒鋼くろはがねがある。やるしかない。アナスタシアさんは呑気に笑った。


「この桜が私たちにしか見えないのは残念だねえ」


「そうですねっ」


 僕らは季節はずれの花見を楽しむ。

 真里菜ちゃんは幸せそうにほほ笑む。僕はこの笑顔を巻き込まない。

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