絶望 と希望と
その足で夜中にもかかわらず紳一郎さんの高層長屋のドアを叩いた。
「紳一郎さん! 起きてくれ、起きてくれ」
「なんですかっ。父は出かけていますよ」
インターフォンに出たのは真里菜ちゃんだった。
「いたのか」
「いてはいけませんか?」
「いや、ほっとした。何があってもドアを開けてはいけないぞ」
「そうは行きません。ピザを頼みました」
「ああ、そうかピザを……」
僕はインターフォンを覗いた。
「まさかピザ屋を家にあげてはいないだろうな?」
真里菜ちゃんは困った顔をした。
「どうしてわかったんですか? ピザ屋さんの下駄の鼻緒が切れたそうです」
まずい。
そう思う間もなかった。遠くでピザ屋の腕が一回転する音が聞こえた。
「離れろ!」
「ええ?」
真里菜ちゃんの悲鳴が中から響く。
だが、近隣住民は誰も出てこなかった。僕は体を硬化して、長屋の壁をぶち破る。
「真里菜ちゃん!」
「来ないでくださいっ! この人は人形ですっ」
「だから行かないといけないんだよ。僕は君と友達になるって決めたんだ」
「何時何分何秒ですか。地球が何回まわった時ですか?」
「地球が生まれてからずっと決まっていたんだ。僕がここに来ることなんて」
「どうしてそんな」
「僕の話を聞けるか?」
「はい」
「アナスタシアは呪われていた」
「アナスタシアさん? 誰ですかっ、それは」
「クルミ割り人形の英雄だ」
「クルミ割り人形。それなら母に聞いたことがあります。白い人形と戦い海に落ち、漂流して出島にたどり着いたクルミ割り人形を昔、桜の木の下で助けたのだと」
そうだったのか。
「そのアナスタシアを呪っていたのはネズミだ。アナスタシアはネズミの間の者に呪われていた。白い人形になる呪いを」
「白い人形。私と同じ……」
そうだ。
「赤い靴はクルミ割り人形と親友だった。赤い靴は破壊衝動を抑えられなかったんじゃない。それをコントロールしなおかつ、親友を救おうとした。白い人形になりかけた親友を救うために戦いを挑んだ」
そう、救おうとした。
「その話は本当ですか?」
真里菜ちゃんはおずおずと顔を上げた。
そう、救おうとした。そうとしか考えられない。
「赤い靴はクルミ割り人形の呪いを解く方法を知ってしまった。どうやって知ったかわからないが、何らかのきっかけで知ってしまった」
「何がきっかけで」
「それはわからない。とにかく知ってしまった」
いや、きっかけならある。以前、僕は紳一郎さんに呪いの解き方を調べろと言われたことがある。あの時、僕はなんと言ったのだ。そうだ、呪いを移す。あるいは呪いをかけた者を倒せと、僕が調べたのだ。
僕の所為か。僕の所為だったのか。
「赤い靴は呪いを移すために、クルミ割り人形に一騎打ちを申し込んだ」
「母はもう病気で長くなかったのですっ。ですから、ですから、親友の呪いを持って行こうとしたのかもしれませんっ」
「そうだね、呪いを全部かぶって死ぬつもりだった。そうなるはずだった。しかし、赤い靴の英雄はそれをよしとしなかった」
「赤い靴が?」
そう赤い靴の英雄は死にたくなかった。現世に残ろうとした。
「英雄、赤い靴は君の中に残ろうとした。英雄として間の物を退治したりなかった。まだまだこの世に存
在していたかった。まだ生きていたかった」
「それでどうなったんですか?」
「君の中に生きようとしたんだ。赤い靴は」
ここからが肝心だ。
「赤い靴はお母さんを捨てて君の中に移ろうとした。同じ血筋だから、他ではない君には濃い英雄の血が流れているから、それが可能だった。しかし、それと同時に白い人形の呪いまで君に移ってしまったんだ」
「それで私は……」
白い人形が僕らに迫る。
僕は白い人形に小刀を埋める。
白い人形はブブブと震えて僕を吹き飛ばす。
「破壊衝動を解き放ちます」
真里菜ちゃんが目を閉じた。足元に赤い靴が現れる。
白い星のついた赤いロングブーツ。それで、白い人形に蹴りをかました。
白い人形は吹き飛びながら、猶も向かってくる。石にはならない。
真里菜ちゃんは悲しそうな顔をした。
「母は私を顧みない人でしたっ。親友を助けるために私を捨てたんですっ。私は捨てられたんですっ」
瞬間、部屋中の電気が落ちた。真里菜ちゃんのつけていた数珠が弾け跳んだ。
体中が陶器に変わっていく。
「もうおしまいです。ワタシハニンギョウニナリマス。ダレニモアイサレマセン。ダレモワタシヲミテクレナイ」
「真里菜ちゃん!」
僕は真里菜ちゃんに手を伸ばした。
「お願いだ。許可してくれ。君の心を覗く許可をしてくれ。僕は君を知りたい」
真里菜ちゃんの体からたくさんの白と赤の糸が吹きだす。僕はその中に乱暴に絡め取られた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
赤い糸は赤い靴の糸。白糸は白い人形の糸。
僕は一緒に糸を辿る。
子供の真里菜ちゃんが泣いている。
「お母さん、お母さん」
足を怪我して泣いている。だけどお母さんは来てくれなかった。
お母さんは間の者と戦っていた。
そしてそれが当たり前だった。
「誰も私を見てくれません」
父親も仕事に忙しい。播磨の中央を守っているからだ。真里菜ちゃんが泣いても誰も来ない。子供たちは近寄ってこない。真里菜ちゃんが不気味な託宣をするからだ。
「公園に間の者が出て犬を倒しました」
誰もよってこない。誰も近寄らない。近寄っても逃げていく。
僕は心の糸を読む。真里菜ちゃんが顔を上げて僕を見た。
「皓人くん、あなたはなんなんですか?」
警戒心の塊の声をしている。
「僕は佐伯皓人だ。情報屋をしている」
「情報屋。私の情報はろくでもないでしょう。私は嘘つき人形と呼ばれていますっ」
一般人は間の者なんてわからない。間の者なんて気がつかない。そうやって生きていく。
「君が叫んだのは全部本当のことだろう? 間の者は僕らの中では常識だ」
「みんなが知らなければ意味がありません。みんなが知らないから、私が独りぼっちになるんですっ。私は白い人形になりたいっ」
「どうして?」
どうしてお前はそんなことをするの?
「間の者になったばかりの者はみんなに見てもらえます。私はみんなに間の者がいることを教えます。教えていきます」
たまらない。
「それじゃ君の心は晴れない」
「晴れなくてもいいですよ。憂さを晴らせればそれでいいんですよ」
真里菜ちゃんの顔が人形のようになっていく。
とりつかれている。乗っ取られている。感情を引きずられている。闇の方に走らされている。
「君は乗っ取られているだけだ」
「でも、でもね。この感情は私の心の奥底にあったものです……」
「壊れるのか?」
「壊れると楽ですよね。母は友達を救うことが大事で私のことなど気にしなかったんです。私のことなどどうでもよかった」
「そうやって思いつめるな」
「思いつめたくもなりますよ。私は子供の頃からずっと我慢してきました。ずっと一人ぼっちでした。共にいてくれる人もいませんでした。誰にも理解されませんでした」
「君は何かしたのか」
「何もできませんでした。だって、何をしたって、誰も私を見ないから」
「だけど君は僕に言ったよね。狼は正義感の強い生き物だって」
「ええ。いいました」
「僕に助けてほしかったんじゃないか」
しばらく言葉が途切れた。
「そんなことはありません。あなたのことが大嫌いです。こんな心の奥底まで攻めてきて」
真里菜ちゃんは喚く。
「解ってほしいし見てほしくない。それなら僕も君を理解できないだけだ。でも君は一瞬、心の門を開いてくれた。僕は君を理解することはできない。でも、君のお母さんのことは少しわかるつもりだ」
「あなたに母の何がわかるっていうんですか?」
「わかる。君のお母さんは君を大切に思っていたんだ」
確信に近い思いがある。
「いいえ、母は私に向かい合おうとはしませんでした。母にとって私は重い荷物でした。友達はたくさんいたのに私のほうを見もしなかった……」
ちがう。そうじゃない。
「そうじゃない。アナスタシアの話をしよう。君のお母さんは君を愛していた。君のお母さんはアナスタシアに言ったらしい。二人で旅行がしたいと、エウロパに」
「それはアナスタシアさんとでしょう!」
僕は頭の中で記憶の糸を練り上げる。違う。そうじゃない。そうかと思ったけれどそうじゃないんだ。
「お母さんは君と行くつもりだったんだ。君とこれから向かい合うつもりだったんだ!」
「どうしてそんなことがわかるんですか。あなたは何も知りません。母のことも私のことも」
「アナスタシアの持っていた切符はペアだったのに色が違ったんだよ。あれは大人用と子供用だったんだ。君のお母さんは君とエウロパを横断するつもりだったんだよ、死ぬ前に」
それで辻褄が合う。娘の行く末を案じた母は旅行を提案した。しかも鎖国されているイカルガでは禁止されている海外旅行だ。
『君の夢は?』
『海外旅行に行くことです』
いつか海外旅行を夢見る娘に最後のプレゼント。
「そんな、私、私」
真里菜ちゃんは泣き始めた。
「私、酷いことを。あなたなんて知らないと」
彼女は娘を見ていたんだ。
娘の成長を夢見ていた。彼岸に渡るその瞬間まで。娘のことを考えていたんだ。
「私は母に酷いことを言いました。大嫌いだって」
その思いを母はどんな気持ちで聞いたのだろう。
「君は感知系だろう。どうしてそんなことを」
「母も感知系です。互いのことは領域で隔てられていて読めません」
不器用な母と娘はぶつかり合い、結局理解できなかった。
何でも解るのに、何も解らなかった。
「私は愛されていたんですね。やり直したい、でもモウナニモデキナイ」
あああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ。
真里菜ちゃんは号泣した。精神までが人形化していく。
「真里菜ちゃん、僕は正義の味方じゃないけど、一つできることがある」
「ソレハナンデスカ?」
何か言わないと、君を助けられない。なんでもいい、前向きに何か言うんだ。
僕はにやりと笑った。
「君の中から白い糸を取り除く」
「ソンナコトガデキルワケガアリマセン。ソンナコトヲシタラアナタハ」
「僕の中の狼が少しぐらい強くなってもいい。前向きに僕は君を助けたい。助けたいんだ! 来い! 真里菜ちゃん! 頼む。僕に君を守らせてくれ!」
「バカナヒト。バカナヒトデスッ……ホントウニバカデスッ」
真里菜ちゃんは号泣した。
「最高の褒め言葉だよ」
僕が白の糸を引きぬくと真里菜ちゃんは現実の床の上に倒れた。
白の糸は真里菜ちゃんが白い人形になっていた時間だ。僕はサイコメトリーの亜種の能力、時間の糸を引き出して読む能力を使った。全ての白い糸を引き出し、狼の力で白い糸だけをすべて刈り取る。
その僕の行為をみていた白い人形はブブブブブと呟いている。
白い人形のマネキンみたいな顔は面白くなさそうな顔になった。
真里菜ちゃんは壊れなかった。元の人間に戻っていた。
体中が軋む。僕は床を転げまわった。なんだ。この苦しさは。すりつぶされそうだ。
だけど、呪いは解けたんだ。前向きによかった。
しかし、引き抜いたはずの白い糸が、人形の呪いが今度は僕と真里菜ちゃんを襲い始めていた。家じゅうの中身を引き裂き、鋭い切れ味を持って僕らに襲い掛かる。
絶体絶命だ。
その時、気の抜けた声が響いた。
「千牙刀のデリバリーいかがっスか? ノックしたけど誰も出ませんでござんすね」
空美だ。空美がツインテールをなびかせて玄関でうずくまって刀を抱えていた。
黒いコートを着込み、その襟を立てている。
「ラブシーンはそこまでっスね」
「ラブシーンじゃない」
「違いますっ」
僕らは口々に否定する。真里菜ちゃんは顔が真っ赤だった。
空美はにたりと笑った。
「私に切られたい悪はどこっスかね~?」
「お前の目の前だ。空美」
「皓人の事かな?」
「嘘をつけ嘘を。僕はいい者だぞ」
「もう、皓人は本当にお人好しっス!」
「お人好しじゃない。僕は人たらしだ」
「誰もたれてないっスよ。あんたはいつも詰めが甘いっス。しょうがないや、皓人は。私が尻拭いしてやらないといけないようっスな。うんうん」
「女の子が尻拭いなんて言うな」
「てめえのケツをてめえで拭けないうちはみんなひよっこでござんすよ」
「お前は次郎長のリフレインか!」
笑顔だった真里菜ちゃんは、皓人くんはそうなんですね。そうだったんですねとそう呟いた。
「私わかっちゃいました。そうなんですね」
「何が?」
「何がっスか?」
「いいえ、良いんです。みなさんありがとうございました」
「待てよ。真里菜ちゃん、まだ片付いていない」
「いいえ。もう片付きました。あとは空美さんが片付けてくれます」
事態はその言葉通りになった。
空美の目が真っ赤に染まる。空美は千牙刀を部屋いっぱいの大きさにした。
「それじゃバイバイ」
白い人形はあっさり弾け、石になった。空美の強さは化け物だ。
僕たちに襲いかかってきた白い糸も千牙刀で燃やし尽くす。
空美は強敵の白い人形をあっさり屠ってしまった。さすが最強の矛だ。
「まあざっとこんなもんスね。皓人先輩」
「誰が先輩だ。お前は僕より年上だ」
「まあそう言わないでよ」
「言いたくもなる」
「夜中に呼ぶなんて何かと思うじゃないっスか!」
「急用だったんだから仕方がないだろう?」
僕はその足で公園に行った。
公園にはアナスタシアさんのかばんが置いてあるだけだった。財布はない。
僕はアナスタシアさんの荷物から切符を取り出し、汽車のチケットを真里菜ちゃんに押し渡した。真里菜ちゃんは震えている。
「アナスタシアさんは」
「もう行ってしまったよ」
「何も言わずに行ってしまったんですか。せめてお話がしたかったですっ」
「今の君には会えないと思ったんだろうね。赤い靴は君の中に?」
真里菜ちゃんは首を振った。
「私は母のように上手に赤い靴を扱えませんっ。ですから、赤い靴の英雄は私の中で眠らせますっ」
そのセリフを一緒に公園についてきた空美は深刻な顔で聞いていた。
「そうか。眠らせるなんて方法もありか」
「どうした空美?」
「ううん、何でもないっスよ」
空美はにこにこ笑った。
「それじゃ私は一足先に帰っておくっス」
「ああ、ピザとジュースで祝勝会と行かないのか?」
従姉はウインクした。
「それはその子としてあげなよ。それじゃあね。私は忙しいっス」
空美は来た時と同じ唐突さで去っていく。
「真里菜ちゃん」
真里菜ちゃんは僕を見た。
「ありがとうございます。馬鹿な人っ」
「なんだよ。前向きに腹が立つじゃないか」
真里菜ちゃんは僕を子犬のような目で見つめた。
「私もあなたのことを先輩って呼んでもいいですかっ?」
「僕はもうすぐ誕生日だが……君は同じ学年じゃないか」
「私は冬生まれです。あなたより二か月後輩ですよっ」
「まあ、別にいいけど」
真里菜ちゃんは嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます。私たち友達になりましょうっ」
「友達?」
僕は脱力する。なんだよ。僕は君を命がけで救ったのに。
「恋人じゃないのかよ」
「はいっ。父の仕事相手がどんな人か知りたいだけですっ」
やっぱり僕はモテない男だった。前向きに落ち込むな。
はっ。僕は今前向きになっていないか?
真里菜ちゃんは何かに吹っ切れたように笑った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
僕はその日の明け方、紳一郎さんに会った。
真里菜ちゃんは疲れて眠っている。
「全部仕組んだだろう。紳一郎さん」
「君の才能があれば真里菜を救えると信じていたんダナ」
「娘が心配じゃなかったのかよ」
「心配だったよ。でも僕はずっとそばにいられない。いつか別れる時が来る。でも君は違うだろう?」
「奥さんに死なれて落ち込んでいる?」
「人の生死なんてわからないものだよ。だからこそ、前向きに生きないとね。私は大切な人を失ったが、彼女は生きたいように生きた。だから私は後悔していないよ。後悔しているとすれば、真里菜に本当のことを言えなかったことダナ」
僕は顔を上げた。
病弱な真里菜ちゃんのお母さん。
「ひょっとして……いつか別れるから、真里菜ちゃんのお母さんは真里菜ちゃんと距離を置いたんじゃないか?」
わざとだ。別れる娘が寂しくないように。
しかしそれで彼女が傷つくことなんて知らずに、真里菜ちゃんのお母さんは逝ってしまった。
「その通りだよ。真里菜も人の心が読めない。君が助けてくれ」
僕も読めない方だが、それでも少しは分かるつもりだった。
「お安い御用で」
僕は両手をひらひらさせた。
「お金」
「やっぱりとるのかダナ」
「あなたが儲けていることは確認済みなんだよ」
「仕方ない男だ。その守銭奴はいつごろ治るのかな」
「さあ、馬鹿につける薬はないんだから、守銭奴だって治らないんじゃないの?」
僕と紳一郎さんは声を上げて笑った。
「皓人、愛とIはどっちが重いと思う?」
「どっちも愛でIだったと思うよ」
Iは自分のIだ。
次の日、真里菜ちゃんは長い数珠を制服の下に巻いて学校に来た。
それで赤い靴を封じるのだという。
「先輩。私は努力してみようと思います。私の託宣が外れるように。ですから協力してくれたら幸せですっ」
それは素敵で優しい微笑みだった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
僕の回想は唐突に終わりを告げた。
中学三年生の秋。僕は我に返った。
真里菜ちゃんがおしゃれなオープンカフェで笑っていたからだ。
そうだ。僕と真里菜ちゃんは買い物に来ていたんだ。
「先輩。私のこと、どう思っていますか?」
「どうって、可愛いと思うけど……」
「どう可愛いんですか?」
真里菜ちゃんの子犬のような目が僕を見る。
僕はドキドキする心臓を抑えてコーラを飲み干した。
真里菜ちゃんは赤いキャリーバックを買った。僕へのプレゼントじゃなかったみたいだ。
「真里菜ちゃん、君、僕の誕生日になにをくれるの?」
「私です」
思わずコーラを吹いた。
「冗談ですよっ」
真里菜ちゃんは僕を見上げて笑った。身長差はいつの間にか逆転してしまっていた。
「先輩」
真里菜ちゃんは僕の頬に触れた。
それは長いキスだった。頬に柔らかい唇の感触が残っている。
【前向きに 照れる横顔 君の所為】
「先輩。今年はこれで許してもらえませんか?」
通行人の勅使河原君がその様子をじっと見ていた。僕に手を振る。
なんでこのタイミングで。
勅使河原君が笑って僕の背後を指差す。そこには怒り心頭の梔子綱子ちゃんが立っていた。
「死にたいのですね。皓人様」
「あの」
「真里菜を本気にさせましたね。そのあなたの魅力を殺します」
「何をする気だ」
「今から整形します。白雪姫の魔女もぞっとする世界一醜悪な顔に」
「どこの世界に不細工に整形する人がいるかー!」
「犯罪者は顔を変えると聞くもの」
僕は何も悪いことをしていないんだよ。
「嫌だ、前向きに嫌だ」
「大丈夫、痛くしませんから」
「君が執刀医か!」
真里菜ちゃんは困ったような顔でアイスピーチティを握りしめて子羊のように震えている。勅使河原君はゲラゲラ笑っている。
僕は目を閉じた。前向きに最悪な誕生日が近づいてくる予感がした。
そしてそれはその通りだった。