進まない車輪
「ムジナが本物の爪を手に入れて、何をするつもりだ!」
「忘れたのか? 女の復活だよ」
亡者の復活。
「追うなよ。ここの生徒なんて食い放題だ。追えば食う」
ムジナは笑いながら生徒にまぎれて消えた。
「何のためにあいつは現れたんだ」
「先輩、今、託宣が来て狼が……」
走ってきた真里菜ちゃんは絶句した。顔を真っ赤にしている。
どうした真里菜ちゃん。
「先輩は変態ですかっ?」
「なぜだ」
「かっこをつけていますが制服の後ろ半分がありませんっ。相当、お恥ずかしい格好ですっ」
「なに!」
僕の上着の背中がすべてなくなっていた。
「そうか、佐伯はやはり変態……魅せる変態。背中の自慢大会か? いいなあ、肌のきれいな男は」
勅使河原君が通りすがる。
「僕は変態じゃないやい!」
勅使河原君は変人だが友達も多い。
噂が広まるのは時間の問題だった。
「前向きに絶望した。前向きに最悪だ。前向きにぃ」
「先輩。こうなったら背中にファンシーな絵をかくのはどうでしょうっ。魔法少女のような桜吹雪とか」
「前向きにそれはやっちゃだめだよな!」
しかし、なんで真っ暗狼はこんなところに現れたのだろう。
力をつけた今、なぜこんな場所に。疑問は結局解消されないまま、僕はワンダーランドを経由して家に逃げ帰った。
双子の妹たちに、「にいには服のセンスが半端ない」とののしられた。完全なる敗北だった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
真っ暗狼には好きだった女がいたらしい。その女は死んだらしい。
そんな話を以前していたような気がする。
昔の記憶なので曖昧だ。
「ムジナはやってきた。女を救うために」
僕を仲間に取り込むために。それはすなわち女のため。
糸で読んだムジナの周りに女はいなかった。
あいつは何を考えているんだ。何もわからない。
「三春か」
僕は自宅の一室で唸る。
「三春。桜だね」
頼光さんは僕の領域、ワンダーランドの中で植物図鑑をめくった。
「確か、そんな桜がイカルガのどこかに咲いていたようだね。滝のように美しい桜だ。武者小路さんからパンフレットを手に入れてね」
頼光さんは穏やかに笑う。
桜か。木の精霊は間の者に近いのだろうか。それとも神に近いのか。
「神に近いよ。神に最も近いんだよ」
僕の領域、ワンダーランドの中で頼光さんはくつろいでいる。
「この図鑑は面白い蔵書だね。実に面白い。楷書で書いてあるのが残念なくらいだ。草書の方が僕としては読みやすいね」
「そうはいきませんよ。草書だと僕が読めない」
「オオカミの力をもってしても?」
「狼の力は万能ではありません。頼りすぎるのは怖いと感じます。真っ暗狼が現れてからは特に」
「不安になった?」
「そうですね」
「間の者は狂っているね」
「そうですね」
「僕も大変だったよ」
頼光さんは面白そうな顔で本を閉じた。
「ところで、世の中には三人ぐらい自分に似ている人がいるそうだね」
「はい。そうらしいです」
「君と綱子の関係はどうなったのかい?」
「相変わらずです」
「君は綱子の心をどう考えている?」
「前に進まない車輪」
「そうか。なら君はどうなんだい?」
「え?」
「君も同じところを回っているんじゃないか?」
「僕が?」
会話はそこで途切れる。
頼光さんはワンダーランドの図書館に肘をついて眠り始めた。
復活した頼光さんは一分しか生きられない。このワンダーランドの中でしか生きられない。だから彼はよく眠る。肝心なことが聞けなかった。
桜の木を見に行くか。
そこで情報を仕入れよう。
とにかく今は情報が欲しい。
赤雪姫と僕は袂を分かった。別れてしまった。もう交わることはないだろう。
綱子ちゃんに頼ってしまいたい。だけど彼女は僕にこう言った。
「皓人はとても強いです」
「いや、僕は弱いよ」
「いえ、とても強いはずです。今なら肘からミサイルだって出せます!」
「出せないよ!」
綱子ちゃんは残念そうな顔をした。しかしすぐ笑顔に戻る。
「頑張ればシータ波だって出せます! 皓人の歌は最高です!」
「それなら自慢じゃないが出せる気がする!」
絶対出せる。
「でしょう。皓人は強いのです」
僕は強くない。
「あなたの強さは私がよく知っています」
僕は君の期待に応えられない。
「あなたの凄さを私は知っています」
今回の件は僕だけで処理しなくてはならない。
今の季節なら桜の木も葉が落ちているんじゃないかな。
それでも、何か糸口が読めるかもしれない。
行こう。三春に。